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#2 金正男暗殺を追う
<金正男暗殺を追う>10カ月前の熊本地震、知人に「どうか無事で」
2017年2月に暗殺された金正男(キム・ジョンナム)氏は生前、日本の思い出をよく口にしていた。「赤坂や新橋に立ち寄りました」「おでんの味が忘れられません」。遠く離れてからも日本の知人と連絡を取り合い、再訪を願っていたという。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
正男氏が日本に向けるまなざしを象徴するようなエピソードがある。
暗殺事件の約10カ月前。2016年4月14日夜、九州地方を最大震度7の揺れが襲った。被害の一報を受けた正男氏は、急いで日本の知人あてにメッセージを送った。
「地震があったと聞きました。あなたと、あなたの愛する人たち全員が、どうか安全でありますように」。
行方不明者の捜索が続くなか、2日後にも震度7の地震があり、犠牲者は関連死も含め260人を超えた。正男氏は「なんと恐ろしい。家族や親戚の無事を祈ります」と安否確認を続けた。
正男氏のもとには無事の知らせとともに、お見舞いへの感謝を込めた日本のせんべいが届けられた。正男氏は、そのせんべいを特別な贈り物と受け止めて、パリで闘病中の叔母の病室にまで運び、お裾分けしたという。
正男氏は幼い頃から和食を口にしていたようだ。食に対するこだわりは父の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記ゆずり。金総書記は築地のマグロが好物で、日本から来たスシ職人の藤本健二氏を「お抱え料理人」として雇い入れていたと言われている。
正男氏はマグロに限らず、カツオやサバ、赤貝、アナゴなども好んで食べた。料理人の腕を見極め、ひいきの職人が立つ店によく足を運んだ。周囲には自分のスシ店を持ちたいとも語っていた。
実は正男氏にとって、日本はいい思い出ばかりの場所ではない。2001年には偽造旅券で入国を図ったとして、家族とともに成田空港で拘束され、強制退去処分になった。
正男氏は調べに「ディズニーランドに行きたかった」と話していたという。失態を演じた正男氏は、その後、北朝鮮の指導者の後継レースからも脱落していった。
正男氏は強制退去になった後も、日本に思いを寄せ続けた。近しい知人には「日本の収容施設で出された白米がおいしかった」と話し、当時の担当職員の細やかな対応に感謝していたという。
また1990年代にたびたび日本に「極秘入国」し、在日朝鮮人の人たちに手厚いもてなしを受けたことも明かしていた。
赤坂や新橋といった地名を出しながら、こう語っていたという。
「高級な韓国クラブもよかったけど、忘れられないのは、庶民的な焼き鳥やおでんの味。いつかまた日本に行けるだろうか」
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【金正男氏と強制退去】2001年5月、女性2人と男児1人との計4人で成田空港に到着した正男氏は、ドミニカ共和国の偽造旅券を持っていたとして拘束された。法務当局が不法入国にあたると判断し、正男氏の希望に添って北京に送還した。世界では当時、ドミニカ共和国の旅券を悪用する事例が多かったという。
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