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「月9」黄金期支えたBSフジ亀山社長 転機になった『あすなろ白書』

プロデューサーとして手がけた「月9」の恋愛ドラマを振り返る亀山千広・ビーエスフジ社長=丹治翔撮影
プロデューサーとして手がけた「月9」の恋愛ドラマを振り返る亀山千広・ビーエスフジ社長=丹治翔撮影

目次

『あすなろ白書』『ロングバケーション』『ビーチボーイズ』。フジテレビを代表する「月9」ドラマをプロデューサーとして関わった亀山千広氏(株式会社ビーエスフジ代表取締役社長)は「恋愛ドラマが得意じゃなかった」と当時を振り返ります。その亀山氏が恋愛ドラマを手がけるようになったきっかけは? ドラマ作りで大切にしてきたことは? ライターの我妻弘崇さんがインタビューをしました。

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「月9」をはじめ、数々の恋愛ドラマを生み出してきたフジテレビ
「月9」をはじめ、数々の恋愛ドラマを生み出してきたフジテレビ

映画好きの青年がテレビに

「もともと僕は恋愛ドラマは得意じゃないし、正直に言うと好きではなかった。恋愛ドラマを作るのは乗り気じゃなかった」

亀山氏は、そういたずらっぽく笑う。

「映画が大好きだったんですよね。学生時代、映画監督・五所平之助さんのもとで書生のようなことをやらせていただき、そのまま映画業界に飛び込むつもりだった。ところが、五所のおやじさんから、『映画は今はダメだ。テレビに行け』と」(亀山氏、以下同)

映画好きの青年は、後に『あすなろ白書』、『君といた夏』、『ロングバケーション』、『ビーチボーイズ』といった、月9の名作ドラマを数多く手がけるプロデューサーとなる。そして、『踊る大捜査線』で空前のブームを巻き起こすまでにいたる。新しい時代のテレビドラマの申し子、そんな印象もある同氏から、まさか「恋愛ドラマが好きじゃなかった」なんて言葉が飛び出すとは、あまりに意外だ。

では、どうして恋愛ドラマを手がけるにいたったのか? その理由を知るには、亀山氏がフジテレビに入社する昭和55年(1980年)に、時計の針を巻き戻す必要がある。

編成から始まった新人時代

当時、フジテレビは村上七郎専務、鹿内春雄代表取締役副社長らのもと、大編成局構想を進めていた時期だった。大編成局構想とは、端的に言うと編成と制作を統合させ、編成(主)→制作(従)という編成主導体制を作り上げること。それ以前は、編成と制作がそれぞれ独立し対等な立場として存在していたのだが、編成が制作を吸収することで、より世間の空気感や視聴率を意識した番組作りをスピーディーに行えるようになった。

実際、編成主導に舵を切ったフジテレビは、『オレたちひょうきん族』などの看板番組を打ち出し、視聴率三冠王を達成する。この斬新な機構改革は、フジテレビが嚆矢となり、他キー局も取り入れるまでになる。亀山氏は、改革が進む只中の編成部に配属され、新人時代を過ごす。

「当時はバラエティがものすごい勢いで、僕も『夕やけニャンニャン』などを手伝っていました」と振り返るように、80年代中期、フジテレビはバラエティでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その一方、ドラマはTBSの後塵を拝していた。

80年代、フジテレビの月9枠は、1987年春まで萩本欽一氏が司会を務めるバラエティ番組『欽ドン!』を放送していたが、その後、同枠はドラマ枠として復活し、『アナウンサーぷっつん物語』(1987年4月~6月)がスタートする。亀山氏は同ドラマの企画として参画。以後、ドラマに関わるようになる。

「元々、僕の中にはテレビドラマ=ホームドラマという印象がありました。企画した『アナウンサーぷっつん物語』や『教師びんびん物語』は、僕がやりたかったことです。ホームドラマが時流ではなくなってきていることをひしひしと感じてはいたものの、『男はつらいよ』、『時間ですよ』のような笑って泣けるドラマを作りたかったんですよね」

自らの新人時代を振り返る亀山氏
自らの新人時代を振り返る亀山氏

トレンディドラマ到来も「得意じゃなかった」

約1年間、月9枠で『アナウンサーぷっつん物語』をはじめとした“業界ドラマシリーズ”と呼ばれるドラマ群が作られるが、なかなかTBSの背中に追いつくことはできなかった。ところが、さっそうと追い抜いてしまう作品群が、フジテレビから生まれる。トレンディドラマの登場である。

