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「ぼく、しむ」ドナーを待つ息子のために父は… 骨髄バンクのピンチ
10年で22万人が〝引退〟
今後10年以内に22万人が〝引退〟してしまう――。白血病などの病気の患者と、ボランティアで登録した骨髄提供のドナーをつなぐ日本骨髄バンク。ドナーになれるのは55歳までですが、現在の登録者の半数超が40代以上で、若い世代の登録が喫緊の課題となっています。10月は骨髄バンクの推進月間。ドナーを待つ患者家族と、偶然の巡り合わせでドナーになった女性を取材しました。 (withnews編集部・水野梓)
「おとうさん、ぼく、しむ(死ぬ)」
5歳を迎えようとしていた頃、田中謙智くんは病室のベッドの上で、ぽつりとつぶやきました。
大阪に住む謙智くんは、4歳の時に「再生不良性貧血」と診断されました。
39度の熱が出たため、かかりつけ医を受診。鼻に綿棒を入れて行った新型コロナの検査は陰性でした。
しかし帰宅後、鼻血が止まらなくなり、再び受診。血液検査で詳しく調べると、血小板の値が低いと分かりました。
再生不良性貧血は、血液を作る「たね」の造血幹細胞に異常が起き、貧血になったり感染症による発熱や出血が起きたり、まれに白血病になることもある難病です。
「青天の霹靂でした。どんな病気か、どういう治療が必要か必死に調べました」
父の田中浩章さん(46)はそう語ります。
専門的に治療できるところを探し、名古屋の病院へ転院しました。
入院生活はコロナ禍のまっただ中でした。父の浩章さんは近くにアパートを借りてリモートワークをしながら病院に通い、妻は病室に泊まり込む日々が続きました。
謙智くんは腕からカテーテルを入れ、一日中、感染症に注意した特別な病室の狭いベッドの上で過ごします。
お見舞いも制限された状態で、まわりのベッドの子どもや付き添いの家族を気にして、体調が良い日にも思う存分遊べません。「家に帰りたい」「外に出たい」と言われるたび、浩章さんは苦しい思いになったといいます。
痛みは我慢していた謙智くんですが、月1回の骨髄検査で麻酔をかける時には、毎回「麻酔いや」「寝たくない」「やりたくない」と泣いていたそうです。
浩章さんは「代われるものなら代わってあげたいと親なら思うでしょう。息子に対してはできる限り明るく振る舞っていましたが、家でシャワーを浴びながら嗚咽したことも何度かありました」と語ります。
投薬治療がなかなか奏功せず、2年前の10月、主治医から「骨髄移植を検討しましょう」と告げられました。
しかし、ドナーはなかなか見つかりません。子どもと親の白血球の型が合うことはほとんどなく、やはり浩章さんと母の型も合いませんでした。
54万人が登録する骨髄バンクですが、白血球の型が合う確率は数百から数万分の1。毎年2000人ほどが新しく移植を希望しますが、そのうち移植に至るのは半数ほどという現状があります。
ドナーは55歳で〝引退〟と決まっていますが、登録者の半数超が40代以上で、10年以内におよそ22万人が減ってしまうという危機的状況です。
浩章さんは「幸い適合しても、健康診断や血液検査といったさまざまなプロセスを経てようやく移植になると説明されました。家族が反対したり、仕事が休めずに途中で中止になったり、ドナーがコロナにかかって中止したりするケースもあると聞きました」と話します。
病室で謙智くんが「ぼく、しむ」と言ったとき、「そうはさせない」と強く思った浩章さんは、「2分だけ、ぼくの話を聞いてください」という動画をつくり、ドナー登録を呼びかけました。
ぼくの名前は田中浩章と言います。
— tanaaan (@tanaaan) November 18, 2021
2分だけ、ぼくの話を聞いてください。
骨髄バンクドナー登録については、以下を覗いてみてください。https://t.co/RsOTc7Fg1V#ドナー登録 #日本骨髄バンク #骨髄移植 #幼稚園 pic.twitter.com/roz7kfdYOH
「ぼくが望むことはただひとつ。元気な息子と妻とぼく、手をつないで歩くこと」
「ぼくの息子の、光になってください」
