連載
#224 #withyou ~きみとともに~
4歳で里親へ…実母の家に行った帰りに起きたこと SOS出せる環境
「子どものSOSを離さないでください」
4歳から里親の元で育った18歳の高校生は、「自分のことなのに周りの方が知っている」自分の人生に一つの区切りをつけようと、ある日、実母の家を訪ねました。そこで感じた気持ち、そして家に帰ったとき出迎えてくれた「家族」に感じた気持ちを、しろやぎさんが漫画にしました。虐待・ネグレクトを経験した高校生は「子どものSOSを離さないで」とメッセージを送ります。
高校生は関東地方に住む凪さん(仮名)です。
凪さんは4歳の頃から、養育里親の元で暮らしています。
今回、「この出来事で人生が変わった」と、実母を訪ねたときのエピソードを寄せてくれました。
凪さんが里親の元で生活を始めたのは4歳の頃のことです。
「それより前のことはほとんど覚えていないのですが、カーテンが閉め切られた暗い部屋に、カップラーメンのにおいとか食べ物のにおいが充満していたことや、関節にホコリが入ってかゆかったことは覚えています」と、記憶をたどります。
凪さんが、自分が里子であることを知ったのは6歳の頃。
ある日、洗濯物をたたむ手伝いをしていたとき、お母さんから「実はね…」と凪さんが里子であると告げられたといいます。
そのときは「ふーん」と思うだけで特に感情が動くことはありませんでしたが、その後、成長するにつれ、いくつかのタイミングで、両親が里親であることを強く意識したといいます。
例えば、学校の課題で「どんな子どもだったか」を両親に聞くという課題が出たときや、容姿が気になりだした中学生時代。「顔のつくりが似ていない」両親に反発し、『この人たちは里親だ』と気持ちを切り離そうとしたこともありました」
しかし、中学3年生のとき、進路を巡りお父さんと口論になったときに、凪さんの気持ちに大きな変化がありました。
「私が強い言葉を使っても、お父さんは手を挙げないし、経済的にも私より有利な立ち場なのに、対等に接してくれました。私が幸せになるために怒ってくれて、『良い方向に向かうために怒ってくれてるんだ』と感じたんです」
「そこからはもう、お父さんとしてしか見られなくなりました」
「子どもの頃のことはほとんど覚えていない」という凪さんですが、最近、凪さんの家族と定期的に面会している児童相談所の担当者から、里親と出会う前の話を聞くタイミングがありました。「いまがすごく幸せで、過去の話を聞いても『本当に私の話なのかな?』と思うし、他人の話を聞いているような感覚でした」
その話を聞く中でも、実母がいまどこにいるのかなど、実母の現在に関する話はありませんでした。それに凪さん自身も実母の存在は、「お母さん以外に『母』がいるという感じです」と、あまり実感が沸いていませんでした。
ところが今年に入り、凪さんは、来春の進学に向け奨学金申請をする際の書類の一つに、実母の住所が記載されているのを発見。思いがけず実母の住所を知りました。
「よく『実の母を探して旅に出る』みたいな漫画やドラマがありますよね。でも、私の場合、あまりに簡単に目の前にそれがあったので『あれ?ある!』と、ただ驚きました」
「自分のことなのに周りの人の方が知っているのは『あれー?』って感じがする」と、好奇心に近い感情から、その住所を訪ねてみることにしました。
バスや電車を乗り継いで数時間かけて、実母の家とみられる場所までたどり着きました。
すると、その家の庭で、小学生くらいの子どもが遊んでいるのが見えたといいます。
「新しくてキラキラした、長靴を履いた子がいて、服を汚しながら遊んでいました」
「周りからの制限なく、自分のしたいことをそこでしているんだ」「服を汚しても怒られないんだ」――。
そのとき凪さんは「無意識に、(実母といたときの)自分の経験とその子の環境がどれだけ違うかを考えていたんだと思う」と振り返ります。
5分ほどその場にとどまり、様子を眺めていましたが、ふと我に返り、「私のいないところでこの家は完結している。いま安定しているであろうこの家庭に、もし私の存在が入り込んでしまったら実母が怒ったり、その怒りが庭にいた子に向かってしまうかも知れない」。そう思い、その場を立ち去りました。
帰りのバスの中では、自然と涙が流れてきました。
その時の感情は、悲しさと悔しさ、そして安心感でした。
「私がいなくても実母は幸せになっていて、多分男の子も幸せで…そこに私の居場所はなかった」と感じたという凪さん。さらに、「子どもがそんなに背負う必要はないと思うけど」と前置きした上で「実母のことを私も幸せにすることはできなかったのかな」と思い、悲しくなったといいます。
その一方で感じたのは、「私には帰る家が見つかって、幸せな場所がいまもがあるんだ」という安心感。「帰る場所があると思うと、ホッとしました」
普段泣くときに声を出さずに泣く「クセ」があるという凪さんですが、この日に限っては、自宅の扉を開けてから、声を上げて泣きました。
そんな凪さんを見たお母さんは、なにも言わずに頭から抱きしめてくれたのだといいます。
その後、家族全員そろっての夕食で食卓に並んだのは、凪さんの大好物の粗挽き肉のハンバーグでした。
「実は、帰ってきたとき、台所にお刺し身があったのを見ていて…」と凪さん。
「挽き肉は冷凍できていつでも使えるけど、お刺し身はその日のうちに食べないといけない。でもハンバーグにしてくれたっていうところで、何か察してくれたんだなと思います」
凪さんはいまも実母の家まで行ったことは、お父さんとお母さんに伝えていません。
これまでも自分から「つらかった」と言い出すまで待ってくれていたという両親。「よっぽど信用してくれているんだな」と感じています。
凪さんが、いまつらい立場にいる同世代、子どもたちに向けて伝えたいのは「人のためにがんばらなくてもいい。わがままに生きてほしい」ということ。「逃げていいし、逃げるべきです」
その上で、子どもを取り巻く大人たちにどうしても伝えたいことがあります。
「つらい立ち場の子どもたちが『わがまま』になるためには、安定した環境が必要です。つらい状態の人を見つけて保護する環境がないといけません」
「子どものSOSを離さないでください。子どもがあなたに伝えた『助けて』は、必死に逃げてきたラストチャンスかもしれない。そう思って、子どもを離さないでほしい」
凪さんのお父さんはこれから、凪さんのような境遇にある子どもたちを支援するための団体設立も計画しているそう。
凪さんは将来、その活動をそばで支えたいと考えています。
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