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「ド派手仏像」と「変顔サル」 日光で考えた文化財保護のあり方

日光の「見ざる・言わざる・聞かざる」の顔が今春、修理で大きく変わり、専門家に見て頂くと「問題あり」と言われました。「過去が再現できていないから」ですが、江戸時代から何度も塗り替えている顔は、何が「本当」かは分かりません。何を基準に修理すべきなのか。かつて海外で見たド派手な電飾の仏像から考えました。

ミャンマーの電飾された仏像(左、pixta)と日光東照宮の「言わざる」
ミャンマーの電飾された仏像(左、pixta)と日光東照宮の「言わざる」 出典: pixta

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 日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」像の修理で今春、猿の顔が大きく変わりました。ネットにも批判的な意見が多く、取材したところ、専門家の見解は、顔が再現できていないのは「課題アリ」。でも、江戸時代から何度も塗り替えている猿は、本当のもとの顔は分かりません。何を基準に修理するのが本当に正しいの? それを考えるヒントをくれたのは、かつて海外で見たド派手な電飾の仏像たちでした。

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度肝をぬかれたミャンマー仏像

 てなわけで、いきなり私事で恐縮ですが、16年前、ミャンマーを旅行しました。そのとき、度肝をぬかれたのが、仏像の背後で輝く「後光」です。比喩ではなく本当に光っていて、夜の街の看板のようにネオンでビカビカに光が動いていました。

ミャンマー、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダにある仏像。後光の差している部分は電飾で表現されている
ミャンマー、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダにある仏像。後光の差している部分は電飾で表現されている 出典:pixta

 この電飾仏像、結構、いろんなお寺にあるんです。この「後光」。最初に見たのは当時の首都、ヤンゴンの歴史あるシュエダゴンパゴダというお寺で、正直「え、マジ?」と思ってしまいました。当然ながら、建造時からこの姿だったわけがありません。

 今回、「見ざる・言わざる・聞かざる」の修理の評価をお願いした窪寺茂さんは、建物の塗装(彩色)の専門家。文化財研究の名門、奈良文化財研究所で建造物研究室長を務めていたほか、名古屋城の復元の専門委員を務めるなど、経験豊富な方です。

 で、前々から不思議に思っていたミャンマーの電飾仏像について「文化財保護の観点からどうなんでしょう」と、聞いてみました。

信仰の場「自然」な改変

シュエダゴンパゴダ
シュエダゴンパゴダ 出典:pixta

 アジアの文化財関係者に技術指導することも多いという窪寺さんは、「確かに東南アジアの仏教系の文化財は現在も改変が多いし、それを彼らも当然と捉えています」と教えてくれました。

 「ポイントは、その施設が地元の信仰の中で生きている、ということだと思います。お寺や施設が今もなお、元々建てられた理由の範囲内で変化を続けているわけです。その中で、改変が加えられていくのは自然なことだと思います」

 確かに、ミャンマーでは、観光客が集まる仏閣でも、熱心な信者さんが真剣に祈っていました。確かに日本の寺社仏閣でも信心深い方々がたくさん参拝しておられますが、旅行者感覚では、日本よりもそうした方々の割合が多かったように思います。

江戸時代、日光も改変

日光東照宮のすす払い
日光東照宮のすす払い 出典: 朝日新聞

 「国内の古い寺社仏閣にも、そうした国外の宗教施設のような民衆の強い信仰心など、時の社会的背景によって運営された時代がありました。そうした時代の歴史性、文化性を後世に伝えるのも、国内の文化財保護のあり方だと思います」と窪寺さんは言います。

 「神君家康公」を祭った日光東照宮でも、江戸時代は多くの改変がありました。代表的な陽明門も、ヒノキの皮でふかれた屋根が瓦に変わり、褐色だった門柱は白く塗り直されています。

 こうした活動は、江戸時代に、幕府が自らの正当性を民衆に訴えるという主目的の中で、とられたものです。「そうした時代の証拠として、そうした改変も含めた江戸期の状況をありのままに残すことが、日光東照宮では大切です。他の文化財でも残すべきところを精査することが重要です」と窪寺さんは言います。

