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29歳で逝った息子の「ヤシオツツ」13年越しの開花…父が語る記憶

うれしさあふれるツイートににじむ愛

急逝した息子が、生前に購入したヤシオツツジの一種・シロヤシオ。13年越しの開花をツイートで報告した父親に、胸の内を聞きました。
急逝した息子が、生前に購入したヤシオツツジの一種・シロヤシオ。13年越しの開花をツイートで報告した父親に、胸の内を聞きました。 出典: 佐々木修さんのツイッター(@syu_syowadanji)

目次

急逝した息子が育てた花が、13年越しに初めて咲いた――。そんなツイートを投稿した男性がいます。昭和・平成を仕事一筋で過ごし、わが子の人となりは、ほとんどわからない。大切な存在を失って、そんな人生の過ごし方を、深く後悔したそうです。一方、息子がいかに人々から慕われていたか知り、涙したことも。一輪の花がつなげた、親子の過去と現在に迫ります。(withnews編集部・神戸郁人)

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4月10日、一本のツイートが発信されました。

添付された画像に写っているのは、鉢植えです。複雑に分かれた枝の先端に目を移すと、今にも咲きそうなほどに膨らんだ緑色のつぼみが、いくつも顔をのぞかせています。

その最前列で、5枚の花弁を目いっぱい開かせる、純白の花。山間部に自生するヤシオツツジの一種、シロヤシオとみられ、こんなコメントが添えられています。

突然ですが、
13年前、くも膜下出血で29歳であっと言う間に人生の幕をおろしました息子が、生前自分で購入してきたヤシオツツが、、、
始めて
始めて、可愛い花を咲かせました。

朝から、嬉しくて、
つい、この一輪の花に息子の名前を語りかけました。

是非、是非、皆さんにもご覧頂きたく、、、。
(編注・原文ママ)

「投稿主さんの人柄がにじみでている」「忘れ形見として大切に育てて欲しい」。ヤシオツツジを、思わず「ヤシオツツ」と記した文面に、胸を打たれた人々の思いが連なり、35万近い「いいね」もつきました。

家庭を振り返る余裕は持てなかった

「正直なところ、家庭を振り返る余裕が持てるような人生ではありませんでした」。今回のツイートの作者で、人材派遣会社の人事部長を務める、佐々木修さん(68)が語ります。

投稿した文章は、2009年に29歳で亡くなった長男・祐哉さんにまつわるものです。思いをつぶやくに至るまでの日々について、話を聞きました。

高校卒業後、大手コーヒーメーカーのグループ企業に入社した佐々木さん。高度経済成長の余波が残る社会情勢も相まって、仕事一色の日々を送ったといいます。

支店の営業職として、取引先の飲食店を毎日回り、接待にもいとわず取り組みました。早朝に出勤し、翌日未明に帰宅したことは数知れません。猛烈な働きぶりが評価され、23歳で支店長を任されたほどでした。

やがて一男一女を授かりますが、家族そろって過ごせる休日は貴重だったそうです。それでも、子どもたちとの思い出を、出来る限りたくさんつくろうと心がけたといいます。

「祐哉が小学生のとき、2回だけ海水浴に行きました。当時住んでいた宇都宮から、茨城・大洗の海辺へ。彼が釣りにはまっていた時期には、同級生を連れて、近くの池まで車で連れて行った。オープンしたてのディズニーランドも訪れましたね」

「でも思春期を迎えて以降は、ほとんど関わることがなくなってしまいました。お互い気恥ずかしかったのでしょうね。取引先の飲食店は週末に営業するところが多く、更に支店経営が忙しくなり、休みづらかった点も影響したと思います」

祐哉さんが幼い頃、佐々木さんは、よく親子で釣りに出かけた(画像はイメージ)
祐哉さんが幼い頃、佐々木さんは、よく親子で釣りに出かけた(画像はイメージ) 出典: Getty Images

父子で飲み交わした寿司屋での時間

再び交わりが深まったのは、祐哉さんが大人になってからのことです。地元の高校を卒業し、自動車整備の専門学校に通った後、友人の誘いで造園会社に就職します。手に職を付けたいという意向もあり、植木職人として汗を流しました。

「彼が花や樹木に触れだしたのは、この頃です。大きなお屋敷の松の木を手入れするなど、様々なお宅に足を運びました。後から聞いたのですが、同じお客さんから何度も指名を受けたり、ご飯を食べさせてもらったりと、慕われていたようです」

独立を志し、業務用軽トラックの購入について、親子で話し合った時期もありました。結果的には、5年ほど勤め、塗装業に転職。佐々木さんも50歳で別会社の代表に就任し、新たな門出を迎えます。

「私が最初の勤め先を離れる前、二人で寿司屋に行ったんです。5年間の単身赴任を終えた直後で、一杯やろうよ、と。仲の良い友人グループ経由で知り合った、彼女との同棲生活についてなど、色々なことを語らいましたね」

祐哉さんは普段からシャイな様子を見せ、身の上話をすることは、ほとんどなかったそうです。しかしそのときばかりは、カウンター席で父と肩を並べ、はにかみながらも幸せな暮らしぶりを教えてくれました。

