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連載

#55 「見た目問題」どう向き合う?

「美人が好き」は差別? ナオコーラさんと語る「ブスとルッキズム」

〝外見〟を自由に話せる社会へするためには

筆者の石井政之さん(左)と作家の山崎ナオコーラさん
筆者の石井政之さん(左)と作家の山崎ナオコーラさん

目次

近年、「ルッキズム」(外見至上主義)という言葉が広がっている。ルッキズムという言葉は、外見にかかわるあらゆる差別、苦悩、格差を語るためのキーワードになっているようだ。

私は顔にアザや傷など外見に症状がある人たちを「ユニークフェイス」と命名し、その当事者が直面している差別問題を訴えてきた。その中で、ユニークフェイスの当事者の苦悩と、「ブス」「ブサイク」の悩みは別の問題だ、と説明してきた。

しかし、作家・山崎ナオコーラさんは、著書『ブスの自信の持ち方』(2019年/誠文堂新光社)で、ブスとユニークフェイスを連続した地平で語っていた。

ブス・ブサイクの苦悩と、ユニークフェイスの生きづらさは、同じ文脈として語られる問題なのだろうか。私は、山崎さんに対話を申し込んだ。(文:石井政之)

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石井政之
フリージャーナリスト。外見に症状がある人たちの呼び名「ユニークフェイス」の発案者。自らも顔に大きなアザがある。著書に『顔面漂流記』など。

 

山崎ナオコーラ
作家。2004年『人のセックスを笑うな』文藝賞受賞。著書にエッセイ集『母ではなくて、親になる』、小説『リボンの男』など、「常識」や「固定観念」を揺さぶる作品を数多く発表。

「ブス」「ブサイク」の問題から距離を置いてきた理由

1999年、私は顔にアザがある体験を『顔面漂流記』(かもがわ出版)に発表した。顔にアザがある人間のノンフィクションが日本には一冊もなかったからだ。当事者の書いた本がゼロ、という状況がイヤだった。


石井政之『顔面漂流記』(かもがわ出版)

読者からの反響で多かったのが、「男でも、苦しい思いをしているのか」だった。外見の苦悩は男女に関係ない、と思っていたので、その反響は意外だった。

読者から連日、手紙が来た。それをきっかけにして、同じ当事者の集まり「ユニークフェイス」を設立し、後にNPO法人にした(2015年に解散)。その会員の約7割が女性だった。「外見の問題を語る男」という自分の意識と、「集まってくる当事者は女性が多い」というギャップに向き合うこととなった。

そのNPOの活動の中で、いわゆるブスやブサイクに悩む人たちからも参加したいとの要望があった。とくに外見に目立つ何かがないのに「自分の容貌がものすごく醜い」と思い込んでしまう「醜形恐怖」と感じられるような人もいた。

だが、私は「医学的な病名のついている外見の人が優先的にミーティングに参加できる」と決めた。当事者が混乱すると考えたためだ。また、ブス・ブサイクの問題まで含めると、活動の趣旨がぼやけ、外見に症状がある人たちが直面する差別問題を社会に訴える力が弱まってしまうと考えた。


山崎 ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)

容姿の中傷を社会問題としてとらえる

山崎さんは著書の中で、両者の悩みを結びつけることに対し、「(外見に症状がある)当事者の方から、「『ブス』とは違う」と怒られるかもしれない」と躊躇しつつも、「私には地続きであるように感じられるのだ」と記した。

今回の対談でその理由について山崎さんに問うと、「ブス」と中傷され、悩んだ過去について、語ってくれた。

「2004年に作家としてデビューした後、ネット上で容姿について、おぞましい言葉で誹謗中傷を受け、悩みました。勘違いしてほしくないのは、私が悩んだのは『自分がブスである』という容姿へのコンプレックスではないということです。中傷に苦しんだんです」

中傷を受けた山崎さんは、ブスについて書かれた本を読むようになったという。

「書かれていたのは『化粧やファッション、整形できれいになろう』とか『性格のよいブスになろう』とか、そんな内容でした。つまり、被害者側が『自分を変えろ』と言う。でも、悪いのは『ブス』と中傷する側です。どうして、ブスと言われて被害を受ける側に『変えろ』とアドバイスするんだろうと、納得がいきませんでした」

そんなとき、山崎さんは、外見に症状がある当事者の著書を読み、一筋の光が見えたと語ってくれた。

「顔に大きなコブがある故・藤井輝明さんが書かれた本でした。藤井さんは、外見に症状がある人たちが受ける差別の問題を『容貌障害』と名付けていました。外見に特徴がある当事者が生きづらさを感じるのは、『本人の容姿の問題ではなく、それを差別する社会側の問題』ととらえる考え方です」

「容姿の中傷に悩んでいる私にとって、『障害』という言葉が入ってきたことで、『私が悪いのではなく、ハードルは社会にある。変わるべきは私ではなく、社会なんだ』考えられるようになりました」

