連載
#8 平成炎上史
「日本死ね!」ブログが予言した日本 自己責任論でがんじがらめ
2016年(平成28年)、ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」が「炎上ワード」となり、国会でも議論されるほど注目を集めた。それから3年。巨額の税金が使われているとして批判された東京五輪の準備は着々と進み、参院選ではポピュリズムと呼ばれる政党が躍進した。「社会の問題」を自己責任論などによって「個人化」させてしまったのは誰なのか? 「保育園落ちた日本死ね!!!」が明らかにした「不安な時代のささくれ立った気分」の行き先を考える。(評論家、著述家・真鍋厚)
2016年(平成28年)、「何なんだよ日本。/一億総活躍社会じゃねーのかよ。/昨日見事に保育園落ちたわ」というつぶやきから始まる匿名ブログが大騒動を巻き起こした。
ブログのタイトルである「保育園落ちた日本死ね!!!」が「炎上ワード」となり、衆議院予算委員会での野党からの質問に取り上げられ、国会前での抗議デモにまで発展。塩崎恭久厚生労働大臣(当時)に母親たちから2万7千人あまりの署名が手渡された。
政府の掲げる一億総活躍社会が有名無実のスローガンに過ぎないことが「待機児童問題」を機に露わになり、同じような境遇を強いられている人々がソーシャルメディアを通じて積極的につながることになった。
Twitter上のハッシュタグ「#保育園落ちたの私だ」は、この事件の当事者であることを共有する意思表明だった。
ネット炎上を誘発した直後は「日本死ね」ばかりに注目が集まり、心ない有識者からは「韓国でも中国でも行けばいい」「イスラム国に行ったらいい」という暴言すら飛び出したが、このブログの本意はどちらかと言えば「まじいい加減にしろ日本」という結語にこそあったと思われる。
要するに、働く女性の子育てを大して重要視しない国の姿勢に対する強烈な違和感である。以下の文面にそれが示されている。
ここに書かれているエンブレムとは、2015年(平成27年)のトピックとなった東京オリンピック・パラリンピックの「公式エンブレムの盗作疑惑」を踏まえたものだ。
そもそも五輪開催に巨額の税金を湯水のごとく流し込んでいるにもかかわらず、国民が切実に必要としている「保育園一つ」作ろうとしない、そのための保育士の処遇改善に力を入れようとしない、日本という国の「異常さ」を告発しているのである。
あえて辛辣(しんらつ)な見方をすれば、今回の五輪には「あの素晴らしい日本を、もう一度」という願望に突き動かされた招致だったのではないだろうか。
それは、国レベルで財産を湯水のように使う「国家的蕩尽(とうじん)」とも言える行為と言える。「国富を使い果たす」ことによって1964年の華やかな戦後日本の復活劇を〝再上演〟し、いわば高度経済成長に象徴される活力と繁栄を呼び込もうとしているかのようである。
一連の五輪招致に通じる行為として思い浮かぶのは、神々や先祖の霊が飛行機や船などを使って〈積み荷=富〉をもたらしてくれると考え、そのための飛行場をほうふつとさせる施設などを一生懸命整備したとされるカーゴ・カルト(積荷信仰)だ。
19世紀のメラネシアで発生した、この現世利益的な信仰の根底にある思考は、先進国に普遍的な「右肩上がりの時代」の記憶を文化的に模倣する行為に似ている。映画『ALWAYS三丁目の夕日』の大ヒットやレトロテーマパークの活況が分かりやすい例だ。
五輪招致は、日本でもこのような思考が国家的なプロジェクトにまで波及したということなのだろう。これは筆者の専売特許ではない。同様の指摘は東京五輪の決定前後から散見されている。
国民生活よりも「古き良きニッポン」を取り戻す〝お祭り〟にとりつかれた時代遅れともいえる「アナクロニズム(時代錯誤)」の末期的な症状が生まれている。
それは「失われた20年」の傷心から立ち直れない不安と抑うつの時代におけるアヘンと化しているのだ。
この異様な空気にわずかばかり水を差したのが件の匿名ブログだったのである。
しかし、このような恐るべき熱狂に陥ったのには、少なからずわたしたちの側にも責任がある。「社会問題の個人化」と「政治的無関心」を放置したツケだ。
周りに頼れる人がいないコミュニティーの空洞化などで、お隣さん同士が助け合う「相互扶助の関係性」が失われた。
