連載
#4 漫画「アルスラン戦記」
「昨日の宿敵は今日の…」パキスタン青年のピンチ救ったゲーマーたち
オレたちの戦いは、まだ始まったばかり……!
格闘ゲームにのめりこみ、世界へ思いを馳せるパキスタンの青年・アルスラン。ところが彼の挑戦をはばむのは「ビザ」だ。
治安が安定しないパキスタンの国民に対して、スポンサーや一定額の預金があることをビザの申請条件とする国は多い。国内の大会で優勝を重ね、スポンサーを獲得。念願の国際大会への切符を手に入れたアルスラン。
しかし、開催地の日本へ向かうも、飛行機の乗り継ぎトラブルが相次ぐ。丸3日移動に費やし、日本に着いたのは大会当日の午前10時。疲れを見せながらも、フィリピンの最強レベルの選手を負かしてしまう。無名の選手の活躍、予想だにしていなかった展開に会場は沸いた。
そして、コメントを求められたアルスランはこう言ったのだった。「パキスタンには強い選手が、まだまだいる」
その言葉に、騒然とした格ゲー界。アルスランの実力が「本物」なのか確かめるため、強敵たちが集まってくるのだった。
アルスランが国際大会で優勝したことへの反響は絶大だった。特にパキスタンの事情を知り、アルスランの実力を確かめたい人々が立ち上がっていく。
日本の鉄拳イベント運営者・黒黒さんは、日本で開催されるイベントにアルスランを招待するため、渡航費を募るクラウドファンディングを立ち上げた。すると、目標額はたった6日で集まった。
「短い期間で支援金を集めてくれた皆さんに感謝しています。日本の人たちとプレーするのを楽しみにしています」
意気込むアルスランだったが、今回の渡航にも、大きなトラブルが待ち構えていた。
2019年5月1日、日本への旅立ちの日。アルスランは、自身が住む都市ラホールから出発する予定だった。しかし、空港に着くと驚くべき事実が待っていた。
飛行機が飛んでいない。
きっかけは2月半ば、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で起きたテロ事件だ。
実は手配していたタイ航空の便も、パキスタン領空封鎖により欠航となっていた。問題なくチケットを購入できたことから、黒黒さんも、アルスランも、この事態を予想していなかった。
パキスタンの治安による影響は、2人の想像以上だった。
ラホールから出発できない以上、予定通りの渡航はできない。乗り換えのチケットもキャンセルすることになった。
調べるとパキスタン最大の都市カラチからは、タイ航空の便が出ていることがわかった。ラホールからカラチへ国内便で移動し、そこから出国するルート。その時点で、5月2日予定だった日本への到着は、4日朝にずれこんだ。
一方、日本ではアルスランとの対戦を楽しみにしているプレイヤーが待ち受けていた。
注目すべきは「倒せるやつは今世紀には生まれない」とまで謳われた、”鉄拳マシン”の異名を持つ韓国出身の最強プレイヤー・Knee選手だ。そして、日本の強豪選手10数人。
イベントは5月3日から、3日間かけてアルスランが彼らとそれぞれ戦うことになっている。つまり、アルスランの実力を問う、アルスランが主役のイベントだ。
しかしこの時点で、アルスランはイベント初日に参加できないことが確定している。運営する黒黒さんは頭を抱えた。会場も押さえ、選手たちも集まってきている。
そんなピンチを救ったのが、Knee選手だった。
アルスランに挑む予定だった日本人選手たちと次々と対戦し、イベントを盛り上げた。世界最強レベルの選手と対戦でき、日本の選手たちも大いに喜んだ。
何を隠そう、誰よりもアルスランに勝ちたかったのは、Knee選手なのだ。
実はKnee選手は過去にアルスランと対戦したことがある。しかし、アルスランは世界で最も尊敬される鉄拳プレイヤーを破ってしまった。どうしても信じられず、非公式のカジュアルゲームをしても、結果は同じ。周囲は驚き、Knee選手も衝撃を受けた。
