連載
#8 辺境旅
日本最長「路線バス」乗ってみた 6時間40分座りたどり着いた境地
全長167キロ、停留所数はなんと166。奈良交通の「八木新宮特急」は、高速道路を走らない日本一長い路線バスだ。近鉄大和八木駅(奈良県橿原市)とJR紀勢線の新宮駅(和歌山県新宮市)を結ぶこの路線。高校生の頃から「いつかは乗りたい」という夢がかない、乗車することに。景色の移ろい、乗客との交流。運賃5250円の価値は……たしかにありました。(朝日新聞徳島総局記者・鈴木智之)
バスは、1日3往復。新宮駅発は午前5時53分、7時46分、9時59分の3便。選んだのは9時59分発の終バスだ。あきらめて途中下車しようものなら、次の便は翌日だ。
出発5分前、駅前の停留所で、あこがれのバスは待っていた。青空の下、「大和八木」行きを示す電光掲示板がまぶしい。記念撮影もそこそこに、眺めの良い前方の座席を確保した。同乗者は温泉へ向かう数人の外国人客ら。定刻通りに出発。液晶画面には「大和八木まで約6時間40分」とある。改めて長旅を覚悟する。
あっという間に市街地を抜け、雄大な紀伊山地へと分け入る。熊野川沿いの国道168号を順調に北上。天候に恵まれ、気分は晴れやかだ。
物心ついた時からバス好きだった私には幸せなひととき。10時間でも20時間でも乗っていられそうだ。
およそ1時間で、川湯、湯の峰の温泉街へ。普通車でも運転が難しい曲がりくねった道を、ベテラン運転手が、いともたやすく進んでゆく。
外国人客が降りていった。代わりに60代とみられる女性が1人乗ってきた。湯治に訪れ、奈良市の自宅へ帰るという。「このまま乗ったらいつ帰れるんやろ」。
聞けば往路は大阪まで出て、和歌山の紀伊田辺駅までJR紀勢線で南下し、紀伊水道側から紀伊山地に入るバスに乗ってきたという。
帰りもあと10分ほどで着く本宮大社前で紀伊田辺行きのバスに乗り換えるつもりだったが、「大和八木行き」(奈良県の平野部まで一気に出られる)だと知ってこのバスで奈良県側まで北上した場合の到着時刻が気になったらしい。
バス運転中で調べられない運転手に代わって、スマホで検索。
「このバスに奈良県の五条駅まで乗り続けたら午後5時過ぎに奈良市に着きますよ」。紀伊田辺に出る方法より早いとはいえ、五条駅まで4時間以上同じバスに揺られる必要がある。
「時間かかっても紀伊田辺に出る方が楽かも」と運転手。女性はしばし迷っていたが、「このまま乗ります」。
世界遺産「熊野古道」で知られる熊野本宮大社最寄りのバス停を通過した。実はバス旅の安全を祈願して、前日にお参りしておいた。
バスはずんずん山道を進み、高度を上げる。「疲れませんか」。運転手が先ほどの女性を気遣う。「昔、バスの車掌をしていたの。思い出して楽しんでます」「それはそれは下手な運転はできませんね」
笑い声に包まれ、バスは県境を越える。東京23区よりも広い日本最大の村、奈良県十津川村だ。
改良された国道のバイパスを避け、集落がある険しい旧道を右に左に。バス旅ならではの景色だ。バス停で乗ってきた地元の人が数停留所乗っては降りていく。しっかりと生活に根ざした路線バスなんだなあ。
出発から2時間10分。時刻は正午を回った。奈良交通十津川営業所前の停留所でトイレ休憩。正直、もうかなり達成感はある。距離がまだ全体の半分にも満たない現実にやや疲れを感じ始めた。
リクライニングのないバスにあと4時間以上乗り続けられるのか、心拍が上がる。停留所近くにあった温泉の流れる手洗い場で、ほっと一息。
今度はゆっくりつかりたいと思いながら、再度着席。先ほどの女性に「関西のおばちゃんのかばんには、こんなもんが入ってるんや」。もらったお菓子を口に含むと、疲れがすっと引いた気がした。
運転手がマイク越しに静かに語り始めた。「このあたりは2011年秋の台風12号で大きな被害を受けました」。この路線も約2カ月間運休したという。6年以上経った今も、木がごっそりと抜けた山肌や、住宅があったであろう空き地が次々と車窓に写り、女性とともに言葉を失う。「復興には時間がかかるんやね」
1時間後、「上野地」で2回目の休憩。ようやく半分を超えた。「なぜ、わざわざこんなバスに乗っているのだろう」という疑問が頭をもたげる。
ただ、ここでぼーっと逡巡する暇はない。日本有数の長さを誇る歩行者用つり橋「谷瀬のつり橋」の最寄り。約20分の休憩時間に急げば往復できるらしい。
清流にかかるつり橋は長さ297メートル、高さ54メートル。想像以上のスケールで脚がすくむ。が、早くしないとバスが出る。意を決して踏み出した。
再々出発したバスは、十津川を横目に北上を続ける。車窓を凝視していた目にも疲れが。睡魔に負けそうになるが、ほっぺをつねって気合を入れ直す。
「終点まで寝ない」というのが目標だ。やがて紀伊半島の分水界(熊野川水系と紀の川水系)でかつての難所だった天辻峠をトンネルで抜け、五條市へ。
バスは標高640メートルから一気に山を下る。日も落ち始めた午後3時10分、五条駅に到着。山里から都市部の景色へと移ろい、「日本って広いんだなあ」。旅をともにした女性ともお別れだ。
近くの五條バスセンターで3回目の休憩を取り、バスは最後の力走に備える。「疲れませんでしたか?」。ついに私も運転手に気遣われた。「いや、大丈夫です。昔から乗りたかったんです」。眠気に襲われそうだったとはとても言えない。
ラストスパートは、商業地や住宅地などを走る。交通量が多く、乗客の入れ替わりも激しい。
午後4時半過ぎ、夕刻の車内に最後のアナウンスが響く。「次は終点、大和八木駅」。名残惜しさとようやく着くという達成感がないまぜになる。
料金表示を見ると、私が持つ整理券「1」は5250円(ちなみに最後は「109」で190円)。運賃は事前に調べていたが、改めて見ると感慨深い。
乗り通したのは運転手と私の二人だけ。駅前ロータリーを回り、バスはぴたっと終着。
身体の一部と化したような座席に別れを告げ、最後に立ち上がる。降り際「ありがとうございました」と言うと、「まあこんなもんかという感じでしょ」と運転手。「いえいえ、良い運転でした」。なんだか上から目線のコメントをしてしまった。
最後まで集中力を切らさない運転手の姿に敬意を払い、車庫に去るバスを見送った。気がつけば、不思議と疲れも眠気も感じない。「今度は新宮行きに乗るぞ」
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