MENU CLOSE

連載

#40 Busy Brain

マイノリティーへの「理解」と「受容」は同じ?小島慶子さんの疑問

「思考停止」に陥らないため必要なこと

小島慶子さん=本人提供
小島慶子さん=本人提供

目次

BusyBrain
【PR】「あの時、学校でR-1飲んでたね」

40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、小島慶子さんがマイノリティの属性をもつ人々とどう接するか、多様性を尊重する社会を私たちはどう生きていくか、その心のあり方についてお話しします。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

なんだか私はADHDライフハックの上級者みたいですけど……

「私も忘れ物が多くてうっかりしちゃうんですけど、何かいい対策はありませんか?」「僕も小島さんと似たようなタイプなのです。うまい対処法を教えてください!」と、最近よく聞かれます。そんな時は、うーん、あなたにぴったりかどうかはわからないけれど私の場合は……とお答えしています。ただ、たまたま困りごとが私と似ているからといって、自分もADHDだ! と早合点しないでくださいね。つらい時は、専門家に相談するのがいいと思います。

 こうして連載をしたり、取材を受けたり、講演をしたりする機会も多いので、なんだか私はADHDライフハックの上級者みたいですよね。そうだったらいいのだけど、今も失敗ばかりです。

 何かに困っていて、本当にしんどい時には、なかなか人に言えないものです。私も、こうして自分について書いたり話したりしている毎日の中でも、うまくできなくて困っていることがたくさんあります。とっくに対処法を見つけ出して、なんの不自由もなくスイスイ生活しているわけではありません。

 毎日毎日が、どうしたらもっとうまくできるのかなあ、困ったなあの繰り返しで、時には生きるのがつらくなってしまうことも。そういう時、リアルタイムのしんどさを語ることは難しい。生きるのをやめようかというほどつらい時には、語るべき言葉が見つからなくなるものです。だから、周りの人にはその人の一番しんどいところはわからないのですよね。

出典: Getty Images

マイノリティが自らについて語るのは、かなり大変な作業

 「多様性」という言葉があちこちで使われるようになって、色々なマイノリティの話を聞こうという取り組みが増えているのは素晴らしいことです。普段接点のない人の話を聞いてみたい! という人も多いと思います。

 でも、マイノリティが自らについて語るのは、精神的な負荷や消費するエナジー面で、かなり大変な作業だということも、広く知られてほしいと思います。

 皆さんも、クラスで発表をしたり仕事でプレゼンをしたりすると、どっと疲れるでしょう。人にものを伝えるというのはすごく消耗する作業です。まして、偏見のあることや、ほとんど知られていないことについて、当事者としてわかりやすく話すには、色々な苦労があるもの。

 何らかのマイノリティであることは現在進行形で、終わりがあるものでもなく、「苦労を乗り越えた成功談」にはならないのです。

 もし、身の回りに障害がある人や何らかのマイノリティの属性がある人がいて「話を聞いてみたいな」と思った時には、そんなことを念頭に置いて接してみてくださいね。単に珍しいから話してみたいだけなのか、それともその人だから話を聞きたいのか、動機をよく見つめることが大事です。

出典: Getty Images

多様性を尊重する教育とは、珍しい人を教材に使うことではない

 昨年の東京パラリンピックで、新型コロナウィルス感染が拡大する中で小中学校の子どもたちに観戦させることの是非が議論された時に、「子ども達に障害のある人と話す機会を」という理由で賛同する意見がありました。

 それに対して、障害がある人から「ふれあい動物園」のようで抵抗を感じるという声が上がりました。確かに、多様性を尊重する教育とは、珍しい人を教材に使うことではありません。

 多様性は自分のいる場所の外側にあると、無意識のうちにイメージしていないでしょうか。自分が住んでいる大きな輪の外側に、小さな輪が点在していて、大きな輪が歩み寄ってそれを包摂してあげる、理解してあげることだと。

 多様性は、あなたのすぐ隣にあります。家族や恋人、友人との輪の中にあるのです。あなたが「同じだ、分かり合えている」と思っているだけで、実は相手が言えないでいることや、話したくないと思っていることがあるかもしれません。

 互いに話題にしないから気づいていないだけで、実はうんと異なる部分があるかもしれません。あるいは何気ない会話の中で、相手を否定してしまっているかもしれません。それに気づくことが、多様性に開かれた人になるということです。

