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寺門ジモンの謎多きキャリア グルメキャラ生んだ大御所との〝対決〟

いま、監督デビューを果たした理由

映画『フード・ラック!食運』で初監督を務めたダチョウ倶楽部・寺門ジモンさん=栃久保誠撮影
映画『フード・ラック!食運』で初監督を務めたダチョウ倶楽部・寺門ジモンさん=栃久保誠撮影

目次

グルメ、肉体鍛錬、自然探訪など、独自の路線で活躍するダチョウ倶楽部・寺門ジモンさん(57)が、2020年11月20日公開の映画『フード・ラック!食運』で初監督を務めた。なぜ今、「食」と「映画」が結びついたのだろうか。映画と食べ物にまつわるエピソード、「グルメ=寺門ジモン」の誕生秘話、YouTubeをはじめた理由など、なにかと謎多き寺門さんに赤裸々に語ってもらった。(ライター・鈴木旭)

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寺門ジモン(てらかどじもん)
1962年11月25日生まれ。兵庫県出身。お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の「説教」担当。相方は肥後克広と上島竜兵。芸能界随一の食通で、数々のグルメ本を発表。トリオ内での通り名は「筋肉バカ」で、体を鍛えることが趣味。自然探訪に精通しており、「ネイチャージモン」との異名を持つ。2020年9月からYouTubeチャンネル『寺門ジモンのウザちゃんねる』をスタート。同年11月20日には初監督を務めた『フード・ラック!食運』が公開される。太田プロダクション所属。
 

一人で銀座のおすしを食べに行く少年

――そもそも寺門さんが食にこだわり始めたのは、なにがきっかけだったんですか?

きっかけみたいなのはなくて、小学校の頃から変わってないんです。焼きそばのつくり方一つとっても、こだわりがありましたから。匂いにも敏感で、お母さんがハンドクリームをつけてると、しゃもじでよそうだけで炊き立てのご飯に香りが残るの。手で直接お米に触れてるわけじゃないから、お母さんは首傾げてたけどね。

それと、昔からおいしいお店に行ってたんですよ。とんかつとかラーメンとか、自分のお金で食べ歩きをするような少年だった。たまたま母方の実家のお墓が松阪にあったから、現地で松阪牛食べたりもしてたし。お年玉を貯めて1人で銀座のおすしを食べに行った時は、さすがにお店の人が驚いた顔してましたけどね。


――子どもとは思えないエピソードばかりですね。おもちゃやテーマパークなど、子どもらしい遊びはしなかったんですか?

あんまり興味なかったかもしれない。親は優しい人で、万博なりなんなりと連れて行ってくれましたよ。いろいろ見たけども、そこに出てる食べ物に興味があった(笑)。万博でやたらおいしいソフトクリームが出るとかね。「ただ冷たいんじゃない。クリームが冷たくなっているアイスだ!」とか、そういう発見のほうがワクワクしたんですよ。

秋元康さんが「グルメ=寺門ジモン」を生み出した

――どんな経緯で「グルメ」と「仕事」がつながっていったのか教えてください。

「自分はグルメなんだ」と明確に気づかせてくれたのは、音楽プロデューサーで作家の秋元康さん。僕がやってたラジオ番組にゲスト出演してくれて、ありがたいお言葉をもらったんですよ。

ちょうどクリスマスシーズンで、「クリスマスのプレゼン、どっちが面白いか決めよう」みたいなコーナーがあったの。僕と秋元さんがデートコースのプランをプレゼンし合って、アシスタントの女の子に判定してもらうって企画でね。

普通は、どんな内容であれ秋元さんを選びますよ。ただ、アシスタントの子がちょっと天然だったんだよね。「う~ん、ジモンさん」って言っちゃった。僕が勝っちゃったわけ。たぶん秋元さんも一瞬カチンッときたと思うよ。だって、一流の文化人の方がお笑い芸人に負けるってあり得ないでしょ(笑)。

「大丈夫かな……」なんて内心ドキドキしてたら、ラジオ終わりに秋元さんが「ジモンちゃん、けっこう詳しいね。そんだけ好きで知識あるんだったら本書けばいいんだよ。時間が経ったらそういうポジションにつけるよ」ってアドバイスくれたんですよ。

「じゃ秋元さん、本出したら帯書いてくれますか?」って聞いたら「当たり前じゃないか」って言ってくれて、「えい出版社」から初めてグルメ本を出すことになったの。そこからグルメ系の仕事が始まってるんですよ。

――秋元康さんがきっかけで「グルメ=寺門ジモン」のイメージが生まれたんですね!