しかし、この日が、親子でお酒を酌み交わせる最後の機会となったのです。

佐々木さんは、寿司屋で始めて息子と酒を飲み交わし、はにかんだ表情の裏にある思いに触れた(画像はイメージ)
佐々木さんは、寿司屋で始めて息子と酒を飲み交わし、はにかんだ表情の裏にある思いに触れた(画像はイメージ) 出典: Getty Images

集中治療室の中で開いた「結婚式」

2009年10月、祐哉さんは仕事終わりに、ゴルフの練習場を訪れていました。勤務先の旅行などでプレーする機会があり、腕を磨いていたのです。その最中に、突然意識を失って倒れ、救急搬送されます。くも膜下出血でした。

佐々木さんたちが病院に駆けつけると、集中治療室のベッドに横たわる息子が、目に入りました。手術もままならない状態で、医師からは「死を待つしかない」と告げられます。

実は同じ年の12月、祐哉さんは結婚式を予定していました。交際中だった女性が妊娠し、互いに将来を誓い合ったのです。佐々木さんも、知人を介して式場を予約するなど、サポートしていました。

「わが子の幸せを祝ってやりたい」。佐々木さんは、病室で結婚式を挙げることを思いつきます。役所へと走り、息子夫婦の籍を入れた後、病院に掛け合い承諾を得ました。衣装については、女性が勤める写真スタジオで借りる手はずを整えます。

そして入院から三日後、両家の家族が集まり、小さな式が執り行われました。タキシードを身につけて眠る祐哉さんと、指輪を交換する、ドレス姿の女性。病室の外から、医師と看護師も見守ってくれました。

「当日の朝は虹が出て、奇跡のようだなと思いました。更に病院関係者の計らいで、CDコンポを貸して頂くことができたんです。式の間、祐哉が大好きだった音楽グループGReeeeN(グリーン)のアルバムを、ずっと流していました」

祐哉さんの妻がまとめた結婚式のアルバム。佐々木さんが、式の当日朝に撮影した、虹の写真を載せている。
祐哉さんの妻がまとめた結婚式のアルバム。佐々木さんが、式の当日朝に撮影した、虹の写真を載せている。 出典: 佐々木修さん提供

父親が息子の葬儀で受けた衝撃

祐哉さんは意識を取り戻すことなく、倒れてから十日後に息を引き取ります。ほどなく開いた葬儀で、佐々木さんは驚くべき光景を目の当たりにしました。

「300人の弔問者のうち、祐哉の知り合いの方々が、何と100人以上も来てくれたんです。学生時代の同級生や先生から、社会人になって仲を深めた人々まで、本当に多種多様な顔ぶれだった。その一人一人と、思い出話に花を咲かせました」

幼稚園生の頃、障害がある友人の手を引き、積極的に遊びの輪に引き入れていたこと。知人の結婚式の余興で、仮装して寸劇を披露したこと……。いずれのエピソードの中にも、見たことも想像したこともない、表情豊かな息子の姿がありました。

俺にそっくりだな――。営業マン時代、飲み会でアカペラを披露するなどして、場を盛り上げるのは佐々木さんの役割でした。他人と積極的に打ち解け、信頼の輪を広げていく。見知らぬ祐哉さんの一面に、若き頃の自分が重なりました。

そんなわが子の面影を感じながら、育て続けてきたのが、シロヤシオの鉢植えです。祐哉さんが生前購入したもので、2年前に宇都宮から移り住んだ、現在の自宅にも持ち込みました。

当初は、いくら水をあげても、なぜか葉っぱが茂るばかりだったといいます。ところが今年4月10日の朝、一輪だけ白い花が咲いているのを、佐々木さんが見つけました。中の種が見えるほど満開で、笑っているように思えたそうです。

「昨年、祐哉の13回忌を済ませたばかりで、涙が出て仕方なかった。慌てて写真を撮り、ツイートを作って、勢いでつぶやきました。画像の添付方法が分からず、バタバタと文字を打ったため、誤字だらけの文章になってしまいましたが……」

佐々木さんが育ててきたシロヤシオの鉢植え。祐哉さんが生前購入し、今春、13年越しに初めて花を咲かせた。
佐々木さんが育ててきたシロヤシオの鉢植え。祐哉さんが生前購入し、今春、13年越しに初めて花を咲かせた。 出典: 佐々木修さん提供

「お子さんとの時間、大切にして欲しい」

ツイートには、祐哉さんのように脳出血のため、早くに子どもを亡くしたという人々の声も寄せられました。佐々木さんは、一つひとつの投稿にコメントを返しつつ、こんなことを考えたといいます。

「祐哉との思い出について問われたとき、恥ずかしながら、これと言えるものが私にはありません。彼のほんの一面しか理解していなかった。今、お子さんと過ごしている方は、一緒にいられる時間を大切にして欲しい、と伝えたいです」

その後も、シロヤシオの花は、少しずつ増えていったそうです。毎日声を掛けながら、祐哉さんの代わりに、成長を見守っています。

「きっと来年は、20輪、30輪と、もっとたくさんの花を咲かせてくれるんじゃないでしょうか。あれだけ色々な人に好かれ、愛された祐哉ですから。今度はシロヤシオになって、友達を増やしていくはず。そう思っています」

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