「今まで多くの人たちとゲームをしてきたが、国ごとにプレーのスタイルがある。韓国にも、日本にも、米国にも……。しかし、パキスタンの彼の場合は、それらとは別のプレースタイルで、これまでとても多くの敗北を喫した。そのおかげで、いろいろなことを考えた。『一体、どのようにして勝てばいいのか』と」
ライバルたちが待つ中、それでもまだ運命はアルスランの味方をしてくれない。
アルスランはカラチから出国する予定だったが、日本からの帰国便を手配していないという理由で出国が許されなかった。治安の悪いパキスタンの国民だからこその制限だ。
急いで日本にいる黒黒さんがチケットを手配するも、飛行機の出発に間に合わなかった。改めて別の航空会社を手配したが、ゴールデンウィークのためチケットは高額に。結果、渡航・滞在経費はクラウドファンディングで集めた資金を大幅に超えた。
ついにアルスランが日本に到着したのは、予定より50時間以上遅れた4日の夜だった。予想だにしていなかった長旅に、アルスランは疲労困憊。一方、それまでのイベントの2日間、Knee選手は日本人選手と戦い続けた。
そして、その2人がついに出会うーー。
翌日、疲労を引きずりながらもアルスランが会場に現れた。アルスランの到着の遅れによって対戦スケジュールが変更され、この日、アルスランは9人と10試合を戦うことになっていた。
この試合というのが、「10先(さき)」というルール。どちらかが10セット先取するまで終わらない。通常のゲーム大会が「2先」や「3先」であるから、その長さから集中力やスタミナも必要になる。最終的に合計9時間を超える過酷な戦いとなった。
ところがアルスランは逆境の中で輝いていく。初戦の相手には「10-0」で圧勝。その後も次々と日本人選手をなぎ倒していく。
5試合目、注目のカード「アルスラン対Knee」の1戦目だ。しかし、アルスランはKnee選手の強さを実感することになる。じわじわと追い込まれ、必死にくらいつくも「8-10」で敗北。うちひしがれる間もなく、イベントは続いていく。
日本人選手たちも負けていられない。それぞれがアルスランのプレースタイルを研究し、対策を練ってきた。アルスランにとって危うい展開もあったが、アルスラン自身も試合の間に相手に適応し、盛り返し勝利を重ねた。
そして迎えた10試合目。この日の最終ゲームは、再びKnee選手との対戦だ。
立て続け詰め込まれた試合に、アルスランの疲労は限界を迎えようとしていた。しかし、残る力をふりしぼって世界最強選手に立ち向かっていった。
一気に高まる集中力。他の選手がボタンをパチパチ押す音が響く中、アルスランが無音で技を繰り出す姿は異様だ。
アルスランの反応の速さに黒黒さんは「速いといっても、人間の限界はだいたい想定できる。ただ、彼の場合は『1段階違う』」と舌を巻いた。
「10-3」。この試合でアルスランはKnee選手に大勝した。
この日から3日間、アルスランは戦い続けた。そしてKnee選手含め、プレーヤーたちと交流し、日本を後にした。短い期間ではあったが、この日々が、関わった人々に静かに影響を与えていた。
10年以上ゲームイベントを運営してきた黒黒さんにとって、個人として主催するイベントは今回が最後だった。度重なるトラブルに「中止」が頭をよぎったが、それを防いでくれたのはこれまでかかわってきた仲間たちだった。
イベントの代役を務めてくれたKnee選手、タイの航空会社のやりとりを代行してくれたタイの鉄拳プレイヤー、出場した選手の家族も手伝って、何度もピンチを乗り越えた。
5月末に会社を立ち上げ、ビジネスとして新しい試みを続けていく。黒黒さんは「いい最終回だった」と振り返る。
試合の後、「多くの人の助けで、私はここ大阪に来られた。みんなに感謝している」と述べたアルスラン。日本の選手へのメッセージを求められると、「みなさんがパキスタンへ行くことは困難だと思っているかもしれない」と前置きをした上で、こう語った。
「パキスタンに来れば、さらに強くなりますよ」
アルスランとその仲間たちの戦いは、これからも続いていく。
1/60枚