話題
「僕は今、社会の最底辺にいる」生活保護を申請した男性の告白
「ADHD」「LGBT」という二つの生きづらさを抱えるダブルマイノリティの男性。生活保護を申請するまでの想いを、本人の手記として寄せてくれました。自らの状況を「社会の最底辺」と表現した男性が、再出発を果たすまでの記録です。
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「ADHD」「LGBT」という二つの生きづらさを抱えるダブルマイノリティの男性。生活保護を申請するまでの想いを、本人の手記として寄せてくれました。自らの状況を「社会の最底辺」と表現した男性が、再出発を果たすまでの記録です。
生活保護を申請したという男性が、手記を書いてくれました。ハンドルネーム「たぬ吉」さん。33歳。生活保護には、いろんなイメージがあります。不正受給や「働かずに楽をしている」といった悪いイメージをもつ人も、少なくありません。実際に申請する人の事情はそれぞれ多様ではありますが、ひとつの例をご紹介します。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美)
たぬ吉さんは、東京都八王子市在住です。
生活保護をなぜ申請したのか。どういう気持ちで申請したのか。
ここから、彼の文章です。
ひい、ふう、みい。
財布の中身をベッドの上に並べてみると、そこには折目のついた3枚の千円札と、鈍く光る小銭が数枚あった。銀行にいくらか記憶違いで入ってないだろうかと、祈るような気持ちでATMまで行ってみたけれど、表示された残高はたったの数百円。家に貯金箱なんてものは存在しないので、紛れもなくこれが全財産である。
とち狂ったように届く電気やらガスやら請求書の山とそれらを交互ににらんでみるが、どうあがいても詰んでいる。八方ふさがりとはまさにこのことだった。
僕は3年前、某大学病院でADHDという発達障害の診断を受けている。
この障害は不注意によるミスや忘れ物が多かったり、朝の支度が間に合わず会社に遅刻してしまったり、お金の管理が苦手だったりと、自分の細かい行動をうまく制御できない性質を持っている。
また、愛着障害と呼ばれる軽度の精神疾患も抱えている。これが原因で、ささいなことに怒ったり傷付いたりしてしまうため、周囲との良好な人間関係を築くことが難しく、トラブルを起こしてしまいがちだ。この疾患はいわゆる「毒親」 による過干渉、あるいは無関心といった極端な養育環境により、自己肯定感が十分に育たないことが要因と言われている。
2ヶ月前に辞めた職場はひと月と持たなかったし、それ以前に勤めた会社もほとんどが半年以内に辞めてしまっている。無論、そのすべての退職理由が人間関係の悪化によるものだった。
家は母子家庭で、もともと経済的な余裕はあまりなく、大人になってからもそれは変わらなかった。姉がキャバクラで働いて家計を支える反面、無職の母親が毎日のようにパチンコへ通うというズブズブの共依存で、自分はとうに縁を切ってしまった。
それゆえ金銭面では一切頼れないのが実情だ。
背に腹は代えられないと、恥を忍んである友人にかけ合ったところ、彼は穏やかな口調でこう言った。
「今回俺が金を貸すことで一時的にしのげたとしても、またどこかのタイミングで同じことが起こると思う。俺はその時きっと力になってあげられないし、今よりもっと追い詰められた状況を見聞きするのも辛い。事情を話して、生活保護を受けてみたらどうかな。それは全然恥ずかしいことじゃなくて、国民の権利だからさ」
正論すぎて、ぐうの音も出なかった。
僕だって生活保護という選択肢が考えつかなかったわけではない。でもそれは自分の中で死ぬほど恥ずかしいことだと思っていたし、もっと過酷な状況下じゃないと認めてもらえないだろうという先入観もあり、無意識に避けていたのだった。
これ以上他人に迷惑をかけることはできないと思った。
断られたのはショックだったけど、むしろ本質的な提案をしてくれたことに感謝しなくてはいけない。彼は僕の最後のためらいに、優しく背中を押してくれたのだ。
昨今の不正受給問題や保護費削減など、ネガティブイメージもあり、相談に行くのは大いにはばかられる。
でも、腹をくくるしかなかった。
役所に行く前、そもそも生活保護というセーフティネットが一体どういうものなのか、自分なりに調べてみた。金額や条件、必要書類など、大抵のことはネットに書いてあったけれど、一方で「 門前払いや堂々巡りの押し問答は当たり前」「 申請用紙すら出し渋る職員がいる」など真偽が定かではないことも数多くうわさされていた。
ネット情報を読むと、「初回の相談ではまず通らない」「 血縁関係者に断られたという証明が必要」など、申請者のリテラシーの低さにつけ込んでデタラメを並べる職員もいるとある。役所側の水際作戦も年々巧妙になっているのだろうか。
