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連載

#4 遁走寺の辻坊主

不登校、どう思われてるんだろう……坊主となった辻仁成が答えます

若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動
若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動

辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答える「遁走寺の辻坊主」。小学校から学校に行っていないという男子が相談した「不登校の俺って、どう思われてるんだろうって……」という悩みに、辻坊主が授けた教えとは?

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【連載:遁走寺の辻坊主】
作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答えます。「頑張れない自分は『負け組』ですか?」「たいして仲良くない友達との会話がつらい……」。辻坊主の答えが心に染みます。

今日の駆け込み「不登校って世間から見てどうなのかな」

わしは趣味がないので、本当に退屈な時は退屈で、だからか、ある時、ふらりとやって来た少女の悩みを時間の許す限り聞いてやったことがあった。
すると、その子が「話を親身に聞いてくれる坊さんがいる」と言いふらしおって、それから、ひっきりなしに若い子たちが相談に来るようになった。
それで暇だから、やって来る子に真剣に付き合ってやったら、どんどん子供たちが増えて、休みの日なんかは行列が出来る時もあった。
ほんとうはちゃんとした寺の名前があるのだけれど、ある時誰かが、「遁走寺」と呼び始めた。遁走とは逃げるという意味じゃ。
ま、でも、逃げることは悪いことではないので、この名前は気に入っとる。


さて、今日も一人やってきた。なんだか知らないけれど、今までやって来た子たちとは雰囲気も感じもずいぶんと異なっておる。
口をへの字に結んで、わしを睨みおった。
百地三太夫、用心しなさい。
みゃあ。
「あんたか、辻坊主ってのは」
「そうだがどうした、なんか用か」
「ああ、あんたおせっかいな坊主なんだろ。困ってるやつの話を聞くんだろ」
「おせっかいじゃないが、よく来たな。名前は?」
「名前を言わないとダメなのか?」
「ダメじゃないけど、人に相談に来たのであればまず名を名乗るのが礼儀だろ」
少年はうつむき、への字の口をすぼめて、地面を暫く睨めつけていた。
「佐藤おさむ」
「おさむ。よく来たな。なんでも聞いてやるから言うてみなさい」
佐藤君は濡れ縁に腰かけておるわしに近づいてきて、強い目で見上げた。

「あの、小中高大ってあがっていくのが当たり前みたいな世の中じゃん。でも、俺、小学校の4年から不登校なんだよ。どう思う?」
いきなりだったので、首を傾げた。
「それだけじゃ、なんも答えられんぞ。不登校を一つで括ることはできん。不登校をする子たちの数だけ不登校の理由がある。不登校の一般論とかほんとうにへどが出る。人間を鋳型に押し込めて、この子は不登校だから、という大人が多すぎていかん」
わしを睨んでいた佐藤君の目がわずかに緩く撓った。
「だから、なんか家のまわりとか歩いてるとその辺の人たちの視線をめっちゃ感じるんだ。なんか噂してんだろうなって思う。ひそひそ声が聞こえてきたこともあった。別に関係ないけど、俺、どう思われてるんだろうって……」
「学校に戻りたいのか?」
「別に」
「なんで学校に行かない?」
「別に関係ないだろ」
「おいおい、それじゃ、相談に来るなよ」
チェッと佐藤おさむが小さく舌打ちした。
「なんか馴染めないんだよ。みんなと波長があわないっていうか。なんで学校に行かなきゃならないの? 中学生までは義務教育じゃん。でも、俺は小学校からもう不登校だから、どうしたらいいのかわかんないんだよ。親も泣くし、先生は無責任だし、話になんない」
「お前、どのくらい時間があるんだ」
「あるよ、いくらでも。だって不登校だから」

わしは佐藤おさむの話を聞くことにした。
とても一日でこうしろと答えが出る話でもなかったので、翌日も、その翌日も暇なら来い、と言って呼びつけ、ひたすら彼が言いたいことを聞き続けた。

三日目の別れ際に、わしのことを「辻坊主」と呼んだ。
「あしたもまた来ていいかな」
「それはお前の自由だ」
佐藤おさむは朝の八時過ぎにやってきて、夕方の四時くらいまで寺に居座り、わしと議論をやった。
昼飯時に一度帰るのだけど、食事をしたらまたすぐに戻って来た。
佐藤おさむは学校に行かなくなって三年が過ぎていた。その間に親御さんが何もしなかったわけじゃなかったし、児童相談所の人も真剣に相談に乗ってくれたということだった。
でも、彼なりにいろいろと考えた上で、不登校は続いた。
将来どうするつもりだ、と聞くと「高卒認定試験を受けて社会に出るつもりだ」と言った。

四日目、こういうことを言い出した。
「辻坊主、間違ったことをしたとは思ってないけど、俺、学校に行ってたら部活を一生懸命やるような真面目な生徒だったんじゃないかなって思うこともある」
これが突破口になった。
「何をしたい?」
「俺、野球が好きで、ずっと広場で壁を相手にピッチング練習し続けてきた」
「野球は一人じゃできないものな」
「みゃあ」と三太夫が言った。
実はわし、大学時代、野球部に所属していたことがあった。

そこで五日目、グローブを二つ引っ張り出してきて、広い境内で佐藤おさむとキャッチボールをすることになる。
「いいの? 本当に、本気で投げて」
「かまわん。わしはキャッチャーだった」
すると佐藤おさむは独特の投球法で身体をぐんとひねり、渾身の力でボールを投げつけてきた。
それは目に見えないほどの速さで、わしの顔の数センチ横を通過して、遠くの壁にぶつかって大きな音をあげてしまった。
ボールが通過する瞬間、物凄い風力を頬が感じて、ひやっとした。
驚いた三太夫が、みゃあ、と鳴いて、本堂へと逃げ出した。
顔面で受けていたら今頃、病院送りだったかもしれない。
わしは立ち上がり、ボールを振り返った。佐藤おさむが草ボウボウの境内の奥へと走り、ボールを探しはじめた。
叢の中のボールを必死で探す少年の丸めた背中に希望が宿っていた。

「おさむ!」
わしは叫んだ。
佐藤おさむがゆっくりと起き上がり、こちらを振り返った。
「誰の人生じゃ!」
おさむは暫く黙ったままだった。
「誰の人生じゃ、おさむ!」
「俺の人生だよ」
「じゃあ、お前が好きにすればいいじゃないか。部活をやりたいというお前の気持ちを大事にしたらどうだ。全部が全部、お前の思い通りにはならない。いやなこともあるし、いいこともある。試してみろよ。それでやっぱりダメだったら、ここにまた来い。相談に乗ってやる」
佐藤おさむは足元のボールを拾い、それを強く握りしめながら、じっと考え込んでいた。

【連載:遁走寺の辻坊主】
作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答えます。「頑張れない自分は『負け組』ですか?」「たいして仲良くない友達との会話がつらい……」。辻坊主の答えが心に染みます。

辻仁成(つじ・ひとなり)1959年、東京都生まれ。『海峡の光』(新潮社)で芥川賞、『白仏』(文芸春秋)で仏フェミナ賞外国文学賞。『人生の十か条』(中央公論新社)、『立ち直る力』(光文社)など著書多数。

山田全自動(やまだ・ぜんじどう)1983年、佐賀県生まれ。日常のふとした光景を浮世絵風イラストにしたインスタグラムが人気。著書に『山田全自動でござる』(ぴあ)、『またもや山田全自動でござる』(ぴあ)。

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