大家族の中で子育てする時代は過去になり、都市部で暮らす共働きのような世帯は、公的サービスではまかなえない家事・育児を、自らお金を出して負担を補いアウトソーシング化していく。
当然、すべての人が家事・育児のアウトソーシングができるわけではない。それなのに、本来なら国や自治体にプレッシャーをかけて取り組ませるべき「社会の問題」だったことを、いつの間にか「個人の問題」として矮小(わいしょう)化させたのは、実は、私たち自身だったのかもしれない。アウトソーシングできない=時間が取れない・お金が払えないことを「自己責任」の枠組みで捉え自分たちのせいにし、広く国民で議論すべき「政治の問題」として取り上げることを怠ってきた。
そこには程度の差こそあれ「自分の子どもさえ保育園に入れれば良い」とするドライな割り切りも底流にあったとしたら、言い過ぎだろうか。自己責任論の多くは、ネット上で他人を攻撃する際に用いられるが、実は、わたしたちの身に起こる困難のすべてを自己責任に読み替えてしまう「個人化」の弊害としても現れているのかもしれない。
では「保育園に落ちた」は、なぜ大きなうねりになったのか考えてみたい。ブログ主にとって、「保育園に落ちた」のはたまたまであり、自分ではどうしようもできない結果だという自覚がある。だからこそ「保育園に落ちた」は「個人化」されず、「社会の問題」として炎上できた。その結果、重大な社会問題として日の目を見ることになったともいえるのである。
困ったときは行政が救いの手を差し伸べたり、ご近所の気遣いや目配りに期待することが不可能になった段階で、わたしたちは政治に対する効果的な働きかけを行うと同時に、自分たちでもできることを模索することが必要だった。
長い歴史を振り返っても、「ワンオペ育児」や「孤育て」はかなり特異な状態であり、どこの社会も「子どもはみんなで育てるもの」であった。だが、ここ数十年で日本は、過去にも例のないくらい子育ての孤立化が進んだ。
共同生活やネットを用いた地域連携の再構築による「子育てのシェア」が、一部の人々の間で盛んに試みられているのは、「自分の困りごと」を「みんなの困りごと」として解決を図ろうとしているからだ。
もちろん、働く女性の子育てをサポートすることに熱心でない国家は、その時点ではっきり言って終わっているが、現実問題として、行政ばかりに頼っていては限界があるのも事実であり、社会レベルと個人レベルの両輪を上手く動かす生存戦略が不可欠である。
とはいえ、全員が全員有効な生存戦略を組み立てられるコネやノウハウを持っているわけではない。
このまま「待機児童問題」を、何よりも優先して解決するべき喫緊の課題として認識できない国家、最も重要な「人づくり」のプロセスに投資できない国家へと突き進むのであれば、「日本死ね!!!」のつぶやきは、やがて数十万、数百万の非難の声、絶叫もしくは罵声となり、既存の体制を一新することを求める破壊的なエネルギーへと転換されていくことだろう。
すでにその兆候は表れている。巷でポピュリズムなどと評される新政党の躍進はその始まりに過ぎない。「こんな日本をどうにかしたい」という気持ちがあるうちはまだいい。だが、それがさらなる障壁に行く手を阻まれて絶望すれば、「こんな日本はいらない」といったうらみや嘆きである怨嗟(えんさ)へと容易に移行してしまう。
このような怨嗟が増殖する危険性に気付いている政治家は残念ながらまだ少数だ。これは就職氷河期世代など他の社会問題でも当てはまる構図だ。
ネット炎上は「不安な時代のささくれ立った気分」に引火して燃え上がる「感情の山火事」であるが、時として毒ガスの発生を知らせる「炭鉱のカナリア」のような側面を持っている。わたしたちの社会に潜む危機を報せることがあるのだ。
厚労省によると、待機児童の数は2019年4月1日時点で1万6772人に上る。匿名ブログが書かれた翌年の2017年が2万6081人だったことを考えれば人数自体は減少し、10月から幼児教育・保育の無償化も始まるが、当事者からしてみれば「依然として」という言葉を付け加えたくなるだろう。
わたしたちの社会が本気で変わろうとしない限り、この匿名ブログの言葉は予言としての役割を果たし、ネット空間で警告音のごとく響き続けるだろう。
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