時代の証拠「稚拙でも残すべき」

 従って、窪寺さんは「修復すべき文化財の中で、技術的に稚拙な塗装があったとしても、それはその時代にそういう稚拙な職人がおり、それが許されたという事実を残すという意味で、そのまま残すべきだ」と考えています。

木の幹の部分に、青色の丸と水色の縁取りで描かれているのが「大和苔」。窪寺さんによれば「違和感があるが、適切な修理」
木の幹の部分に、青色の丸と水色の縁取りで描かれているのが「大和苔」。窪寺さんによれば「違和感があるが、適切な修理」

 例えば、「見ざる・言わざる・聞かざる」の座っている木の幹に描かれた「大和苔」と言われるコケの模様に、窪寺さんは「17世紀前後に多く見られる大和苔とは異なる表現で、違和感があった」といいます。

 しかし今回、修理を担当した日光社寺文化財保存会が手本とした資料の中でも、この大和苔の表現は「違和感があるもの」でした。「違和感があるものをそのまま再現しているので、これは適切な修理だったと思います」

「時代、正確に再現を」

日光東照宮で修理の結果を確認する窪寺さん
日光東照宮で修理の結果を確認する窪寺さん

 窪寺さんはかつて、監督した別の文化財修理の現場で、職人さんが「もとの塗装よりも上手に直してしまった」経験があります。その際は「元通りの下手な塗り方に直してもらった」とのことでした。

 現在でも、文化財の修理で元よりも「上手に」直されているものがあるのかもしれません。この点について、窪寺さんは「修理で、職人の個性は排除されるべきです。正確に時代を再現するための資料整備と人材確保が大切です」と訴えます。

東照宮「時代に合った変化もあるべき」

日光東照宮公式サイト
日光東照宮公式サイト 出典:日光東照宮ホームページ

 さて、こうした考え方に、今も宗教施設として運営している日光東照宮の人たちはどう思うのでしょうか。総務部長の稲葉尚正さんにも伺いました。

 「観光の参拝客は多いですが、観光での参拝も信仰の形のひとつ。東照宮は、ひたすら骨董品のように守るものではなく、時代に合った変化もあるべきかと思います。ただし、変わらないものを提供し続け、安心を与えるのも神道です。修理でも繰り返し、一生懸命同じものを提供してきたと思っています」

 と、必ずしも窪寺さんの考えと同じではないですが、共存できる部分はありそうです。今回の窪寺さんの指摘には、「今後の修理に備え、今回の修理経緯に関する資料を整理して伝え、(修理を担当した)保存会の検討課題として活かしていただきたい」とのコメントを頂きました。

文化財保護、再考の時期

 文化財を純粋に歴史の証拠と捉えた場合、「現存するものをそのまま残すことによって、歴史の実態を将来に伝えることが大事だ」と窪寺さんは考えています。一方で、文化財は信徒や所有者にとっては単なる歴史資料ではなく、今も生きた信仰や生活の一部で、「より望ましい形」への改変の希望があってもおかしくありません。

 東南アジアでも現在、自由な改変は文化財の価値を損ねると、異を唱える地元研究者が増えているそうです。また、今回の日光の一件のように、国内での「文化財」としての寺社仏閣の修理であっても、職人の個性が反映されるなどして「ありのまま」では残らないケースもまだありそうです。

 「明治時代に本格化した『文化財修理』の歴史を検証し、文化財の何をどう残すべきか、これからの文化財保護のあり方を再検討すべき時期に来ていると思います。そのために、国もリーダーシップを発揮して欲しい」と窪寺さんは願っています。

◇◇◇

 今回の「見ざる・言わざる・聞かざる」の修理は、文化庁の補助事業でした。文化庁は今回の修理について、現場での確認はしていません。「(専門家が集まった)文化審議会での諮問に応じて選定した団体に任せた工事なので、技術的な品質は保証されている」(担当者)として、報告書のみによるチェックにとどまっています。

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