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ヨネダ2000がM-1を沸かせた「リズムネタ」笑いの仕組みと系譜

「ヨネダ2000」。(右から)愛と誠=2022年11月30日、東京都港区、照井琢見撮影
「ヨネダ2000」。(右から)愛と誠=2022年11月30日、東京都港区、照井琢見撮影 出典: 朝日新聞社

目次

昨年、『THE W』や『M-1』決勝に進出し、独特な存在感を示したヨネダ2000。年が明けて、ネタ番組やバラエティ番組での露出も増えている。そんな彼女たちの持ち味は「リズムネタ」で、とくにM-1決勝で披露したものは審査員が頭を抱える問題作ながら、会場を大きく沸かせた。彼女たちにつながるリズムネタの変遷、リズムと笑いの関係性を紐解きながら、その魅力に迫る。(ライター・鈴木旭)
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M-1決勝でリズムネタ

「最初から終わりまで、ずっと何をしているかわかりませんでした」。昨年の『M-1グランプリ』決勝で、審査員の松本人志はヨネダ2000のネタをこう評した。

誠が「イギリスで餅つこうぜ!」と愛を誘い、まったく受け入れられていないイギリス人たちの前で餅をつき始めるというコント形式でネタは始まる。愛が杵を振り下ろす所作と「ぺったんこ」、誠が「あぁい!」という言葉とともに返し手をリピート。

やがて誠は、愛の「ぺったんこ」のリズムに合わせて“興味を示し始めたイギリス人たち”の模様を軽快な足取りで演じ始め、続いてドラマーのマイム、ダンス&ボーカルグループ「DA PUMP」のKENZOへとシフトしていく。

「餅も君がひとりならぁ~」と誠がDA PUMPのヒット曲「if...」の一節をもじり歌って踊ると、愛もラップパートで反応。2人でサビを歌い切った後は、再び「ぺったんこ」「あぁい!」の掛け合いへと戻り、ラストはアーティストのライブさながらに「テンキュー」と頭を垂れた。

「しゃべくり漫才」を正統派とするなら、とても漫才とは言えない“リズムネタ”だ。M-1決勝という“日本一の漫才師を決める大会”自体がフリになって笑ってしまった部分も大いにあるだろう。

とはいえ、単に荒唐無稽な芸では総スカンを食らっていたかもしれない。そうならなかったのは、「リズム」と「笑い」に深い関係があるからでもある。
 

分岐点はジャドーズとふかわりょう

ふかわりょうさん=東京都千代田区、奥山晶二郎撮影
ふかわりょうさん=東京都千代田区、奥山晶二郎撮影 出典: 朝日新聞社
リズムネタと呼ばれるジャンルには、もちろん、はっきりとした定義がない。

ジョイマンのようにライミングと踊りでリズムを生み出すネタ、後述するオリエンタルラジオの「武勇伝」のように、短いネタの間にノリの良い言葉や動作を挟む“ブリッジ”が強調されたものをイメージしやすいが、楽器を用いた歌ネタ、BGMや電子機材を使用するネタも含めて語られることもある。

芸能史を遡れば、あきれたぼういず、トニー谷、ハナ肇とクレージーキャッツ、かしまし娘、牧伸二、横山ホットブラザーズや玉川カルテットといったレジェンドの名前が思い浮かぶが、今につながる現代性が備わったのは1980年代~1990年代になるだろう。

ポイントは大きく2つ考えられる。1つは1980年代中盤に、ブリッジが流行したことだ。「ラ・ママ新人コント大会」(コント赤信号のリーダー・渡辺正行が主催するお笑いライブ)に出演していたバンドおよびお笑いグループ・ジャドーズが、短いギャグやニッチなものまねの間に「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャン!」というノリの良いブリッジを挟んだ。

このスタイルが関東の若手芸人たちに影響を与え、やがて定番のフォーマットとなっていく。初期のダチョウ俱楽部も、軽快に指を鳴らしながら「ドゥワッパドゥ、ドゥワッパドゥ……」とネタ番組に登場していたことを考えると、よほど画期的なものだったのだろう。

コント赤信号のリーダー・渡辺正行の著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)によると、これが発展して「ショートコント、XX」と言ってネタに入るウッチャンナンチャンのショートコントへとつながっていったという。

もう1つは、1990年代後半にシュールな芸風で注目を浴びたふかわりょうの存在だ。長髪に白いヘアバンド、淡い色のパンツ。さわやかなBGMに準備運動のような動きを繰り返し、無表情のまま「あれこの表札、かまぼこの板じゃない?」といった一言で笑いをとる「小心者克服講座」は斬新なスタイルだった。

同時期に『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)の中で、金谷ヒデユキ、幹てつや、テツandトモなど楽器を用いた芸人も活躍していたが、「BGMのリズム」と衣装や体の動きを含めた「世界観」を組み合わせた点で、ふかわりょうは大きな分岐点だった。

その後、1999年に底ぬけAIR-LINE(古坂大魔王が在籍したトリオ、コンビ。2003年活動休止) が『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)の第1回チャンピオン大会で「テクノ体操」を披露。今にして振り返ると、後のピコ太郎の「PPAP」を彷彿とさせるBGMと踊りが垣間見える。

オリエンタルラジオの革命

お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さん(中央)と藤森慎吾さん(右)=2015年
お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さん(中央)と藤森慎吾さん(右)=2015年 出典: 朝日新聞社
2000年代、大手芸能事務所が運営するお笑い養成所の入学者が膨れ上がると同時に、リズムネタも盛況を極めていく。

数々のネタ番組が立ち上がり、とくに2003年からスタートした『エンタの神様』(日本テレビ系)では、「佐賀県」がヒットしたベース漫談のはなわ、“ギター侍”の波田陽区、「あるある探検隊」のレギュラーなど、早くからリズムネタが目立っている。