トレンディドラマは、『北の国から』などを手掛けていたドラマプロデューサーの山田良明氏、広報からドラマを手掛ける第一制作部に異動してきた大多亮氏、演出を担当する河毛俊作氏の三者を中心に一大ムーブメントを作り出す。『君の瞳をタイホする!』(1988年1月~3月)を皮切りに、“月9”というブランドを作り上げ、90年代初頭まで高視聴率ドラマを連発する。その黄金時代の最中、90年4月に亀山氏は編成部から第一制作部に異動する。念願のドラマ畑。だが、ホームドラマを標榜するには、あまりに向かい風が吹いていた。

「トレンディはトレンディで得意な人たちが作っていたので、そこに僕が入らなくてもいいだろうという気持ちがありました。『東京ラブストーリー』以降、月曜9時が恋愛大河と呼ばれるような枠になり、どのクールにも恋愛ドラマが入り込むようになっていった。ですが、僕はそういったドラマには参加していない(笑)。第一制作部で最初にプロデュースした『結婚の理想と現実』もホームドラマの要素が強い。視聴率的には振るわなかったかもしれないけど、月9が数字を取ってくれているからバッファはあるだろうって」

恋愛ドラマが好きではなかった理由について、亀山氏は「『好きだ』と言えば、それで終わってしまうから」と朗笑する。

「感情って長続きしないんですよ。恋愛ドラマって、A男がB子に思いを寄せているとしたら、1クール分、視聴者の興味を引き続けないといけない。初回で告白して付き合ったらお話にならない。好きって言わせるためにドラマを作っているわけで、本来、長続きしない感情を無理やり長続きさせるのが恋愛ドラマ。“恋愛はするものであって、見るものじゃない”と思っていますから」

トレンディドラマの創設者の一人・大多亮氏と、少年少女の恋を描く『小さな恋のメロディ』の“その後”を議論したことがあったそうだ。

「僕は、子ども二人だけでうまくやれるわけがないと思うから、トロッコに乗った先、100メートルくらい先で、あの二人は捕まると思っている(笑)。純愛を信じている人は、あのトロッコの先に素晴らしい世界があると思える。大多君は『夢がない』って笑うわけです。でも僕は、あの先に2人を迎え入れてくれる大人がいて初めて安心ができる。恋愛ドラマが得意じゃないんですよ、僕は」

「恋愛ドラマは得意じゃなかった」と笑う亀山氏
「恋愛ドラマは得意じゃなかった」と笑う亀山氏

『あすなろ白書』が転機

純愛ドラマが求められている中で、「くすぶっていた」。そう回想する。だが、93年にプロデュースする『あすなろ白書』で転機が訪れる。同ドラマも恋愛模様を描く作品だ。なぜ、あすなろは功を奏したのか?

「はじめて真剣に取り組んだ恋愛ドラマだったと思います。ただ、僕の中では恋愛ドラマというよりも、群像劇として興味をそそられた作品でした。打ち合わせのとき、北川悦吏子さんが、原作をベースに群像劇として魅力的なレジュメを書いてきてくれた。ですが、原作とあまりに違うため申し訳ないと思い断ろうとしたら、原作者の柴門ふみさんが了承してくれた。恋愛も描くけど、群像を描くことができたのが大きかった」

ドラマ作りの基本は、「三角形をどれだけ作れるか」と、亀山氏は話す。

「恋愛って一対一で向き合うものです。でも、ドラマでそれをすると面白くはならない。そのため、一対一のそのどちらかに心を寄せる別の誰かがいる。この三角があるからこそ、すれ違いや軋轢が生じ、その模様を視聴者は客観的に楽しめる」

「僕がホームドラマを好むのも、父親がいて母親がいて子どもがいると、おのずと三角形になるから。お父さんに言えなくても、お母さんには話すことができる……そういった感情の機微を描きやすい。『あすなろ白書』は恋愛の要素こそあるけど、三角形を作りやすい群像劇だった。手応えを感じながら作ることができたドラマでした」

振り返ると、名作と呼ばれる亀山プロデュース作品は、群像を描いた『若者のすべて』、三者を中心とした『ビーチボーイズ』という具合に、三角形を散りばめたものが目立つ。その成功の原点が『あすなろ白書』だった。

「『踊る大捜査線』も三角関係ありきです。所轄と本庁、中間管理職がいて、それぞれの思惑が交錯すれば面白くなる。所轄は所轄の中で三角関係が存在する。三角形を作ると、ドラマって面白くなるんですよ」

