話題
電通過労死「問題は、鬼十則じゃない」元役員、実名で”最後の独白”
新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が過労自殺し、労災認定されたことに端を発した電通の違法残業事件。たびたび問題視されたのが過酷な働き方の指針になったと言われる「鬼十則」です。ところが、電通元常務執行役員の藤原治氏は「上司や同僚の口から聞いたことは一度もなかった」と言います。「鬼十則よりも理解するべき特殊な体質がある」。かつて経営の中枢にいた電通元役員。“最後の独白”が訴えることとは?(朝日新聞記者・高野真吾)
―電通の企業体質というと、思い出すのは4代目社長で、「広告の鬼」と呼ばれた故吉田秀雄氏が書いた遺訓「鬼十則」です。特に「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」という一節は、過労自殺した新入社員・高橋まつりさんの遺族側が問題視しました。
「マスコミの皆さんは、何かと『鬼十則』を取り上げ、電通の風土を醸成していると書きますが、全くのウソです。確かに、昨年まで社員手帳に掲載され、社長の年頭あいさつや入社式の祝辞などでも引用されました。しかし、私が勤めた34年間で、上司や同僚の口から『鬼十則』を聞いたことは一度もなかったのです」
―朝日新聞も「手帳に『鬼十則』 電通取りやめ検討」(2016年11月18日朝刊)など、随時、「鬼十則」について報道してきました。意味のない報道だと。
「『鬼十則』ができたのは、終戦から6年後の1951年で、当時は社長だった吉田氏が『仕事は死んでも放すな』と叱咤(しった)激励しなければ働かないほど、社員の質が悪かったのです。今は東大はじめ有名大学の出身者ばかりで、『鬼十則』に書かれている精神論は必要ありません」
「どの企業にもある、社是社訓と同じです。分かりやすいフレーズが盛り込まれているからといって、『鬼十則』を必要以上に取り上げる暇があったら、マスコミは電通の会社としての特殊性や企業体質にもっと踏み込み、考察し、報道すべきです。もちろん電通の特殊性や企業体質が、過労死や長時間労働を産んだ言い訳にはなりません。ですが、電通の本質を理解しないと、電通が取り組んでいる『働き方改革』が、妥当かどうかチェックできないでしょう」
―その理解すべき特殊性とは、何でしょうか。
「私は40代後半のころ、電通の経営計画室にいて、本格的に電通の経営管理を研究しました。その中で、他社にはない二つの特殊性に気づいたのです。それは、『ユルユル体質』と『履き違えた自由体質』でした」
「電通の歴史から『ユルユル体質』を説明します。電通は、かつては日本電報通信社という名前で、報道機関などにニュースを配信する通信社事業もしていました。その事業は1936年に同盟通信社(現在の共同通信社、時事通信社)に譲渡され、逆に同盟通信社の広告事業がきて、広告専業になりました」
―通信社事業をしていたというのが、ポイントになるのでしょうか。
「その通りです。広告専業になっても、日夜ニュースを追いかける通信社のDNAが残り続けたのです。ニュースを追う仕事は、製造業や小売業のように就業時間を明確に決めることは難しいですよね。さらに震災や大事件、近いところでいうと衆院の解散・総選挙の準備で忙しいのに、『定時で上がります』と誰が言えますか。高野さんも、記事のためプライベートの時間を随分、犠牲にしてきたでしょう?」
「ジャーナリストの田原総一朗さんは著書の『電通』で、この組織を『アメーバ』と表現しました。上から命令されるのでなく、自分自身の嗅覚(きゅうかく)で仕事のウィングを広げ、『おぜぜ(お金)』を稼ぎ出す。新聞記者が、自分の判断で夜討ち朝駆けをするようなものです。そんな組織と働き方が、残業規制を含めた会社からの細かい管理を現場が嫌う『ユルユル体質』を産んだと考えます」
―もう一つの「履き違えた自由体質」とは、どういうものですか。
「広告会社の仕事には外部からの監視の目が届きにくいのです。例えば、テレビ局のような許認可事業は監督官庁に業務内容をチェックされますが、広告会社には同じようなことは、ほぼありません。取引先、顧客からのチェックも限られます。新聞社が数百万人という読者から指摘を受けるのに対し、電通のクライアント数は、3千社前後に過ぎません」
「そもそもクライアントを広告によって有名にさせることを第一とする黒衣集団だから、外の人には何をやっているか分かりません。90年前後に話題となった、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』では、官僚組織や経団連、農協と共に、電通が陰の権力組織として研究されています。しかし、私が知る限り、政界の黒幕と呼ばれたり、日本社会をウラで牛耳ったりできるほどの力はありません」
―仮に二つの特殊性があるとしても、それがどのように今回の残業事件につながるのでしょうか。
「二つの特殊性が産んだ、企業体質をさらに理解する必要があります。その一つが『現場優先体質』です」
「『現場優先体質』は、『コンペ至上主義』とも言い換えられます。広告契約を取るためのコンペで他社に負けないためには、何事もクライアント最優先にする必要があります。管理部門が労働規制などをしようとしても、『それでコンペに負けたらどうする』と現場が反発するのです。それほどまでに電通では、現場の声が非常に強いのです」
「それは人事にも反映されます。仕事ができる優秀な人材ほど営業部門などの現場にいます。その裏返しで、管理部門に配属されるのは、現場に出られないと判断された人が多い。そういう力関係で、現場が管理部門の言うことを聞きますか?」
―そうした人事では、現場は管理部門の言うことを聞きそうにもありません。
「電通は高橋まつりさんの自殺以前の2014年、2015年にも社員に違法な長時間労働をさせたとして労働基準監督署から是正勧告を受けています。それでも現場の働き方を変えられなかったのは、こうした企業体質があります」
「さらに過去にさかのぼって話をすると、電通の若い社員が過労自殺したのは、今回が初めてではありません。1991年に入社2年目の男性社員が、24歳の若さで自ら命を絶ちました。その後、遺族が電通に対して民事訴訟を起こし、2000年に最高裁が電通側の上告を棄却したことで、高裁の勧告によって和解が成立しました。その時に電通は遺族に1億6800万円を支払うとともに、謝罪もしました」
「残念ながら、電通はこの時の教訓を全く生かせず、再度、未来ある若者の犠牲者を出しました。元常務執行役員だった私自身、社内の労務管理強化について、何かできたことがなかったか自省しています」
藤原治(ふじわら・おさむ)1946年、京都府生まれ。東大法学部卒、慶大大学院経営管理研究科(MBA)修了。72年に電通入社し、新聞雑誌局地方部に勤務。88年、世界平和研究所に出向。その後、電通・経営計画室長などを経て、2004年、電通総研社長兼電通・執行役員(05年、常務執行役員)に就任。06年退社。著書に「ネット時代10年後、新聞とテレビはこうなる」(朝日新聞社)、「広告会社は変われるか」(ダイヤモンド社)など。
1/165枚