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アイデンティティ、こんなの出せるわけない…はずだった野沢雅子ネタ

解散を考えた年に生まれたキャラ

野沢雅子さんに扮した漫才でブレークしたアイデンティティの田島直弥さん(左)と見浦彰彦さん=スギゾー撮影
野沢雅子さんに扮した漫才でブレークしたアイデンティティの田島直弥さん(左)と見浦彰彦さん=スギゾー撮影

目次

人気アニメ「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空の声優で知られる野沢雅子さんに扮した漫才のみならず、YouTubeの歌ってみた動画やイラストの早書きでも高い人気を誇るお笑いコンビ、アイデンティティの田島直弥さん(37)と見浦彰彦さん(36)。メディアの枠を超えて脚光を浴びる2人は今、どんな思いで活動しているのか。「こんなの世に出せるわけない」と感じていたものまねキャラの誕生秘話。ブレークまでの道のりから、テレビとYouTubeとの違いまで語ってもらった。(ライター・鈴木旭)

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アイデンティティ
2004年、東京アナウンス学院在学中にコンビ結成。2016年より田島直弥が声優・野沢雅子に扮したものまねで注目を集める。見浦彰彦も田島の横でアニメなどのキャラクターに扮することがあり、コンビで「ドラゴンボール芸人」と呼ばれることも。太田プロのライブ「月笑」のクライマックスシリーズ(年間最終戦)で2017年と2018年に優勝。田島個人では、2017年と2018年の「R-1ぐらんぷり」で準決勝に進出。今年2021年6月18日には、動画配信プラットフォームOPENREC.tvのお笑い番組「お笑いジャッジ」の出演が控えている。
 

キャラ誕生のきっかけは居酒屋

――今や定番となった野沢雅子さんのものまねですが、初めて披露したのはいつ頃ですか?

田島:2015年12月に「月笑」(太田プロダクションが主催するライブ)の年間チャンピオンを決めるクライマックスシリーズでやったのが最初です。僕らはエキシビションみたいな形で出させてもらったんですよ。

見浦:本当にどんなネタをやってもいい、順位に関係ない場面ですね。

田島:今とは違って、素の状態で野沢雅子さんの漫才コントをやったんです。そしたら、MCをやっていた彦摩呂さんが「ものすごい似てたのがいるのよ!」ってエンディングで僕らをピックアップしてくれて。それまでそんなふうに取り上げられることがなかったから、すごい嬉しかったですね。

見浦:エンディングが終わった後も、周りの先輩から「何で今までやらなかったの? めちゃくちゃ似てるじゃん」って言われましたからね。

田島:意外だったのは「似てるよね!」っていう反応なんですよ。「そっちなんだ」ってちょっと驚きました。僕らの中では、これをパッケージにしようなんて思ってもみなかったし。ネタの面白さを見せる中で、「全体を通して悟空の声でやってみたら面白いんじゃないか」っていうスタートでしたからね。


――ちなみに最初のネタってどんな内容だったんですか?

見浦:そもそもは、僕が居酒屋で野沢さんを見たって話を相方にしたのがきっかけなんですよ。

田島:それを聞いて見浦に「声は掛けなかったの?」「悟空の声が聞こえてきたの?」とかって質問をぶつけてるうちにパッと思いついて、「オレちょっと野沢さんやるから声掛けてみて」ってミニコントみたいなことをやったんです。僕がおふざけで悟空の声で返したら、「いや、普段そんな悟空じゃねぇだろ」とかってやり取りが面白かったんで、これはちょっとできそうだなとネタにしてみたっていう。

見浦:それがきっかけだったんで、悟空の格好してやろうって発想にはならなかったんでしょうね。

アイデンティティの2人=スギゾー撮影
アイデンティティの2人=スギゾー撮影

見浦の熱烈なアプローチでコンビ結成

――お二人は東京アナウンス学院の同期として知り合ったんですよね。

田島:1クラスだったので、入学当初から存在は知ってました。アナウンス学院の芸能バラエティ科って、ほかの養成所みたいに何百人とか入ってくるようなところではないので。

見浦:最初は2人きりじゃなくて、何人かのグループで話すって感じでしたね。アナウンス学院って入学してすぐに1泊2日の親睦合宿があるんですよ。その道中のバスで生徒同士が自己紹介し合ったりするんですけど、相方の印象ってあんまりなかった。明るいとかテンションの高いタイプとかではなかったので。

田島:僕はそんなに尖ったりはしてないんですけど、ちょっと人見知りもあって印象が薄かったんだと思います。見浦は完全にクラスの中心にいるようなお調子者タイプ。同じようなキャラのヤツらとバスの最後列を牛耳ってたんです。だから最初は、「ちょっとあそこと仲良くなるのは時間掛かるな」って感じでしたね。


――真逆のタイプだったんですね。コンビを結成したのはアナウンス学院の2年生の頃ですか?

