マンガ
「また会いたい」母を亡くした娘を救った〝お母さんのママ友〟漫画に
読者の悲しみ癒やす心象風景
とある漫画が、SNS上で静かに共感の輪を広げています。母の死に涙し、「天国にいるよ」という周囲の励ましさえ、つらく感じてしまう娘。そんな彼女の寂しさを払った、一人の女性との交流を描く内容です。実体験を記録したという作者に、胸の内を聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
スーパーで買い物をしていた主人公・さゆり。「さゆりちゃん? やっぱり!! さゆりちゃんだ」。突然、一人の女性が声をかけてきました。保育園時代の友人「ゆう君」の母親です。
久しぶりの再会を、ひとしきり喜んだのもつかの間、女性の寂しげな表情を見せます。「最後に会ったのは……お母さんのお葬式だったもんねぇ」
母を早くに亡くした、さゆり。生前、親交があった女性は、葬儀に駆けつけました。その場で、大粒の涙を流しながら、家族の死を悼んでくれたのです。
「私ねぇ、この辺に引っ越して来た時、ずっとひとりぼっちでさ……」。二人の子供と転居してきたばかりの時期の記憶を、さゆりに語ります。友人も、知人も、頼れる親類もいない。一人で育児をする毎日に、心をすり減らしていました。
寂しさに打ちひしがれている頃に出会ったのが、さゆりの母でした。「あれ? お兄ちゃん、もしかしたらうちの娘と同い年かも!」「もし暇なら、これから遊ぶ?」。初対面の女性にも、屈託なく話しかけます。
親子同士、一緒にお茶を飲んで打ち解け、ただ楽しく笑い合う。「ママ友」とのささやかな時間が、こわばりきった女性の気持ちを、柔らかくほぐしてくれました。
自分が知らない、生前の母の様子を思い浮かべ、顔をほころばせるさゆり。彼女に対し、女性は話を続けます。
「それからお母さんには、いっぱい助けてもらったんだよ」「今も、こうやって買い物してたら、『久しぶり』って、また……会えるんじゃないかって……」
「ごめんね……」
謝る女性を見つめるうち、さゆりのほほを、いつの間にか光るものが伝っていました。悲しみのためだけではありません。うれしさがこみ上げてきたからです。
母が亡くなって以降、さゆりは周囲の人々から、こんな風に言われてきました。「天国から見てくれてるよ」。励ましであると理解していても、母が「死んでしまった人」と認められることが、苦しくてたまらなかったのです。
でも、女性は違いました。今でもまだ、母に「また会いたい」と言ってくれる。そのことの喜びは、この上ないものでした。
「元気でね」
「はい……ありがとう」
寂しさに震え続けていた心を、優しく温めてもらったさゆり。女性と握手を交わし、別れを告げる場面で、物語は幕を閉じます。
「今も親から携帯電話に連絡がくるのではと思っている」「本当は『見ていてくれる』じゃなくて『一緒にいたい』と言って欲しい」「私も会いたい、と叫びたくなって、涙が出た」
ツイートには、家族を亡くしたとみられる人々の声が連なりました。
1万超の「いいね」を得た、今回の作品。描いたのは、漫画家・イラストレーターのさゆりさん(30・@NANASHIORI)です。3人きょうだいの末っ子として育ち、現在は双子の息子たちとの日々を、エッセーイラストにまとめています。
作中でも触れられた、母との別れが訪れたのは、さゆりさんが10代の頃です。ある日の夜、家族全員で鍋料理を食べていました。2時間ほど経ち、母が突然、くも膜下出血で意識を失い、わずか二日後に死去したのです。予想だにしない事態でした。
「風が過ぎるように、一瞬で人は亡くなるのかと衝撃を受けました。母は以前、『病気で寝込むのは嫌。死ぬならバタンと倒れて、そのまま眠りたい』と言っていたんです。まさか本当にそうなるなんて、思ってもいませんでした」
間もなく執り行った葬儀に、女性の姿がありました。幼少期のさゆりさんが、何度もお漏らしをしてしまい、そのたびに服を着替えさせるなど、目をかけてくれた人です。しかし、この時は胸がつまり、互いに何も話せなかったといいます。