そんな中、吉本興業の養成所・NSC在学中にM-1グランプリ準決勝進出を果たし、2005年にお笑いオーディションバラエティー番組『ゲンセキ』(TBS系)でテレビデビューを飾ったのがオリエンタルラジオだった。

彼らのネタ「武勇伝」は、それまでのブリッジと異なり、最初から最後まで一貫したリズムをキープする点で新しかった。拳を交互に前に出しながら言い放つ「武勇伝、武勇伝、ブユウデンデンデデンデン」をベースとして、最後はメロウな歌で笑わせラストを迎える。

後にブレークした藤崎マーケットの「ラララライ体操」、アクセルホッパーの「バカテンポ」、8.6秒バズーカーの「ラッスンゴレライ」などは、「武勇伝」のフォーマットがあったからこそ生まれたネタではないだろうか。

一方で、2000年代後半は小島よしおの「そんなの関係ねぇ!」、2010年代はラブレターズの「西岡中学校」、COWCOWの「あたりまえ体操」、ピコ太郎の「PPAP」、アイロンヘッドの「求人広告カー『ジャングル』」など、BGMを使用するスタイルも広がりを見せた。

共通するのは、繰り返される特徴的な言葉と体の動き、またはそのいずれかがネタ全体のノリを生み出すことだ。ヨネダ2000の「ぺったんこ」「あぁい!」は、この延長線上にあると考えられる。

また、彼女たちはコントでよくパラパラを踊る。2000年代中盤に長州小力がパラパラを踊ってブレークしたことも含め、世代的にも、幼少期に見ていたネタ番組が芸風に色濃く影響しているのではないか。
 

ドリフが作った土壌

ザ・ドリフターズ/左から荒井注さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さん、いかりや長介さん
ザ・ドリフターズ/左から荒井注さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さん、いかりや長介さん 出典: 朝日新聞社
よくよく考えれば、音楽バンドからお笑いへとシフトして人気を博したザ・ドリフターズの『8時だよ!全員集合』(TBS系)でも、リズムや音で笑いをとっていた。そして、今思えば、この番組が“関東でリズムネタが育まれる土壌”を築いたと言えるのではないだろうか。

わかりやすいところでは、「少年少女合唱隊」のコーナーで生まれた「早口言葉」、アメリカ映画『ピンク・パンサー』のテーマ曲をアレンジしたBGMに合わせ、“抜き足差し足”で笑わせる「忍者コント」、志村けんと加藤茶の「ヒゲダンス」などが挙げられる。

バンド演奏やBGMのないものでは、一軒家に雨漏りが起きるコントが思い浮かぶ。家族5人で屋根から漏れた雨を受け止めようと、それぞれが茶碗を持って待機。トンットンットンットンッとテンポよく雨音が鳴り、最後に志村にだけタライが落ちてくるのはバンドマンならではの発想だろう。

志村や加藤がボケると、額に机の天板をぶつけたり椅子から崩れ落ちたりする“ズッコケ”も含め、ドリフのコントにはリズムと音の笑いに溢れていた。

音の並びや音色は、言葉の意味を理解するよりも先に人の感覚に訴えるものがある。たとえば4/4拍子で鳴り続ける無機質な音色の中に、オナラの音が1回出てくるだけで瞬時に「面白い」と認識するのだからおかしなものだ。

また、そのリズムに顔の表情や体の動きがシンクロすると、見る者は条件反射のごとく笑ってしまう。このあたりは、人として本来、持ち合わせている原始的な感性だと言わざるを得ないだろう。
 

関東芸人の文脈にあるヨネダ2000

もともと関東のお笑いには、関西の漫才師が使う「何でやねん!」に相当するようなツッコミ文化がなかった。もちろんドリフのいかりや長介も、「コラッ」や「待て、待て、待て」と言いながら頭を叩いたりすることはある。

しかし、言葉でボケを処理する類のものではなく、緩やかに次の展開へと進んでいく。ラストは大きな仕掛けで盛り上げ、お決まりのBGMが流れて幕を閉じたものだ。

だからこそ、1980年代~1990年代は関東芸人の間でブリッジやショートコントが流行したのかもしれない。ツッコミが不要で、見る者にネタの落としどころを伝えやすかったのだろう。

ヨネダ2000のネタは、意外にもこうした「特徴的な言葉の繰り返し」「衣装や体の動きを含めた世界観」「ツッコミに代わる展開」というリズムで笑わせるネタの文脈を押さえている。それゆえ、M-1決勝の舞台で笑いが起きたのではないだろうか。

バラエティー番組では、誠がダウンタウンの2人をバドミントンのダブルスの呼び方で「松浜ペア」と紹介したり、愛が“自分のヘソの位置が低過ぎる”というエピソードで笑わせたりするなど、ネタ以外での立ち振る舞いも独特だ。

一方で、コンビで旅行に出掛けたりハーモニカを習ったりと、仲の良さが見受けられるあたりは実に今の時代らしい。飄々とした芸風とトレンドとが混じり合い、ヨネダ2000という容れ物の中で絶妙な調和を見せている。彼女たちの魅力は、そのバランス感覚にあるのだと思う。

そのほかにも、掛け合いとギャグでリズムを作るTOKYO COOLやなすなかにし、今年の元日に放送された『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ系)で優勝したちゃんぴおんずらを含め、言葉と体の動きによるリズムネタを披露する芸人は少なくない。

YouTubeやサブスクによってネット動画が一般的なものとなり、昨今では過去の映像から影響を受ける芸人も現れ始めた。こうした時代の中で今後も新たな若手が登場し、さらにリズムネタは進化していくことが想像される。
 

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