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消防官だけが知っている…「消防メシ」皿洗いから始まる〝新人修行〟
私の料理の腕は、かつての消防署で磨いた…一体感生み出す伝統、もう食べられない?
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私の料理の腕は、かつての消防署で磨いた…一体感生み出す伝統、もう食べられない?
一般市民があまり立ち入ることのない消防署ですが、消防官の人たちは24時間災害に備え、「缶詰状態」で生活をしています。そこで気になる「衣食住」。中でも、食事はどうしているのでしょうか? 元消防官の記者が経験談を交えて解説する消防のトリビア第2弾は、時代の流れで変わりゆく消防署の「台所事情」です。(元消防官の朝日新聞記者・仲程雄平)
レスキュー隊員に憧れていた私は、高校を卒業して消防官になりました。2002年に東京消防庁に入庁し、2010年春まで東京都北区の滝野川消防署で勤務しました。
その間に夜間大学で学び、文章の魅力に取り憑かれた私は、お世話になった東京消防庁から飛び出し、見聞を広め、ペンで食べていきたいと考えるようになり、新聞社に転職するために東京消防庁を退職しました。
その後、2011年春に朝日新聞社に入社しました。
シリーズの初回(2020年10月8日withnewsで配信)は、消防署の「すべり棒」をテーマにしました。
これから説明することの中には、私が滝野川消防署で勤務していた頃(10年以上前)の話もあり、現在は変わっているということもあると思いますので、そのことを念頭に読んで頂けますと幸いです。
東京消防庁で災害対応する消防官(ポンプ隊員、レスキュー隊員、救急隊員ら)の勤務体制は3交替制となっています。
つまり、1、2、3部に分かれて、午前8時30分から翌日の午前8時40分まで24時間勤務し、つぎの部に引き継ぐという勤務サイクルです。
さて、食事です。
24時間勤務ですから、昼、夜、朝(翌朝)の3食が必要となります。
滝野川消防署では基本的に、
・平日……昼は弁当を注文し、夜と朝は手作り
・土日祝祭日……3食手作り
でした。
滝野川消防署の食堂と厨房は3階にありました。
米をふっくらと炊けるガス釜あり、炒め物にうってつけの火力十分なコンロあり、と素晴らしい厨房でした。
……と、ここまで書いた段階で、
「というか、消防署で料理してるの!?」「何でわざわざ作ってるの?」
という疑問がわいているかと思います。
その疑問はごもっともです。
ですが、手作りする理由というのは、実際のところ、よく分かりません。
このたび、幾人かの消防官に改めて聞いてみましたが、やはり分かりませんでした。
苦笑してしまう話なのですが、当時もよく分からず作っていました。
そういう疑問を持ったこともありましたが、昔から続く「消防文化」として受け入れていました。
いま振り返ってみますと、理屈じゃないんだと思います。
「同じ釜の飯を食う」とよく言いますが、まさしくそれだったと思います。
今の時代には合わない部分もあるかもしれませんが、そういった行動を通して一体感が生まれるのだと思います。
各部のトップは大隊長なのですが、「大隊長以下、家族」のような一体感です。
それは、死と隣り合わせの災害に立ち向かう「チーム」には、必要な要素だったと思っています。いま振り返ってみても、です。
私が記者になった当初、こんなことが多々ありました。
消防や警察の行事を取材していると、「敬礼!」と号令がかかる場面に立ち会うのですが、そのたびに体が反応して、頭を下げそうになったり、右手を掲げてしまいそうになったりしました。
これは、元消防官としては当然の反応なんですね。
「まるで洗脳みたい……」と、これも戸惑う人がいるかもしれませんが、1人の身勝手な行動が部隊を危機に陥れる危険がありますから、現場では隊長の命令は絶対なんです。
「同じ釜の飯を食う」……これも、そういう一体感のようなところに、無意識のうちに通じてくるものではないか、と私は考えています。
ただ、3食とも作らず仕出し弁当にした場合と比較して……なんていうことはできませんから、あくまでも私の考えです。
さらに踏み込んだ話に移ります。
当時の滝野川消防署の1~3部の各部には、それぞれ4、5班(各班4、5名)の、食事を担当する「食当班(しょくとうはん)」(食事当番班の略です)が編成されていて、順繰りに、その日の当番日の食事(夜、朝の2食か昼、夜、朝の3食)を作っていました。
