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「嫁と子どもに会いにいく」 熊本地震、山に消えた背中の覚悟
大きな災害の現場から届く写真には、伝える使命感だけでなく、逡巡の末にシャッターが切られた1枚があります。熊本地震を取材した朝日新聞東京本社・映像報道部の金川雄策カメラマン(34)はあの日、ファインダー越しに、一人の男性の背中を見送りました。
崩れた建物も、床に散乱にした家財道具も、救助に当たる人々の姿も、この写真にはありません。草木が茂る山中を、向こう側へと急ぐ男性の後ろ姿。撮影したのは4月16日午前8時30分。「本震」のおよそ7時間後のことでした。
金川カメラマンはこの日、西原村を取材していました。道が寸断され、徒歩で引き返していたときのこと。戻ってきた方へと、足早に向かう男性に気づきました。
「どこに行かれるんですか?」
「向こうの集落の避難所にいるはずの嫁と子どもに会いにいくんだ。ついてくるか?」
金川カメラマンに応えながらも、まっすぐに前をみつめ、歩を進めます。
男性は生木が突き出た土砂の上を登ろうとしました。危険だと止めると、今度は山を越えようと茂みの中へ突き進んでいきます。地割れが走る山肌、足を奪うほど軟らかい土。二次災害がよぎり、金川カメラマンがためらう間も、男性の背中は遠ざかっていきます。
「来ねえのか?」。男性の声が飛んできますが、追いかけることはできませんでした。次第に小さくなる背中を見送りながら、数回、シャッターを切りました。
「男性の背中に意志を感じて、撮りました。無理にでも止めるべきだったかもしれないし、ついて行けば再会のすごいシーンが撮れたかもしれない。何が正しかったんだろう、と今でも考えます」
その後、男性が集落にたどり着けたのか、家族と会えたのかは、わかっていません。
金川カメラマンは14日夜の「前震」後すぐに、熊本へと向かいました。テレビで地震発生を伝える速報から20分ほどで、北九州(福岡)行きの最終便に乗るため、東京本社を出たそうです。
北九州空港からは手配したタクシーで熊本へ。車内での3時間は「寝ようと思って目を閉じても、緊張していたのか、全然寝られませんでした」
熊本に着いたのは社を出て7時間が経った、15日午前5時ごろ。
夜明けを待って、益城町に入りました。両肩から下げた2台のカメラなど、機材は全部で15キロ。しかも着の身着のまま飛び出したため、足元は革靴。とはいえ、非常時で気が張っていたからか、徹夜明けでも自然と脚が動きます。
倒れた家から生活用品を探し出そうとする人、屋根にブルーシートをかける人、遺体安置所を訪れる人……。
災害の取材は何度経験しても、決して慣れることはありません。現場にいるからこそ撮れるもの、撮らなければならないものがある一方、カメラを向けていいものか悩み、自分を奮い立たせる場面も数多くあります。
「災害現場の撮影が、唯一普段と違うのは、みんな傷ついているということ。それでも撮らないといけないんです」
「取材が始まってしまえば、やるしかない。ここに来ているのは撮るため、伝えるためなんだと、自分に言い聞かせるしかないです。鉄則はない。本当にない。傷ついている人をそれ以上傷つけないようにするというのは、もちろんありますけど……」
金川カメラマンはこうも言います。「みんなが大変なときに土足で入るから、怒られて当然なんです」。だからこそ、無断で撮るのではなく、できる限り声をかけ、時間をかけて話を聞く。その上で、誠意をもって撮らせてもらう。
「声をかけると、『うちがめちゃくちゃになって』とか、『机の下に逃げたから大丈夫だった』とか、いろんな話をしてくれます。それから撮影をお願いして、断られることもある。嫌がる人は撮りません」
金川カメラマンは3日間の取材で、およそ2千コマを撮影しました。そのうちの1枚は16日、朝刊1面(一部紙面)に載りました。
前震の翌日、益城町で出会った武久成美さんと母を捉えたカットです。
認知症と糖尿病を患う88歳のお母さんは、おむつや多くの医療用の器具が必要で、2人は「避難所に入ろうにも、まわりに迷惑をかける」と、路上で過ごしていました。
後日、東京本社に戻った金川カメラマンの元には、成美さんの息子さんから電話がかかってきたそうです。「あの写真を見て、炊き出しをするようになった。ごめん。ありがとう」
金川カメラマンは、撮影時に彼から言われた「手伝わないんだったら帰ってくれ」という言葉を思い返していました。
「カメラマンって、嫌われ仕事という面もあるので、許容するというか、自分の中で我慢するというか、そこの覚悟は持たないといけない。今回はこう言ってもらえたからハッピーだけど、そうならなかったら、わからない」
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