見浦:そうです。当時から相方は漫才のボケをやっていて、僕はその感じがすごい好きで。1年の後半ぐらいから「あ、ちょっとあの子いいな」と思いつつ、「でもコンビ組んでるし」って感じだったんです。それでも声を掛けて、一度は振られてるんですけど。しばらくして、「田島のコンビが解散するらしい」っていう噂を聞いたから、そこで改めて声を掛けたんですよ。

田島:ただ、その時に見浦のコンビは解散してないんですよ。「お前のコンビどうすんの?」って聞いたら、「田島、それは気にしなくていいから」って言ってくる。最初は「いやいや」って濁してたんですけど、あまりに熱心に誘ってくるから最終的に「じゃ組むよ」と受け入れたんです。

その翌日ぐらいに見浦が「解散したから」って言ってきたんですけど、オレその相方にめちゃくちゃ申し訳ないことしたなと思って。そんなに簡単に乗り換えちゃうなんてね。

見浦:一応3カ月ぐらいやってはいたんですけど、ライブの結果もそんなによくなかったですし。何かしっくりきてないというか。でも、詰まるところはずっと組みたかったんでしょうね(笑)。それまで僕はボケをやっていて、田島からも「普段からツッコミの感じもない」って言われてたんですよ。それでも、「いや頑張るから。ツッコミでいいからやらしてくれ」って食い下がりましたから。よっぽど組みたかったんだと思います。

アイデンティティの見浦彰彦さん=スギゾー撮影
アイデンティティの見浦彰彦さん=スギゾー撮影

ベタからシュールへ。迷走した時代

――駆け出し時代の『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)では、素の状態で漫才コントを披露していたんですよね。当時、周囲より目立つために工夫していたことはありますか?

田島:いや、まったく何もなかったんです。あの頃は、周りでも凝ったつくりのネタってそんなになくて、割とベタな王道のパターンをやってたんですよね。オンバト自体もそういうわかりやすいネタが受かりやすかったのもあると思います。

ライブではそこそこお客さんも笑うけど、テレビのオーディションではまぁ引っ掛からない。とにかくそれが僕らの悩みでした。それで賞レースの決勝に行ければいいですけど、2、3回戦で落ちちゃうレベルですし。

見浦:本当に平均点の漫才というか。70点ぐらいのネタをやってましたからね。

田島:「どっかで変わんないとな」と思ってたら、周りがちょっとずつ漫才コントをやめて自分の色を出すようになって。気付いたら、僕らだけベタな無個性の漫才をやってる感じになってた。一応事務所のライブでは、自分たちなりにいろいろ試してみたんですけどまぁスベッてましたね(苦笑)。

スベり続けると、ライブの下のコーナーに落ちちゃうんです。それでウケるためにすごく置きに行ったベタなネタやって、また上がったら実験的なネタやってウケなくて……の繰り返しでしたね。

見浦:(眉間にしわを寄せて)ライブに出られなくなったら、もう何もできないですから。

田島:そのうちにオンバトも終わって。その後の2、3年間はシュールなネタばっかりやってました。たとえば見浦がツッコミをやる時に、僕が全部よけるってアクロバティックなネタとか。まぁまぁウケたんですけど、練習がとんでもなく大変で。こうきたらこうよけて、クルッと回ってからまたよけてみたいな。

見浦:ジャッキー・チェンのアクションみたいなものですからね。成功率も著しく低い(苦笑)。一応事務所ライブではうまくいったんですけど、よそのライブではけっこうミスってましたね。

駆け出し時代のアイデンティティ=太田プロ提供
駆け出し時代のアイデンティティ=太田プロ提供

「ダメ元でやってみよう」がブレークの始まり

――田島さんのものまねが一躍注目を浴びたのは、2017年の「R-1ぐらんぷり」だったと思います。決勝には進めませんでしたが、審査員の清水ミチコさんから絶賛されていましたよね。

田島:敗者復活メンバーのみんなでいた時ですよね。中継がきたら、奇しくも敗者復活枠に紺野ぶるまが選ばれて。その後、オレに振りがきたので「(悟空の声で)ぶるまが行ったから、オラも行きてぇな」ってコメントしたらうまくハマったっていう。当時はほとんど知名度もなかったから、「誰だ、アイツは?」となったみたいで。