本を出したのは大きかったですよ。その中で一番反響があったのが「肉」だったんです。おすしで詳しいこと書いても、あんまりここ(胸を叩く)に入っていかないんですね。ハンバーグとかステーキとか焼き肉とかは入ってきやすい。なぜなら、みんな普段から食べてるから。

そういう背景もあって、自然と「お肉のジモン」っていうのが浸透していったんです。本当は肉ばっかり食べてるわけじゃないんだけどね。いい視聴率をとったりするのが肉だったってことです。

映画もお笑いも食べ物も「ジモンパレット」の中の一つ

――気になるのが、高校卒業後にテアトル・エコーの養成所に通っていることです。なぜ料理人やグルメライターなどにならず、役者の道に進もうと思ったのでしょうか?

僕にとって食とか体を鍛えるのは、息をしてるのと一緒。空気を吸うのと同じように、おいしい食べ物を口にして運動してるってだけで。どっちも習慣みたいなものですよ。

趣味ってなると、やっぱり映画になるんですよね。昔から観てない映画を調べて、片っ端から名画座に観に行くような人間でしたから。全ジャンルの中で映画が一番マニアかもしれない。実は過去に3回ぐらい映画会社に原案を持ち込んだこともあるんですよ。ことごとく現実になりませんでしたけど(笑)。

養成所に行って俳優を志したのも、映画なら芸能界、芸能界に行くなら役者っていうイメージが先行したからなんです。僕の中では、お笑いも映画も絵具の一つみたいなもので。この色は映画、この色はお笑い、この色は食べ物……って感じで、バーッと並んでないと嫌なんです。全部を「ジモンパレット」の中に入れたくなっちゃう。欲が多過ぎて、一つじゃ耐えられないんですよ。

――とはいえ、ある時期から芸人の活動よりも会食のスケジュールを優先するようになったそうですね。トリオの活動にも影響が出ると思いますが、ほかのお二人は納得していたんでしょうか?

始めは「なんだよ」って思ってたんじゃないかな。ただ、徐々にシフトしていったのがよかったんだと思う。若い時は徹夜だろうがなんだろうが、現場にいてお付き合いもあって仕事も細かくやりますよね。それが40~50代になってくると、そういう細かい仕事って自然と呼ばれなくなるんですよ。

そうすると、どんなふうに時間を使うかってことになる。僕はその時に、ずっとバラエティーとかコントってことにはならずに、少しずつグルメのほうに行ったんです。急にじゃなくて長い時間を掛けて仕事につながっていったから、メンバーも怒らなかったんじゃないかな。今回の映画もその一つだしね。

だから、偉大なるメンバーですよ。こんな僕にダメ出しもなくずっと一緒にいてくれてね。そこは本当に感謝してます。

鹿児島市であったイベントに登場したダチョウ倶楽部の3人=2014年9月26日、朝日新聞
鹿児島市であったイベントに登場したダチョウ倶楽部の3人=2014年9月26日、朝日新聞

映画監督は「偶然、扉が開いちゃったって感じ」

――グルメが高じてついに映画まで撮ってしまいました。どういう経緯で映画監督のオファーがきたのでしょうか?

俳優の養成所に入ると、目の前の階段は映画じゃなくて舞台なんですよね。その後も演劇からお笑いにいって、ドラマや映画にも出させてもらったんだけど、映画づくりには一切かかわれなかった。

ところが、グルメの仕事をやり始めるようになってつながったんです。松竹のある方が僕のグルメ本を買って読んでくれたんだよね。実際に本にあったお店に行ってみたら、どこも最高においしいと。それで、「松竹で映画監督やりませんか?」とお声が掛かったんですよ。

つまり、グルメの仕事やってなかったらこなかったし、お笑いやって有名になってなかったらこなかったお話。偶然、扉が開いちゃったって感じなんですよね。

――珍しい展開ですね。最初から「ストーリーものをつくってほしい」という要望があったんですか?

いや、松竹さんが当初考えてたのはドキュメンタリー。「世界中のお肉を食べ歩く」みたいなイメージだったんでしょうね。ただ、僕としては『肉専門チャンネル』とか『取材拒否の店』とかって番組でさんざんやってるし、モチベーションが湧かないってことを率直に伝えたの。「それやるなら、今までの映像まとめたほうがいいですよ」ってね。

そしたら今度は、松竹さんのほうから「じゃ本書けます? うちは松竹でストーリーものだから、ちょっとハードル上がりますけど」と提案がきまして。僕も急な話に戸惑いつつ、「かっ、書きますよ……」と答えたと(笑)。それが6~7年前ぐらい。だから、本を直したりなんだり、けっこう長い時間を掛けて完成した映画なんですよ。