作る料理は、ハンバーグやコロッケなどといった手の込んだものはしませんが、「消防うどん」(消防署ならではの「うどん」です)、カレーライス、しょうが焼き、野菜炒め……など様々で、それぞれの「食当班」に個性がありました。
各班には、料理の腕に長けたベテランのリーダー(私は陰で「コック長」などと呼んでいました……)がおり、「食当班」を取り仕切っていました。
消防官駆け出しの頃は、日々の訓練に精を出すとともに、「食当班」では、それこそ皿洗いから「修業」に励むわけです。
初めから食材は切らせてもらえませんでしたから、まさしく、料理人さながらですね。
消防官になるまで料理なんてしたことはありませんでしたから、味噌汁にはダシを入れる、といった初歩的なことから、料理のイロハは「食当班」で学びました。
当時こそ、「俺は消防官になったわけで、料理人になったわけじゃない」と、反発心を抱いたこともあったのですが、いまでは感謝しています。
料理をすることが好きになりましたし、それが家庭の役にも立っているからです。
その日の食材を消防署に配達してもらうように、商店に注文するのも新人の役目でした。
ちなみにですが、消防署の昼食は皆さんと同じお昼時にとっているのですが、夕食の時間はちょっと違います。
午後5時(通常時/消防署によって多少は違うと思います)なんですね。
なぜか、と言いますと、火災は火を使う夕食時に起きやすい、とされてきたからなんです。
だから消防官は、市民よりも早く夕食を済ませ、いつ起こるかも知れない火災に備えているんです。
ただ、市民のライフスタイルは、昔と今では変わっていますから、これは昔の名残と言えます。
ただ、消防署で食事を作るという、昔ながらの文化は廃れてきているようです。
都民から「仕事中に料理をするなんて、けしからん」という声もあるそうです。実際には、訓練や事務仕事の合間に作っているのですが、「仕事そっちのけで料理をしている」と見られてしまうこともあるんですね。
東京消防庁の元同僚は、次のように明かします。
「消防署によって違いますが、夕食を作っている消防署は減っている気がします。そういう消防署の夕食は弁当です。事務仕事も増えていますから、そういう時代じゃない、ということですね。それに尽きますよ」
1万8000人超の職員を抱える東京消防庁でさえ、そういう状況ですから、地方の消防本部はさらに食事を作る余裕がないようです。
そこで、京都府南部の消防本部で働く弟に聞きました。
弟によると、救急出動が増えるなど忙しくなってきたため、だいぶ前から食事は作らなくなっている、ということでした。
じゃあ、食事はどうしているのか、と聞くと、
「昼は弁当。夜は米を炊いて、おかずは注文するか家から持ってくる。朝食はなし」
と答えました。
弟はこうも言いました。
「(食事を作っていた時代を知る)先輩は『同じ釜の飯を食うからだ』って言うけど、忙しいからな。時代やな」
兵庫県内の消防本部で働く知人にも聞いてみました。
この消防本部では、何年も前に食中毒が発生して以降、食事は作らなくなったということでした。
当時を知る知人は、こうも語ります。
「食事を作っていた頃は、朝から牛すじを煮込んで、こだわりのカレーを作ったりしていました。そういうのは大事だと思います。最近は人間関係が薄くなってきて、家族みたいな感じがなくなってきています。これも時代の流れかな、と感じています」
全国の消防を統括する総務省消防庁にも聞きました。
担当者は、「(食事の実情は)把握していません。消防署によって作ったり作っていなかったり、日によっても違うと思います。公式見解ではありませんが、事務仕事も多くなってきているので、作らなくなっている消防署もあるのではないでしょうか」と話しました。
そういえば、お正月だけは、日頃の労をねぎらう意図だったのか、普段は食事を作らない大隊長含む隊長たちが、手料理を振る舞ってくれたんですね。
私にとっては忘れられない思い出になっています。
高校を卒業して単身上京し、昔ながらの消防署に育てられた私としては、「同じ釜の飯を食う」という古き良き消防の文化は、可能な範囲で残っていってほしいな、と願っています。
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