見浦:めっちゃ悟空の声に似てるヤツがいる、みたいなね(笑)。

田島:本戦には出られなかったですけど、敗者復活メンバーの中では爪痕を残せたのかなと思います。ただ、中継やってる時はスタジオの反応がわからないんですよ。諸々終わって帰宅してから、「スタジオでウケてたよ」と聞いて。今考えれば、あそこで振ってもらったのは運がよかったですね。

アイデンティティの田島直弥さん=スギゾー撮影
アイデンティティの田島直弥さん=スギゾー撮影

――2017、2018年と「月笑」のクライマックスシリーズでも優勝しています。この頃は勢いに乗っている感じがあったんじゃないですか?

田島:2016年から野沢雅子さんの格好でネタをやり始めたんですけど、実はテレビに出るまで半年以上掛かってるんですよ。というのも、事務所のライブではやってましたけど、「こんなの世に出せるわけない」「絶対に怒られる」と思って、テレビのオーディションに一度も持って行かなかったので。野沢さんの格好でやるのは失礼だし、いろんなところから絶対にバッシングがくると思ってましたから。

そんな時に、フジテレビの『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』と、日本テレビの『笑札』ってネタ番組のオーディションを連チャンで受けることがあって。「どうせ引っ掛からないから、野沢雅子さんの扮装でやってみるか」って見浦と話したんですよ。

見浦:ものまね番組のオーディション自体も初めてで。だったら、ダメ元でやってみようってね。

田島:いざやってみたら、過去に経験したことのない手応え(笑)。スタッフさんがもう手を叩いてゲラゲラ笑ってくれて。オーディションにもポンポンッと受かったから、「やっぱりこっちのインパクトのほうが大きいんだ」って改めて痛感したというか。その後のオーディションは全部野沢さんの格好で行くようになりました。僕らがテレビに出るようになったのはそこからです。

事務所ライブでは若干飽きられてるぐらいの時期。それだけに、いろんなパターンをつくってたからテレビ用のストックがあって助かりました。あとテレビに出たことで、ライブに新しいお客さんがきてくれるようにもなってっていう好循環でしたね。

見浦:ライブに僕らが出てきただけで「テレビで見たことある!」って反応がくるんです。その流れでクライマックスシリーズもポンポンッと優勝できたんですよね。

アイデンティティの2人=スギゾー撮影
アイデンティティの2人=スギゾー撮影

解散考えた年にキャラ誕生

――キャラ芸人はインパクトも強いですが、そのイメージから抜け出せない難しさもある気がします。そのあたりの葛藤はなかったですか?

田島:やっぱり12年ぐらい何もないまま活動してたんで、もうそういうのは超えてましたね。「こういう形では売れたくなかった」ってよりも、「どういう形でもいいから出たい」って気持ちのほうが勝ってましたから。

リアルに生活が厳しいって問題もあるし、「今年1年何もなかったら解散して辞めようか」って話をしてたんですよ。そしたら、その年に野沢さんのキャラが生まれた。しかも、大好きなドラゴンボールだったから、そこは本当によかったなと思います。

どっちかって言うと、「いつまでこれができるのか」っていう不安のほうが大きいですね。これをやれなくなった時に、「またゼロから振り出しに戻るのか」っていうのがあるので。僕らのYouTube動画で少し素の部分を出したりしてるのは、そういう意味合いもあるんです。今のスタイルで知ってもらってるうちに、別の面も見せられたらと思ってます。


――YouTubeチャンネル「アイデンティティ田島・見浦」の中には、数百万回再生を記録する動画もありますよね。6年前に開設されていますが、当初はコンスタントに更新する予定ではなかったんですか?

田島:事務所が一斉に芸人のYouTubeアカウントをつくったんですよ。だから、最初は「じゃあ遊びで上げてみようか」って感じで動画をアップしたんです。それ以降、まったく気に掛けてなかったし、ましてや当時は収益がどうとかってことも考えてなかったですしね。

僕が野沢さんをやり始めた頃に、「そういうえばアカウントあったな」と思い出して久しぶりに投稿して。そしたら、その動画の再生回数がすごく伸びていると。当時はYouTubeの相場も何もわからなくて、周りから「調子いいね」って言われて気付いたぐらいなんですよ。