「ゆう君のお母さんは、本当に優しくて、大好きでした。私の実家の隣には池があり、亀が泳いでいるんです。その様子を親子で見に来ていたところ、私の母が話しかけたのがきっかけで、家族ぐるみの交流が始まったと聞いています」
かつてのさゆりさんにとって、「優しくて、いつもニコニコしている友達のお母さん」というイメージが強かった女性。数年後、漫画に描いた体験を通し、色々な悩みを抱えていたことを知ったと振り返ります。
当時の女性の振る舞いのうち、さゆりさんの心を強く揺さぶったのが、「お母さんに会いたいね」という一言でした。
「近所の人は『お母さんがいてくれたらねぇ』と、一緒に涙を流して悲しんでくれたんです。でも、私は母が亡くなったと信じられず、どこかにいるんじゃないか、と考える日もありました」
「かといって母のことを思い出したり、口に出したりすれば、つらくなる。私たち家族は、次第に母の話をしなくなっていきました」
もう母と、同じ空の下で暮らせない。そう痛感させられた出来事もあります。
成人式の日、会場まで車で送ってくれた友人の親が「お母さん、きっと天国で喜んでくれているよ」と、明るい声で話したのです。さゆりさんは後部座席で、こっそり涙しました。
「だけど、ゆう君のお母さんは、まっすぐ、気を遣わずに『会いたい』と言ってくれました。その時、『お母さんの話をして良いんだ』と初めて思えた。胸が温かくなったのを、今でも覚えています」
そんな母の性格は、繊細で、ついつい気を回してしまうさゆりさんとは正反対。よくしゃべり、友達が多かったそうです。
自分は結婚できない、孫にも会えないと伝えた時は、こう返してくれたといいます。「孫に会えなくても、あんたが遠くでも近くでも、おいしいものを食べて笑っていたら、お母さんそれで安心する」
独特の明るさは、死後もさゆりさんの心を照らします。
葬儀後のある日、うたた寝していると、夢に母が現れました。後ろ姿に向かい語りかけようとするも、声が出ません。すると「お母さんのことは、もう心配しなくて良いんだよ」と言ってくれたのです。
「本当は『産んでくれてありがとう。反抗ばかりしてごめんなさい』と伝えたかった。正直まだ、母の死を受け止め切れていません。今は子供もいます。できれば抱っこして欲しかった」
「叶わない分、息子たちには『ばあばはもう一人いるんだよ』と教えています」
後悔は、今なお数え切れません。それでも、母と会ったことがない夫が、笑顔で思い出話を聞いてくれる時は、喪失感と向き合えている気がするそうです、そして、わが子の成長を見守る中で、母への感謝の念も、深まりつつあるといいます。
今回、筆を執ったのは、自らの気持ちに正直な話が描きたいと思ったから。4日かけて、自身の深みで渦巻いていた感情を、余すところなく表現しました。
さゆりさんの心象風景は、読者たちの悲しみを癒やしています。作風に惹かれた人々に対しては、こう語りました。
「これから先、悩んで描けなくなったら、コメントを読もうと思いました。一つ一つの言葉全部が、私にとって宝物になりました。たくさんの方に読んで頂けて、本当に嬉しいです」
その上で、次のようにも話しています。
「私は『天国で見てくれているよ』と言われるとつらかった。逆に、『天国』の存在を救いに思っている人もいます。そこにいてくれる、存在を感じることで救いになる人は、たくさんいます」
「私が伝えたいのは『天国』が決して悪いことではなく、『自分がいて欲しいと思う場所』に、その人がいて良いんだよということです。天国や空でもいいし、夢の中だっていい。全部間違っていないし、それで良いんだと思って欲しいです」
母のともだち(1/3) pic.twitter.com/Umsu0ckBja
— さゆり (@NANASHIORI) September 17, 2021
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