藤井輝明さんについては、補足が必要だろう。藤井さんはユニークフェイスの設立メンバーの一人だ。顔に向けられる差別的な眼差しや中傷に対し「笑顔を返す」というサバイバル術を使って、生きてきた人だ。

藤井さんの対処法や考え方は、私とは大きく異なるが、日本全国の学校で講演し自らの体験を子どもたちに話し、本をたくさん出版してきた功績は疑いようがない。だが、これだけの精力的に活動をしたけれども、アカデミズムや文筆の世界からあまり評価されてこなかった。だから、山崎ナオコーラさんが著書の中で、藤井さんや容貌障害を紹介してくれてうれしかった。

藤井さんは2021年に突然の事故でなくなった。山崎さんが、藤井さんの功績をたたえていたことは、彼の耳に入っていただろうか。

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2021年に亡くなった藤井輝明さん(2017年6月、岩井建樹撮影)
2021年に亡くなった藤井輝明さん(2017年6月、岩井建樹撮影)

外見差別とは? 見た目に基づくキャラ付けを行っていないか

山崎さんが「容貌障害」との言葉に出会うまで、外見に関する議論でしっくりこなかったという点は私も共感できる。

外見の悩みが記された本があったとしても、山崎さんが言うように、「自分を変えろ」という本だった。 ブスと言われる側が頑張って解決する、という自己責任の考え方だ。社会の問題ではなく、本人の問題なのだと。

外見に症状がある人たちの置かれた状況も同じようなものだ。アザであれば、カバーメイクをで隠して普通の顔をつくる。脱毛症であれば、かつらをかぶる。ほかの疾患や外傷も、普通の容姿になれるように治療する。そうしないと、差別されるという恐怖が当事者にはある。

 ブスやブサイクの人たちが悩むのも、「ブスを差別したり、中傷したりする社会がある」からだろう。その点、山崎さんが言うように、ブスとユニークフェイスの問題は地続きかもしれない。

一方で、ブスへの差別問題と言われても、私にはいま一つしっくりこない。「それは、具体的には何か」。そう尋ねると、山崎さんは自らの体験を踏まえて、次のように説明してくれた。

「ブスへの差別はあります。私が受けたように、人権侵害の言葉はその最たるものです」

「ブスを理由に『席』をとられることも差別です。私の場合、『山崎ナオコーラはブスだから作家にはなれない』『わきまえろ』『新聞に載せていい顔じゃない』とインターネットに書き込まれました。そんな中傷を受け、当時の私は作家として席がないんじゃないかと、思ってしまいました。容姿の悪い人が目立つ立場になろうとすると『あなたはそこじゃない』と言われる。逆に、美人を本人の意向にもかかわらず、目立つ場にもっていくことだって、差別です」

「容姿によるキャラ設定も差別だと考えます。『ブスは明るい』とか。容姿の特徴を笑いにする芸人さんの芸を否定するつもりはありません。でも、そういった笑いを見て『ブス=陽キャラ』のようなキャラ付けをしたり、『外見の特徴をからかいのネタにしてもいいだろう』と考えたりするなら、それは差別です。私はブスを笑いにはできないし、したくないし、真面目に考えたいです」

 
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画像はイメージです 出典: Getty Images

「ブス」と言われて育った人、社会に出てから「ブス」と呼ばれた人… 

山崎さんと対談するうちに、私はそもそも「ブスとは何か」がわかっていないことに気づいた。

山崎さんの考えるブスとは何ですか?

「一言に『ブスで悩んでいる』と言っても、多様な意味があるので、議論しづらいとは思います」

「私の場合は、『おまえはブスだ』との評価がある日突然、飛んできた感じです。私自身はそれまで、自分の顔をブスとかそういうとらえ方はしていませんでした。それが作家デビューすることで、ブスとの中傷を受けました」

「私と同じように、他人からの攻撃に苦しむ人もいます。一方で、鏡を見て自分の容姿に悩む人もいる。意外に多いのが、親やパートナーといった関係の近い人に、ブスと言われた経験に悩んでいる人です。どう見ても美しい顔立ちの人から、“ブスと言われた“という悩みを聞いたこともあります。いろんな側面から、多くの人が“ブス“という言葉で人権を奪われています」


山崎さんの話を聞きながら思ったのは、後天的なユニークフェイスと、先天的な人は、その外見の受け止めかたが違うことだ。たとえば、生まれつきのアザと、交通事故で顔面麻痺になった人では、外見の捉え方が違う。

そこから想像すると、生まれたときから「ブス」と言われて育った子どもと、山崎さんのように社会に出てから「ブス」と言われるのでは、受け止め方が違ってくるだろう。

 そして、近い関係の人の言葉の影響が大きいのも、ブスもユニークフェイスの問題も同じだ。

子ども時代、親から「あなたは、顔にアザがあるから、就職も結婚もできない。だから、勉強しなさい、手に職をつけて生きていきなさい」と言われて育った当事者もいる。それでは、メンタルが病んでしまう恐れがある。
 
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画像はイメージです 出典: Getty Images

「美人が好き」と思うことは差別なのか?

