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#8 #まぜこぜ世界へのカケハシ

障害者だからって聖人君子じゃねぇぞ!たけしに絶賛された車いす芸人

「元祖障害者芸人」として、20年以上のキャリアを持つホーキング青山さん=丹治翔撮影
「元祖障害者芸人」として、20年以上のキャリアを持つホーキング青山さん=丹治翔撮影 出典: 朝日新聞

目次

 生まれつき手足が未発達で、車いす生活を送る芸人のホーキング青山さん(45)。早口で毒舌を吐き、「聖人君子」的な障害者イメージを崩しまくる芸風が売りで、あのビートたけしさんからも絶賛されました。「世間の『障害者』への既成概念をひっくり返してやりたい」。確かな「しゃべり」の実力を武器に、青山さんが切り開こうとしている未来とは?(withnews編集部・神戸郁人)

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デビュー第一声は「見せ物小屋へようこそ」

<1994年、芸人の活動を始めた青山さん。手足の関節が発達せず、変形し動かない「先天性多発性関節拘縮症」の当事者として、あけすけな障害者ネタで客席を沸かせてきました>

――なぜ芸人になりたいと思ったのでしょうか

 お笑いや落語を見るのが好きだったんです。10代の頃から、車いすで都内の小劇場に通っていました。毎回立ち見席にいたら、名物のようになってしまって。ある時、江頭2:50さんなどが所属する「大川興業」の大川豊総裁に「舞台に出ないか」と声をかけられました。

 初ライブは94年6月、東京の銀座小劇場で開かれました。どんな芸人に対しても、お客さんって拍手をくれるじゃないですか。ところが、僕がステージに出た時、一つも起きなかったんです。「えっ、こういうやつを出しちゃっていいの」という空気を感じました。

――なかなかに耐えがたい雰囲気ですね……

 そうそう(笑)。その時、とっさに「見せ物小屋へようこそ」って言ったんですよ。これで「笑って良いんだ」と思ってもらえて、ドカーンと会場が沸いた。自分の言葉で、真っ暗な客席から爆笑が起きるっていうのは、これまでに無い快感でしたね。

 当時から「障害者=聖人君子」というイメージは強かったんです。だから、あえて逆をいくネタで攻めました。特別支援学校時代、車いすの座高の高さを活かしてカンニングした話や、障害者の性事情の話などを披露すると、とにかくウケた。

 障害者が「清く正しく美しい存在」として語られがちだったことへの、違和感を表現するようにしていましたね。

ホーキング青山さんは「先天性多発性関節拘縮症」のため、手足の関節が未発達。口でレバーを押し倒すことで、車いすを動かす
ホーキング青山さんは「先天性多発性関節拘縮症」のため、手足の関節が未発達。口でレバーを押し倒すことで、車いすを動かす 出典: 朝日新聞

介助者との間にできる主従関係

<鮮烈なデビューを果たした青山さんですが、その後は障害者ゆえの困難さに直面したといいます>

――手足が動かず、日々の暮らしには介助者が必要かと思います

 そうなんです。目の前にあるカバンをどかすことすら、一人では出来ません。かといってライブの時に、身の回りのことを、他の芸人やイベントスタッフに頼むわけにもいかない。だから、お手伝いしてくれる人を雇っていました。マイナスからのスタートですよ。

 忘れられない出来事もあります。うちのライブの打ち上げで、別の車いす芸人が、介助者からネタのダメ出しをされたんです。マネジャーでもない立場の人で、「舞台に上がってから言え!」と思いました。人の手を借りると、どうしても主従関係が出来てしまうんですね。

――青山さんは生活上のハンデと、どう向き合っていらっしゃいますか

 最初は家族に介護をお願いしていました。ただ、今はそこまででもないけれど、芸人は「飲みニケーション」も重要な仕事だから、深夜帰宅も多くて。仕事が増えると、生活はどんどん不規則になります。

 そこで2009年に介護事業所を立ち上げ、僕自身も利用者として手助けしてもらうようにしました。マネジメントと異なる部分で、介護的な支えがないとどうにもならないのが、障害者芸人の一面です。そういう意味で、他の人とは平等じゃない。

 だからといって、芸人としてそこを大目に見て欲しいとは絶対に思いません。勝負の世界ですから。

車いすを横から見た画。左側にある棒を口で操り、ボタンを押すなどしているという
車いすを横から見た画。左側にある棒を口で操り、ボタンを押すなどしているという 出典: 朝日新聞

ビートたけしに言われた「好きだ」が原点

<青山さんの芸歴を語る上で、避けて通れない存在がいます。芸能界の大ベテラン・ビートたけしさんです>

――それほど、お笑いに情熱を注げる原点とは何でしょうか

 ビートたけしさんの存在ですね。世間の「常識」や各界の「大御所」を話術で切っていくのを、小学生の時に深夜ラジオで聞いて、とりこになりました。世の中を斜めから見る感じが、格好良かった。