他にも「ずるい不正受給者を懲らしめる」という内容のテレビのドキュメンタリー番組を偶然見て、とても衝撃を受けた。僕にはそれが国民の悪感情を誘うためのプロパガンダに見えてしまった。本当に必要で受給している人たちは、とても動揺したことだろう。
これは一筋縄ではいかないな……。
そう悟った僕は、近くの図書館で生活保護に関する書籍を手当たり次第読みあさった 。そしてわかった大事なことは、借金の有無は関係ないこと、今の家賃が規定額をオーバーしていても大丈夫なこと、申請する権利は誰にでもあるということだった。
申請窓口で何を言われても言い返せるように、反論用のメモまで控えた。そして戦々恐々とケンカするつもりで市役所を訪れてみたけれど、実際の対応は極めて真摯かつ常識的なもので拍子抜けしてしまった 。
「こちらへどうぞ」
厚めの仕切りで囲まれた半個室へ通されると、 預貯金や手持ちの金額、借金の有無、持病の有無、家族構成、簡単な職歴など、生活保護を申請するに至った経緯までざっと質問された。
受付をしてくれたケースワーカーの女性は大変感じが良く、就労支援員と呼ばれる初老の男性も同席してくれた。
ADHDの説明をすると、その男性から「 かかったのはどちらの病院でした?」と聞かれた。病院名と担当医師の名前を伝えると、男性は偶然にもその医師の存在を認知していた。
「あぁ○○先生ね! よく存じ上げてますよ。 講演なんかにも何回もうかがったことあります、有名な方ですから。この仕事してるとね、ADHDの方もよく相談に来られるんですよ。だからまずは当事者のことを知らなきゃと思って、勉強させてもらってるんですよ。今まで辛かったですねぇ」
辛かったですね、という共感の言葉に、思わず目頭が熱くなった。
それから手続きに必要な複数の確認書類へ署名・捺印した。賃貸契約書と銀行残高のわかるものの提出も必須とのことだったので、一度家に取りに帰った。そして「保険証を返却する必要があるため、病院にかかる際は医療券というものを発行します」と説明を受けた。今後身分証が必要になると思うから、マイナンバーカードを作成するように勧められた。有料で販売されているゴミ袋も半年分を現物支給してくれた。
背水の陣で臨んだ生活保護費の申請は、結論から言うと、わずか9日ほどであっさり通った。
「申請が通りましたので、お金を取りに来てください」と電話で告げられ、その翌日に担当のケースワーカーのもとへ出向いた。
生活支援課の窓口には酔っているのかと疑うほど顔を真っ赤にしたおじさんや 、乱れ髪でブツブツと独り言を呟き続ける妙齢の女性など、失礼ながら「普通」とは思ってもらえないだろう人たちが待機していた。ここへ来ている時点で、他人をどうこう言えた立場ではないのだが、せめて見た目や挙動くらいは「正常な人」に見られたいと願った。
受け取りの手続きを済ませると、給料袋のような厚手の茶封筒を渡された。中には家賃といくばくかの生活費が入っていて、その場で金額を確認するように指示された。
あまり大きな声では言えないけれど、不思議と惨めだという感情は薄く、むしろ定型の生活から解放される安堵のほうがそれらを圧倒的に上回っていた。
「まともな生活」がしたいのに、いつもできなかった。
睡眠障害や聴覚過敏の影響もあり、普通の人より身体的な負荷やストレスを受けやすく、外で一日過ごすだけで疲労困憊の状態になってしまうのだ。睡眠も浅く不安定なので、時間に起きられず欠勤してしまうこともたびたびあった。
そして僕が社会に馴染めなかったもう一つの理由は、自分がゲイであるということだ。
LGBT×ADHDという生きづらさを二重に抱える当事者は「ダブルマイノリティ」と呼ばれていて、少数派の中のさらに少数派という属性になり、一般社会に適応するのは極めて難しいと言われている。
今回も、いつもなら付き合って5年目になる相方に真っ先に相談するのだけど、ケンカをしていたというのもあり、自分からは絶対に連絡しないと決めていた。何より、
「俺がいないと生きていけないくせに」
もう、そんなことを言われるのは嫌だった。
そうした諸々の事情を考慮して、生活支援課での話し合いでは、今後の就職活動は障害者手帳を取得してから考える方向で決まった。
当面の間は辛かった朝も無理に起きなくていいし、遅刻やずる休みをして自責の念にかられることもない。毎日吐きそうになりながら満員電車に乗り込んで、「死にたい」という衝動に苛まれることもない。
普通の生活を送ることが、普通に育ててくれなかった親への復讐なのだと、今まで虚勢を張って生きてきたけれど、どうやら血は争えないらしい。由緒正しいアウトローの僕は、どんなに頑張っても普通になることはできないのだ。
「 生活保護なんてクズだ」と後ろ指を指されたっていい。
結婚、正社員、安定収入、穏やかな日常。諦めるものが多すぎた僕に、今さら失うものなど何もない。
僕は今、社会の最底辺にいる。
いつか世界と仲直りできるように、欠陥だらけの僕を、今日ここに告白する。
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