ユニークフェイスの活動をしている時、「美人が好きだ」と僕が発言すると、「石井さんの立場でそんなこと言っていいの?」とよく返されることがあった。そんな時、「差別の問題と個人の好みは別だ」と説明したが、わかってもらえなかった。

山崎さんは、「美人が好きだ」と思う心の動きについて、どう考えるのだろうか。 

「恋愛やプライベートなシーンで『美人が好き』なのは差別ではありません。私たちは好かれたいのではなく、差別されずに社会活動をしたいのです。仕事のシーンや関係ない話題のときに容姿を問題にしたり、美人という理由で『真ん中の役割を担わせる』といったことが差別です」

「石井さんのように、好みの顔がある人は多くいると思いますし、好みの顔立ちの人に恋するのが差別なわけがありません。ただ、仕事相手を恋愛基準で評価するのはNGですよね。ブスの場合、社会的なシーンでも『恋愛したがっている』『美人になりたがっている』という偏見を押し付けられがちで、人権を踏みにじられます」

「たとえば、石井さんは『化粧をすれば仕事に就けますよ』と言われても化粧をする選択をしないですよね。私たちも同じで、化粧をしなければ就かせてもらえない仕事なんてしたくありません。好かれたりきれいになったりしたいのではなく、人権を尊重されて仕事をしたいんです。ただ、この話を『ブスは恋愛しなくていい』と誤解されたら良くないので申し添えますと、ひとめぼれではなくて、関係を育んでから恋愛を始める人もたくさんいますし、関係が深くなったあとは世間の基準と離れて相手の顔を好きになりますから、恋愛したい人はできると思いますよ」

 
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画像はイメージです 出典: Getty Images

美醜を感じるのは、人間の業なのか?

正直に言おう。私は、人を見て「醜い」と感じることがある。それは人間の業で、なくならない感情であり、現実であるとも思っている。そして、そうした感情にまかせて、ユニークフェイスの当事者を差別する人びとがいる。

いくら私が差別をやめろと文章で訴えても、そうした差別をゼロにすることはできないとも考えている。私自身、ブサイクの人が結婚したと聞いて、その顔でよく結婚できたなぁと思ってしまったことがある。気をつけないと、私が差別する側にまわる可能性だってあるのだ。

世の中は変わるのだろうか。山崎さんに考えを尋ねた。

 「石井さんが語ったように、『自分が差別するかも』という自覚は大事だと思います。差別の気持ちをなくすことはできないので。10代、20代のころ、私は『おじさんは外見を気にしていないし、何を言っても傷つかない』と思ってました。今思うと、それは差別だったなと思います」

一方で外見への差別については、山崎さんは次のように希望を見いだしているという。

「当時は議論を巻き起こしたいと、タイトルに『ブス』という単語をタイトルに入れました。ですが、ここ数年でルッキズムが浸透して、『外見で差別してはいけない』という価値観が広がったと思います。とてもいい時代になってきたなぁと感じます。外見に関する議論の土壌もできつつあると思っているので、今だったらタイトルに『ブス』との単語をあえて使うようなこともしません」

「ただし、求められる能力や文脈とは関係なく、顔に注目する風潮はまだ社会に残っています。たとえば、スポーツ選手でも『美人だから』と、メディアに注目されることがあります。無くしていきたい『顔の文化』だと考えています」

 
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画像はイメージです 出典: Getty Images

対談後記:「外見」を自由に語れる社会に

何がブスなのか。客観的な基準はどこにもない。だから語りにくい。それでもブスについて語るという、山崎さんの勇気に惹かれ、この対談記事ができあがった。

外見差別(ルッキズム)を語るとき、ひとりひとりの心の中に、「3つの立場」がある、と考えている。

①外見で他人を差別する<加害者>
②外見で差別される<被害者>
③外見の差別を見て見ぬふりをする<傍観者>

人間は外見を気にして生きることから避けられない。人間の業である。すべての人間はこの「3つの立場」を行ったり来たりして暮らしている。

ルッキズムの被害者と加害者がいる、という二元論では、外見差別は理解できない。

この対談を振り返って、私はブス・ブサイクという現実にあまり関心がなかったと気づいた。ブス、ブサイクと言われたことがなかったからだ。他人事だった。

私は、ブスについては③の「見て見ぬふりをする」傍観者の立場だった。その代わり、ユニークフェイスについては②の「差別される」被害者の立場で、その問題を告発してきた。

ルッキズムという言葉が広がって、外見差別の議論がしやすくなった、という山崎さんの指摘に同意する。これは「ユニークフェイス」という言葉では実現できなかった変化だ。

その一方で、被害者感情ばかりが強調される社会になってはいけない、と思う。雑談のなかで、美人が好きだ、と言ったらルッキズムなのか。これでは外見を自由に語れない。

「人間にとって顔とは何か」

その哲学的な問いかけは、すべての人に開かれている。

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 アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この 顔と生きるということ」。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問 題」を描き、向き合い方を考える内容です。

連載 「見た目問題」どう向き合う?

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