 例えば、性的少数者の子どもたちは、そのことを家族や友人に打ち明けられずにつらい思いをすることが多く、命を絶ってしまおうかとまで思い詰めることもあるといいます。自分はLGBTQに理解があるけど、我が子がそうとなれば話は別だ、という人もいるでしょう。テレビの中では大好きだけど、友達がそうだったら引いちゃう、という子もいるかもしれません。

 それは「LGBTQを受け入れている」「差別していない」ことになるのでしょうか。マイノリティについて知識があることや、テレビで見慣れているとことと「受容」は必ずしもイコールではありません。半径2メートルの人間関係でどのような態度をとるのかが、その人の本音を表しています。

 人が人を理解することの難しさは、誰しも日常的に感じているはずです。そんなに簡単に理解はできないのです。それでも「あなたを知りたい、あなたはあなただから尊い」という気持ちを示すことが、他者に心を開くということではないかと思います。

出典: Getty Images

多様性とはめんどくさいもの、手間のかかる社会を生きて行くこと

 多様性を尊重する社会は、「みんな違って、みんないい!」と笑顔で唱えるだけでは決して実現しません。先述したように、異質な存在について知識を得ることと、隣人として受け入れることとは別なのです。

 多様性を包摂する公正な社会とは、その厳しい現実を前提に、異なる属性の人たちの間で手間と時間をかけて議論を重ね、法律などの仕組みを作って弱い立場の人を守り、メディアを通じてマジョリティが気づいていなかった様々な差異を可視化するなどの複合的な営みによって作られるものです。

 そう、多様性って、とってもめんどくさいのです。私たちはこれから、なんでもいちいち説明して話し合わないといけない、手間のかかる社会を生きて行くことになります。その覚悟を決め、新たな制度設計に多大なエネルギーを割くことが求められているのですね。

 えー、なんか大変そうだから、やっぱ今まで通りでいいや、と思うかもしれません。この住み慣れた大きな輪っかの中で、気の合う人とだけ生きていけばいいや。うるさいことを言う人には出ていってもらえばいい。どこかに多様性に寛容な社会とやらがあるなら、そっちでよろしくやってよ。うちらはここで今まで通りにやるからさ。文句言うなよ。違いを認めるってそういうことでしょ?

 そうやって閉じつつあるのが、今の日本なのかもしれません。人権がどうとか言ってるのは一部の意識高い人たちだけだよね、と。ところが、世界の政治や経済の流れではジェンダー格差の解消やあらゆる差別の禁止が共通の目標となり、「そんなのは、所詮きれいごと」とスルーする態度はもはや通用しなくなっています。

 ビジネスでも、企業の人権デューデリジェンス(企業が自らのビジネスに関わる全ての人の人権を尊重するために行っている取り組み)が、厳しく問われるようになっています。

 自分たちがマジョリティでいられる場所に閉じこもって、世界から見ると「同じテーブルで話のできない人たち」になっていく。そうなった時に初めて見える景色もあるのかもしれません。ああ、「主要な人たち」から外れた周縁部から見える景色ってこういうものか、と。ただ、「日本は人権後進国」という不名誉なイメージのもとで失った国際社会からの信用や敬意は、すぐには取り戻せません。

 また大げさなお説教? と思うかもしれませんね。けど、これも半径2メートルの延長線上にある話。人権は、弱い人だけに必要なものではありません。全ての人にあるものです。そう、今イライラしながらこれを読んでいるあなたにも。人権を大切にするのはいい人ぶることでも、誰かを贔屓(ひいき)することでもなく、特段怖い思いや辛い思いをしないで暮らしている人が、そのまま安全で自由に暮らしていられるようにすることです。何かに怯えたり困ったりすることなく暮らせる人を、増やすための取り組みです。

 発達障害がある人や、その傾向のある人は、きっとあなたのそばにもいます。ちょっと風変わりな人がいたら「ああ、きっとあいつは発達障害だな」と勝手にラベリングするのではなく、そうかもしれないしそうでないかもしれない、いずれにしても、もし困っていることがあるなら何か自分にできることはないかな? と思って接して下さい。

 わざわざ「会いに行く」機会をつくらなくても、すでにあなたの目の前に、多様な世界は広がっているのです。

(文・小島慶子)

出典: Getty Images

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。

連載 Busy Brain

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます