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同棲相手「困った人」実は脳に障害「人が変わった」後も別れない理由

©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典: 『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)

目次

「キレて会社を辞める」を繰り返すこと4回、家で寝てばかりの同棲相手・寝太郎(仮名)さんは、ささいなことで不機嫌になったり、そのくせ、すぐにケロリと忘れたり。マンガ家のいのうえさきこさんは当初、こんなパートナーを「困った人」だと思っていたと言います。そんなある日、「何らかの病気では」と疑い、いのうえさんが調べてみると――。

それは「高次脳機能障害」の特徴と一致します。そして、寝太郎さんは過去に脳出血を発症したことがあったのです。この障害により、「人が変わった」ようになったパートナーとの生活を『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)で描いたいのうえさんが、障害を持つパートナーとの生活で得た気づきを紹介してくれました。(朝日新聞・朽木誠一郎)
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恋人が脳出血で左半身マヒに

©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――いのうえさんと寝太郎さんはどれくらいの付き合いになるのでしょうか。

交際して10年以上ですね。10年前に寝太郎が脳出血を発症して、左半身にマヒが残りました。さらに悪いことに、寝太郎の利き手は左だったんです。身の回りのことを一人でしにくくなったこともあり、一緒に住むようになりました。

もともと寝太郎は出版社の編集者で、私の担当をしてくれていて。当時は「ナチュラルボーンお気楽野郎」って感じの人でした。「いのうえさん、よくこんなくだらないギャグをマンガにして世に出せますね、あはは」って、屈託なく失礼なことを言ってくるんですよ。でも、やさしくて、ハツラツとした人で。今とは真逆ですね(笑)。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――寝太郎さんの変化にはいつごろ気づいたんですか?

脳出血発症後、一命を取り留めた直後は、変わりなかったんです。意識を取り戻してすぐ、抱えている仕事がたくさんあるから「病室にノートパソコンと携帯を持ってきて」と言うほどで。もともと潔癖症なところもあり、自力でトイレに行きたいからって、リハビリもがんばっていました。

でも、次第にというか、少しずつ、彼らしくない言動が増えてきて。引っ越しの当日になっても荷物をぜんぜんまとめていないとか、仕事中に居眠りをするとか、「バカ上司を怒鳴りつけた」と言い出すとか……。

――その頃、いのうえさんはまだ「高次脳機能障害」という概念を知らなかったんですよね。高次脳機能障害はケガや病気により、脳に損傷を負うことで生じる障害で、さまざまな症状が表れます。

はい、医師の方も説明してくれていなくて。脳出血と寝太郎の変化が、ちゃんと結びついていなかったんです。だから、寝太郎のことは「困った人」になってしまったと思っていました。

でも、あるとき寝太郎のお母さんが何気なく「認知症みたい」って言って。私も気になって、何か原因があるんじゃないかと調べたときに、高次脳機能障害のことを知りました。

「愛情だけでは寄り添えない」現実

©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――寝太郎さんは実際にどう変わってしまったのでしょうか。

高次脳機能障害では、「記憶障害」や「注意障害」が生じます。例えば寝太郎はズボンのポケットにティッシュを詰め込むクセがあるんですが、それを何度、注意しても、洗濯機の上の目につくところに大きく貼り紙をしても、そのまま洗濯してしまう。

おかげで私が服に貼りついたテイッシュをちまちま取ることになるわけです。でも、寝太郎もわざとやっているわけではなくて、注意されてもあっという間に忘れたり、貼り紙の意味するところがわからなくなったりしてしまうんですね。これはまさに記憶・注意障害でした。

また、「遂行機能障害」というのもあって、自分で計画を立てて何かをすることができなくなってしまう。例えば約束の時間に間に合わない、なんてことがよく起きるんです。さすがに、就職面接に遅刻したときはハラハラしました(苦笑)。

もう一つ、これが人柄に大きく関わる部分ですが、「社会的行動障害」として、すぐ興奮したり、暴力を振るったりするようになります。思い通りにならないと、大声を出す、とか、自己中心的になってしまう。一緒に生活する上ではこれが一番、やっかいで。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――寝太郎さんの場合はどのような……?

すぐキレて、でも次の瞬間にはキレたことすら忘れてケロリとしている。もちろん、本人が一番つらいのはわかっているつもりです。でも、その言動で周囲がどれだけ傷ついても、本人はそれに気づかないし、そう訴えても覚えていられない。

大声を出したり、暴れたり……。それ自体もですが、昔の寝太郎をよく知っているだけに、そのギャップがしんどかったです。別れを切り出したこともあるのですが、生活していると時々、昔の寝太郎がちょっと顔を出す、みたいなこともあって、やっぱり別れられなかった。

この現実を前にしたら、「愛情」だけでは寄り添えないと感じたんです。寝太郎と一緒にいようとするなら、大事なのはまず、「敵」を知ることだと思い直して。そこからこの障害のことを調べるようになり、試行錯誤が始まりました。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)

世の中、捨てたもんじゃなかった

©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――寝太郎さんが高次脳機能障害だとわかってからは、どんな変化がありましたか?

私は寝太郎に障害があることを理解したつもりで、でも、寝太郎が元通りになることを心のどこかで期待していた。ぜんぜん、受け入れられていなかったんだなとわかりました。

数え切れないくらいのケンカをして、ようやく身にしみたのが、「起きてしまったことは、もうどうしようもない」ということ。取り返しのつかないことを考えても時間を浪費するだけです。こうやって受け入れる最初のハードルを越えたら、これまで見えていなかったことが見えるようになったんです。

例えば、寝太郎はずっと、私が料理を作っても、サラダを食べなかった。野菜が嫌いだからだろう、注意してもムダだ、と思っていたのですが、違いました。実は、寝太郎には脳出血の後遺症の半側空間無視という症状があって。実際には見えているんですが、左側にあるモノを認識できないんですね。

私はサラダを左側に置いていて、だから寝太郎はサラダに気づいていないだけだったんです。サラダを右に置くようにしたら、寝太郎はサラダを食べるようになりました。たったこれだけと言えばこれだけの工夫ですが、心がささくれだっていると、できないことなんですよ。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――寝太郎さんが再度、脳出血を起こして入院したときに、「高次脳機能障害」の資料を持って当時の寝太郎さんの会社に行き、上司や社長に(入社前に寝太郎さんが報告していなかった)障害のことを説明するシーンが印象的でした。

私、自分のことになると腰が重いんですけど、人のことになるとフットワークが軽くなるんだな、と気づきましたね(笑)。もちろん、当時の寝太郎の会社の人たちがすごく柔軟な方々だったというのはあるのですが。作中にもあるように、障害があることを知った上で、引き続き働かせてくれることになったんです。

世の中、捨てたもんじゃないなとか、やってみれば意外と簡単なこともあるぞとか。そうやっていろんなことを再発見するきっかけになった、という面はあります。もちろん、きれいごとばっかりじゃない、大変なことの方が多いんですけど、だから私は今も寝太郎と一緒にいるんだと思います。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)

身の回りにいる「困った人」も…

©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
――作品のタイトルが「なんで別れられないんだろう」ですが、いのうえさんはどうして「別れられない」のでしょうか。

籍も入れていないし、あえて冷たい言い方をすれば、一緒にいることへの強制力というのは、私と寝太郎の間にはないんです。というより、もし家族だったとしても、「サポートしなければいけない義務」はないと私は思います。自分が壊れてしまうくらいなら、公的な支援や民間のサービスに頼っていいんだから。

この意識は私と寝太郎が共依存のような関係にならないためにも大事だと思っていて。よく「献身的ですね」と言っていただくこともありますが、それもちょっと違うと感じています。あくまでも私は「自分はどうしたいか」を考えて、今のところ一緒にいる、というだけなんですよ。

――そもそも人間の関係って、割り切れることばかりでもないですよね。

そう思います。タイトルは「なんで別れられないんだろう」ですが、10年以上が経っても、はっきり答えが出ているわけじゃないんです。でも現時点で、私は「この人のそばにいることが、自分の一番、幸せな道」だと思っている。だから一緒にいます。

もともとこの作品は、寝太郎が高次脳機能障害だとわかる前にスタートしたものなので、当時は本当にただの「困った人」となぜ別れないのか、という男女の問題を描こうとしていたんです。だから、連載開始直後の寝太郎はすごくイヤな人に見えてしまっていたかもしれない。そこは実は、後から描き直しました。

――事情を知ったことによって、印象も変わった。

そうなんです。そして、こういうことって、他の人にもあるかもしれない、とも思うようになりました。誰だって身の回りに「困った人」ってきっと一人や二人はいるけれど、それぞれ何か事情を抱えているかもしれない。

もちろん、自分が迷惑をかけられたらたまったもんじゃないですが、そう想像してみることで心が軽くなることもあるんじゃないか、と思います。とはいえ、「むっちゃ腹立つな寝太郎」って思うこと、今でもたくさんありますけどね(笑)。

最近も寝太郎、トラブルを起こして会社を辞めてきちゃったんです。ちょうどこの本のあとがきを描いているときに。せめて出版後にしてくれって思いましたけど、仕方ない。寝太郎はもう、ただいるだけでいい。明日は今日よりちょっと、上手くやれるようになるかもしれない。そう思って生活しています。
©いのうえさきこ(秋田書店)2020
©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)
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©いのうえさきこ(秋田書店)2020 出典:『私、なんで別れられないんだろう 〜脳が壊れた彼との日々〜』(秋田書店)

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