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連載

#11 遁走寺の辻坊主

人生で勝ったことが何にもない……坊主となった辻仁成が答えます

若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動
若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動

作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答える「遁走寺の辻坊主」。14歳女子の「喧嘩も、言い合いも、試験も、競争にも負けて、ママが失望している」という相談に、辻坊主が授けた教えとは?

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今日の駆け込み「勝ち負けとはなんですか?」

わしの一日は掃除、ご飯、洗濯、読経、ご飯、昼寝、掃除、おやつ、修行、ご飯、就寝である。
しかも、掃除といっても竹箒を持って庭でうろうろしているだけ。
修行といっても滝行とかではなく、腕立て伏せを30回程度のいい加減な修行じゃ。
たまに、法事の読経、葬儀などもあるけれど、檀家が減っているので仕事らしい仕事は滅多にない。
私の行く末を心配した先代が寺社の裏に駐車場をはじめたことで、その収入のおかげで、なんとか生活だけは維持出来ている状態。
だが、自分には後継者がいないので、遁走寺の未来は明るくはない。
それでも、子供たちだけはひっきりなしに訪ねてくる。
ま、そこに自分としても生き甲斐を見つけつつあるのが現状だ。

今日やってきた佐野美玖君は14歳、ほんのり少年っぽさをにじませる女の子だ。
「辻坊主、わたし、いつも負けてしまうんです。勝ったことがないの。喧嘩に負けるし、言い合いに負けるし、試験とか競争にも負けるし、何よりも夢とか目標とかがないので生き方でもみんなに負けています。そういう負けてばかりのわたしにママは失望している。ママはいつも勝ち組に加われば人生が変わるよ、と言う。勝ってる友達の傍にいて、勝つ空気感をもっと味わいなさいって。でも、勝ち組という考え方が何かわからない」
わしはちょっとだけ答えに窮した。
「だいたい、なんでもかんでも、勝つことばかり良しとする教え方がいかんな」
わしがそう呟くと横で三太夫が「みゃあ~」と同意した。
「佐野君、そもそも、負けることが悪いという考え方をまず変えた方がいい」
「どういうことですか?」
「人が負ける時というのはだいたい自分に挫けるからなんだ。いいか、自分は絶対負けないと思っている人間は負けたことにはならない。挫けることのない人間に負けはない。たとえ勝負で負けたとしてもその負けをバネに這い上がろうとする力が生まれる。だから本当のところで負けとは言わない。人間が負けるのは、自分はダメだ、かなわない、と自分に挫けた瞬間だ。自分が負けを認めた瞬間、人間は完膚なきまでに敗れてしまうのじゃ」
「そうですけど」
「負けるもんか、と思っている人間に負けはない、とわしは思う。逆に、勝つことも数字の上だけで勝ったと思っている者は本当の勝利を得ているとは言い難い。勝っても謙虚に次に向けて努力している時にこそ本当の勝利は訪れる。だから、勝ち負けということにこだわっているうちはまだまだ真の結果を得たとは言えんのじゃよ」
「そうですけども」
「勝てば官軍ということわざがあるが知っているかね?」
「いいえ」
「正確には、勝てば官軍負ければ賊軍というのじゃが、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえ。お母さんが信じる勝利もこれに入る。結果として勝った方の理論がまかり通るみたいなことで、勝てなければ何言っても通じないよ、ということなんだけど、わしは好かん」
「はぁ。まぁ、そうですけど」
と佐野君が不服そうに小さく言った。

「勝つか負けるかしか見てない人間には勝つことと負けることの外側にある大事なものが見えてない」
「それはなんですか?」
「勝負をしないという生き方だよ」
佐野君がようやくわしの顔を見た。
わしもじっと見つめ返した。
三太夫が、みゃあ、と小さく鳴いた。
「つまり勝ち負けにこだわらない生き方だ。勝つことや負けることだけを気にしない生き方だよ。もちろん、小さな勝利や敗北はあるかもしれんが、それに左右されない人生だ」
「辻坊主の言いたいことなんとなくわかりますけど、でも、それじゃあ、通じません。すくなくともわたしの家庭では通じないんです」
佐野君がわしに背中を向けて歩き出した。
わしの中で失望が広がった。でも、わしは自分に挫けたりしない。

「誰の人生じゃ!」
わしは立ち上がり、遠ざかる佐野君に向けて叫んだ。
「人間は自分に挫けるから負けるんじゃ。挫けることがなければ絶対に負けることはない」
わしがそう大きな声で告げると、三太夫も、みゃあ、と大きな声で鳴いた。
「……そうですけど」
佐野君はうつむき、自分の足元に向けて小さく吐き捨てた。
「その人生は誰の人生じゃ。勝ち負けに左右されて一生生きるのか? 第三者に勝ったとか、負けたとか判断されて生きていくのか? 佐野美玖、自分が負けたと思わなければその人生はずっと君のものだ。自分に挫けなければ負けることはない。わしが言いたいのはそれだけじゃ」
わしは言い終わると、一度小さく深呼吸をしてから、再び座った。
わしの横で三太夫が、小さな声で、みゃあ、と言った。
佐野美玖君はうつむいたまま、去っていった。
すぐに出ない答えもある。
勝ち負けのない人生もある。
でも、いつかそのことに気が付くこともある。
それでいいのじゃ。な、三太夫。
みゃあ、と三太夫が心強く同意するのだった。

辻仁成(つじ・ひとなり)1959年、東京都生まれ。『海峡の光』(新潮社)で芥川賞、『白仏』(文芸春秋)で仏フェミナ賞外国文学賞。『人生の十か条』(中央公論新社)、『立ち直る力』(光文社)など著書多数。

山田全自動(やまだ・ぜんじどう)1983年、佐賀県生まれ。日常のふとした光景を浮世絵風イラストにしたインスタグラムが人気。著書に『山田全自動でござる』(ぴあ)、『またもや山田全自動でござる』(ぴあ)。

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