「ぼくの息子と同じように移植を待つ人の、光になってください」
骨髄移植のドナーを探していた謙智くんですが、最終的には臍帯血移植をしました。赤ちゃんのへその緒の中にある造血幹細胞を移植するものです。
数週間後、主治医から「血液が増えている」と伝えられ、田中さんは「このとき、ようやく少しホッとできました」と振り返ります。
2023年2月に退院し、治療・入院生活は17カ月半に及びました。
今も免疫抑制剤を服用し、副作用をおさえるために直射日光を浴びないよう、夏も長袖長ズボンで過ごします。
しかし浩章さんは、「とても元気に学校へ通っています。親の言うことは聞かないし、急に走り出して『待ちなさい』と追いかけている感じです。でも、3人で食卓を囲む、そんな当たり前のことが本当にありがたいです」と笑います。
ボランティアで提供するドナーがいて、初めて成立する骨髄移植(造血幹細胞移植)。ドナーはどんな思いなのでしょうか。
「献血の延長という感じで、献血の時にチラシを見て骨髄バンクに登録しました」と話すのは、埼玉に住む上原友希さんです。4年前、24歳の時に骨髄移植のドナーを経験しました。
骨髄バンクから適合通知書が届いたのは、すっかり忘れていた登録の1年後。
「言い方が変かもしれませんが、『貴重なものに当たったな』と思いました」
骨髄バンクの担当者からは、若い世代のドナーが少ない一方で、若いドナーからの移植の成功率が高いことも聞き、「自分にできることならやりたい、と強く感じました」と語ります。
一方で、提供には事前の健診や、手術での数日間の入院が必要だと知りました。
仕事が休めるか、お給料が減ってしまうのではないかという不安がわき起こりました。
専務に相談したところ、「心配しなくていい。今の自分にはできないことだから応援するよ」と快く応じてくれたそうです。
最終的に「特別休暇」という扱いで、有給を消化せずに休めることになりました。
手術後、上原さんの働きかけで、その企業には「ドナー休暇制度」が導入されたといいます。
また、当時住んでいた自治体にはドナーへの助成金制度があることも知りました。
「検査や入院にかかった日数で計14万円が出て、正直とってもありがたかったです。若い世代にとっては、休業補償があるかどうかはとっても大切だと思います」と指摘します。
2時間の手術後は、腰に筋肉痛のような違和感があったそうですが、「傷痕もすぐになくなりましたし、私の場合は〝拍子抜け〟という感じでした」と話します。
患者とドナーは互いに見ず知らずの相手です。骨髄バンクからは、患者は女性と聞いていました。
沖縄出身の上原さんは、「沖縄の言葉『命どぅ宝(命こそ宝)』を 、こんなに実感できた体験は、これまでの人生でありませんでした」と振り返ります。
「提供できてよかった」という自身の思いを手紙にしたため、骨髄バンクに託しました。
患者からも骨髄バンクを介して「命をありがとう」という長文の返信が届きました。上原さんは「この手紙は私の宝物です」とほほえみます。
「でも、自分がすごい人だから提供できたわけではなく、単なる偶然でした。皆さんもあまり気負わずに、『命をつなぐひとり』になってもらえたらと願います」
若い世代のドナー登録を増やすため、骨髄バンクが悩んでいるのが「認知度」の低さです。
2021年度の内閣府世論調査では、18~29歳の約半数が骨髄バンクを「知らない」と答えています。
若い世代に「骨髄移植」を知ってもらおうと、骨髄バンクは認知向上のキャンペーン「#つなげプロジェクトオレンジ」をスタートさせました。
シンボルカラーのオレンジを使い、「ドナー登録」を知ってもらうこと、「提供のために仕事や会社を休むこと」がもっと応援されて感謝しあえる社会になることを目指し、SNS発信などを強化していくそうです。
骨髄バンクの中尾るかさんは、「骨髄バンクの仕組みを知っていただき、社会全体で患者さんやドナーさんを応援する大きな流れをつくっていけたらと思っています」と呼びかけています。
※この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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