見浦:その時はテレビにも出てなかったから、「こういう芸風です」って自己紹介的な感じで月に1、2回のペースで上げてたんですよ。そしたら、周りの芸人が「こんなにスパンが空いてて、毎回この再生回数はすごい。絶対に収益化したほうがいいですよ!」と言ってきて。それから、ちゃんと更新するようになりました。

駆け出し時代のアイデンティティ=太田プロ提供
駆け出し時代のアイデンティティ=太田プロ提供

お笑い的考えと明確に違うYouTube

――周囲からの声でYouTubeと向き合うようになったんですね。

田島:たぶんテレビに2回ぐらいしか出てなくて、まだ世間に浸透してない頃だったと思うんですよ。SNSとかで動画のリンクが貼られて、「すげぇものまね似てるヤツがいるぞ」って口コミみたいに広がったんでしょうね。

見浦:早くからYouTubeをやってる人たちからすると、「編集なしでこのクオリティーはすごい」っていう驚きもあったみたいです。基本的には事務所の稽古場で撮ってるんですけど、あるタイミングで外でも撮ってみようかって流れになって。「野沢さんが空き缶のポイ捨てを注意する」っていうテーマでロケをやってみたら、映像的にも面白いものが撮れたって手応えがあったんですよ。

それをいざアップしてみたら、まぁ思ったほど再生回数が伸びなくて。不思議なもので自分たちが「いいパロディーだな」と思ったものほど、あんまりバズらないんです。そこは難しさを感じるところではありますね。

田島:たぶん、最近YouTubeを始めた芸人はみんな感じてると思いますよ。芸人の単独ライブって幕間でおもしろ映像を流すじゃないですか。その感覚でやればYouTuberより面白い映像が撮れるし、再生回数も伸びると思ってたんですよ。ただ、実際にやってみると明確にお笑い的な考えとは違うというか。

YouTubeで人気が出る動画と、お笑い的に面白い動画は違う。逆に「こんなんで数字いくの?」って動画もあるし。ふざけてめちゃめちゃ面白いよりは、ちょっと絵の驚きがあったり、「うわ、すごい!」ってもう1回見たくなったりする動画のほうが伸びる。その差はすごくありますね。

テレビとYouTubeは同じぐらいの重さ

――昨今、YouTubeを含めて芸人さんの活躍の場が増えたと思います。今後、お二人はどんな形で活動していこうと考えていますか?

田島:最近、「テレビで見ました」ってより、「YouTubeで見ました」と言われるようになってきてます。ただ、やっぱりテレビには出たいですね。YouTubeで話題になってテレビに呼ばれる方もいますけど、何だかんだでテレビに出てYouTubeもはねるってケースのほうが多い気がします。

「YouTubeがあるからテレビはいいや」とも思わないし、「テレビに出始めたからYouTubeはいいや」とも思わない。そこは両方同じぐらいの重さで考えてますね。

見浦:まったく同意見です。テレビに出させていただくと、YouTube側に「○○見てきました」ってコメントもあったりしますからね。あと、今までは田島のものまねネタありきだったけど、素の状態の1本ネタもちょくちょく上げていってるんですよ。ものまねネタも知ってもらいつつ、素の状態での漫才ネタもやれるんですよってところを見てもらえればと思ってます。

田島:テレビに出て「YouTubeとは違うな」と実感したこともあって。「YouTubeと同じことをテレビでやってほしい」と声が掛かることってよくあるんですけど、それで失敗するケースがけっこう多い。周りでYouTubeやってる芸人は「YouTubeとテレビとでは、明確に意識の差をつけてる」ってみんな言いますから。

だからこそ、チョコレートプラネットの「悪い顔選手権」はものすごいコンテンツなんです。テレビ的でもあるし、YouTube的でもある。ただ、そんなふうに両方でハマるのってなかなかない。基本的にYouTubeは、テレビよりも軽いですからね。そのあたりを模索しつつ、自分たちの色を出していけたらと思ってます。

絶妙なバランスと共通項――取材を終えて

お笑いコンビは、何よりもバランスが大事だ。田島さんは物事に向き合うタイプで、見浦さんはそこまで深くは考えないタイプ。だからこそすれ違いもあるのだろうが、そのちぐはぐさがアイデンティティの魅力だと感じた。

とはいえ、面白いものに反応する感覚は似ている。野沢雅子さんのものまねキャラが誕生した経緯を考えても、その共通点がなければ大きな成功はなかっただろう。まったく違うのに、根底ではつながっている2人。今後、さらなる変化を遂げ、私たちを楽しませてくれるに違いない。

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