水辺が多い理由は

もう一点、亀山プロデュース作品には特徴的な要素がある。水辺が多い――。『あすなろ白書』は多摩川、『若者のすべて』は京浜工業地帯、『ロングバケーション』は隅田川、『ビーチボーイズ』は館山、『踊る大捜査線』はお台場。この点を尋ねると、「ハハハハハ!」と笑いながら、まさかの答えが返ってきた。

「厄年のとき、運気を占ってもらったんです。すると、『あなたはグリーンがダメ。ラッキーカラーはブルー。したがって山よりも海の方がいい』と言われた」

冗談みたいな本当の話。「まさかそれだけじゃないですよね?」と念を押すと、真面目な顔に戻って、「水辺って演出的にキラキラさせるのに最適な場所」と教えてくれる。

「ロンバケは隅田川周辺でロケを行っていますけど、ライトを当てると、あの墨田川が海外かと見まがうほどにキラキラと輝く。絵的にも、恋愛ドラマと相性がいい。でも、 ラッキーカラーの話も本当ですよ(笑)」

「水辺ってキラキラさせるのに最適な場所」と、恋愛ドラマとの相性の良さを語る亀山氏
「水辺ってキラキラさせるのに最適な場所」と、恋愛ドラマとの相性の良さを語る亀山氏

「ここぞ」という時の主題歌

もし亀山氏のラッキーカラーがグリーンだったら、『マウンテンボーイズ』になっていたかもしれない。さらに、主題歌にも次のような意図があったと明かす。

「当時から“ながら視聴”は存在していて、何かのきっかけでドラマを見てもらわないといけないわけです。そこで、ここぞというタイミングで、主題歌を流すという演出を取り入れていました。音楽がかかると、ながらをしていた人が注目してくれる。主題歌が流れるタイミングは、絶対に面白い展開でなければいけなかった」

その意識を、演者自身にも共有させるために、「打合せや照明直しの合間に、肝のシーンはこの曲がかかるからって、繰り返し主題歌やテーマソングを流していた」というから驚きだ。プロデューサーの仕事はチーム作り――、そうからっと笑う。

「恋愛ドラマを作っているときって、視聴者も含めて3か月間一緒に恋愛ドキュメンタリーを作っているイメージに近い。1話目をオンエアしているときは、4話目くらいを作っている……もう本当に自転車操業です。視聴者の反応を見ながら作っていたから、群像劇ともなると、脇役のCさんの人気が思ったより上がらないとなれば、早々と退場してもらうこともあった(笑)。てんやわんやですから、雰囲気が良くないと面白いものなんて作れない」

見ている人の息抜きに

決して得意ではないと振り返る恋愛ドラマ。だが、結果的に数々の名作を世に送り出した。

「ドラマは、見ている人にとって息抜きさせるものである、そう僕は思っています。徹頭徹尾、真面目やシリアスでは疲れてしまう。キャスティングを見ていただくと分かると思うのですが、僕は意図的にユースケ(・サンタマリア)のような笑いの要素がある人を配置する。ある意味、コメディリリーフ(深刻な物語の中に、緊張を和らげるために現れる、滑稽な登場人物・場面・掛け合い)のつもりなんですよ。真面目な役であっても、そういう存在が演じることで、視聴者の皆さんには、肩の力を抜いてほしいというか」

根底に、ホームドラマの遺伝子が流れているからこそ。

昨今、オリジナルドラマを放送するBS局は珍しくない。BSフジも『警視庁捜査資料管理室』といったドラマを制作した背景を持つ。地上波に比べると予算は少ないが、「逆手に取って面白いものを作りたい」と力強く語る。逆境からヒット作を輩出した申し子が言葉にすると、胸が躍る。

亀山千広

1956年、静岡県生まれ。株式会社ビーエスフジ 代表取締役社長
早稲田大学在学中に、映画監督・五所平之助の書生を務め、映画製作を経験する。1980年フジテレビ入社後、編成部および第一制作部を経て、編成制作局局長に。代表的なドラマプロデュース作品に、「ロングバケーション」「ビーチボーイズ」「踊る大捜査線」など。2003年よりフジテレビ映画事業局長として、「踊る大捜査線」シリーズをはじめ「海猿」シリーズ、三谷幸喜監督作品、「テルマエ・ロマエ」などの製作を手がける。2013年同社代表取締役社長、2017年より現職。

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