 01年に、テレビのバラエティー番組で、何と共演できたんです。司会を務めるたけしさんの前で緊張して何も話せなかったのに、なぜか2回目も呼ばれました。“芸人”という肩書きに「あいつがどれだけやれるか試してみるか」と思ってくれたのかもしれないですね。

 次の収録で披露したのはネタでやっている話。他の出演者の人たちが大爆笑する中、たけしさんだけは「ネタじゃねぇか、馬鹿野郎!」とツッコんだ。「(ネタだと)見抜かれた、スゲェ!」。もう鳥肌ものでしたよ。

 その後、一緒に飲ませて頂いたときに「お前のしゃべりは、俺に似ていて好きだ」と言ってくれました。

――憧れの人に、自分の芸風が評価された。達成感は大きかったでしょうね

 「しゃべり」を評価していただけたのは財産です。大きな自信になりました。だからこそ「もっと面白く、上手くなりたい」という気持ちが強いですね。

イベントでビートたけしさん(右)と対談するホーキング青山さんら
イベントでビートたけしさん(右)と対談するホーキング青山さんら 出典: ホーキング青山プロモーション提供

障害者ネタの「呪縛」抜けだし落語へ

<障害をネタにしてきた立場から見て、社会の障害者への見方が変わってきた印象はあるのか――。答えは意外なものでした>

――25年近く舞台に立つ中で、世間の障害者への見方が変わってきたと感じますか

 少なくともお笑いにおいては、1ミリも変わっていないですね。障害者芸人は増えてきたけれど、やっていることや、笑いが起きる場面は、僕がデビューした頃と同じ。障害の内容が多様化しただけではないでしょうか。

――ある意味、障害者ネタが「テンプレ化」している?

 そうですね。障害者ネタって、障害者自身がやれば必ずウケる「保険」みたいなところがあるんです。でもパターンは限られてくるし、周囲から「世間の障害者像を切る」ことばかり期待されるし。そうなると抜け出せなくなる。「呪縛」ですよね。

 それが嫌だったので、僕は時事ネタ中心の漫談と、最近は落語にも挑戦するようになりました。ちなみに、落語をやる時は「古開院亭大麻(こかいんてい・たいま)」と名乗っています。たけしさんにつけてもらったんですが、ひどいネーミングですね(笑)。

――障害があろうが無かろうが、面白ければいいと

 「面白さ」という健常者の芸人と同じ土俵で評価されることで、初めて「障害者」への既成概念も覆すことができると思うんです。

「古開院亭大麻」の高座名が書かれた「めくり」の前で、変顔を決めるホーキング青山さん(左)
「古開院亭大麻」の高座名が書かれた「めくり」の前で、変顔を決めるホーキング青山さん(左) 出典: ホーキング青山プロモーション提供

「俺が成功している世の中を見てみたい」

<「タブー」を破り続ける芸人である青山さんにとって、お笑いとは何なのか? そして今後の目標とは?>

――青山さんのお話を伺っていると、破るべき「障害者のタブー」って何枚あるんだ、と思わされます

 タブーは、恐らく一枚しかないんだと思っています。でもその一枚がなかなか破れない。破れたと思っても、まだくっついている。そんな状況がずっと続いているんじゃないかと思います。

 結局のところ、障害者芸人が他の芸人やタレントと同じ舞台に立ち、勝負していけるようになるしかないと思っています。僕はもちろん、その先頭にいたいです。

 障害者とは違うけれど、同じマイノリティとしてLGBTの方々がいます。その中から、テレビで活躍するトップ級タレントが現れている。たとえばマツコ・デラックスさんのような、シンボリックな人が障害者の中からも出てこないと。

 徐々に活躍しつつある障害者芸人が、「頑張ろう」と思った時に、どんな支援が、どれくらい必要なのか。今は全然共有されていないから、当然システム化もされていない。これはすごく重要だと思いますね。自分もずいぶん苦労したので、役立てる事もあります。

 そうした情報を広めるためにも、「障害者版マツコ」みたいな存在になって、風穴を開けたいです。僕のような人間が成功している世の中って、どんな風になっているんだろう?見てみたい。そう考えると、必要なのは「存在証明」ですね。

豪快に笑うホーキング青山さん
豪快に笑うホーキング青山さん 出典: 朝日新聞
◆ホーキング青山(ほーきんぐ・あおやま)

 1973年、東京生まれ。芸名は、車いす生活を送った英国の物理学者スティーブン・ホーキング氏にちなむ。94年に芸人デビューを果たし、全国各地でライブ活動を続けてきた。障害者としての生き様を描いた著書が多く、ビートたけし氏との対談を収めたものもある。
◇ ◇ ◇

 一般に、なじみが薄くなりがちな障害者の存在。でも、ふとしたきっかけで、誰もが当事者になるかもしれません。全ての人が、偏見や無理解にさらされず、安心して暮らせる社会をつくるには?みなさんと考えたくて、withnewsでは連載「#まぜこぜ世界へのカケハシ」を企画しました。国連が定めた12月3日の「国際障害者デー」を皮切りに、障害を巡る、様々な人々の思いを伝えていきます。

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