食べ物は人間の地位や人脈をぶち破る

――キャストは、土屋太鳳さん、EXILE・NAOTOさんをはじめ、石黒賢さん、りょうさん、大泉洋さんなど、初監督とは思えないほどの豪華さですね。

僕には映画監督としての実績がないじゃないですか。そうすると、大手の事務所のタレントさんは基本的に出てくれません。初監督の壁っていうのがあるんですよ。大手はダメで、すでにブランドを確立してるような有名な俳優さんなんかもなかなか難しい。そうなってくると、残る手はなにか……食べ物ですよ。

たまたま食事会の時に太鳳ちゃんがいて、「もし僕が肉の映画とかやったら出てくれますか?」って聞いたら、「当たり前じゃないですか」って言ってくれたの。社交辞令にしても嬉しいなと思って、いざオファーしてみたら本当に通るんですよ、これが。

NAOTOくんは、もともとグルメで「ジモンさん師匠です」なんて言うから、「じゃ師匠が映画撮るなら出る?」って振ってみたら「当たり前です」って返ってきたんだよね。普通はNGになるけど、「現場でおいしいもの食べられますよ」って言うとOKになる。だから、食べ物が縁を結んでくれたのも大きいですよね。どんなコネより食べ物は強いですよ。人間の地位や人脈をぶち破る力があるっていうのを痛感しましたね。

映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供
映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供

――舞台裏でも食べ物が縁を結んだと。撮影現場で演出していて、一番難しいと感じたところはどのあたりですか?

一番困ったのは、やっぱりお肉を焼くシーン。役者さんのセリフとか間は全部よくても、焼けたお肉をお箸で持ち上げてペロリンってよれちゃったらNGになる。「食べるシーンはキスシーンより難しいんだ」って現場で気付きました。

インパクトのある肉は、お箸でバッって上げて口に入れたら大き過ぎるんです。食べた後に「(モグモグと咀嚼〈そしゃく〉して)……おいしい!」っていう間が見てる人の生理に合わない。やっぱり口に含んだ瞬間に「おいしい!」って言ってほしいじゃないですか。

それでテイクワンでは大きい肉を持ってもらって、テイクツーで半分の肉を食べてもらいました。もうちょっと時間と予算があったら、「演技のカット」と同じシーンの「肉を食べるカット」を別々に撮影したかったんですけどね。さすがにそれはできないし、役者さんの目って最初が一番いいんですよ。

やっぱり人間って、テイクワンに一番気分が出るじゃないですか。1回目の「うわぁ~、うまい!」って感動が、2回目、3回目の撮影になると徐々に落ちていって、最後は「食えない!」ってなっちゃう。何事もやっぱり鮮度が一番大事なんですよ。

映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供
映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供

那須川天心を見て「イノシシよりは強くないな」

――グルメ以外にも、肉体鍛錬、自然探訪といったネイチャージモンとしての活動、グッズの収集など驚くほどの多趣味です。お金も相当かかってそうですよね?

好きなことに使うから、貯金なんかないですよ。結婚もしてない、貯金もない、人生楽しんで終わり。だって、長いことそんな感じで生きてきちゃったから。

お肉好きって言っても、80歳過ぎて脂っこい肉食べられないじゃないですか。80歳過ぎたら、最高のやっこ(奴豆腐)とか厚揚げとか、脂が少なくて体にいい物をおいしく食べたいでしょ。だから、若いうちに肉を食べようってことなんですよ。もう60歳近いから、そろそろ考えないといけないけどね。


――今のところ、食が細くなったりすることはないですか?

ないというか……僕を誰だと思ってるんですか? 今日も5時に起きて、1時間以上ランニング、ウォーキングをして、その後にロケの撮影を終わらせてここにきてますからね。僕がどんだけ運動してるかってことですよ。

だんだん体がレスラーみたいになってきてね。絶えず運動して、絶えず食べてるから。昨日、格闘家の(那須川)天心くんと会ったんだけど、「普通に戦ったらどうかな?」って思っちゃうぐらい。若くてスピード感はあるけど、「さて、どうだろう?」と思う感覚が僕にはあったの。

「ん?」って相手を見て、「ああイノシシよりは強くないな」って。僕は山で対峙(たいじ)したことがあるからわかるんです。イノシシは本当に怖いですよ。

YouTubeで見せたかったのは“焼き上がり”

――今年9月にYouTubeチャンネル『寺門ジモンのウザちゃんねる』を開設されています。YouTubeを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

けっこうグルメ番組をやらせてもらったけど、お肉焼いても肝心の“焼き上がり”が見せられてないなと思ったんです。たぶん、みんなが見たいのは、焚き火のように焼き上がる画。じゃあそれをどこで見せようかって時に、芸能人のみなさんがYouTubeやってるし、ここならカットされずにそのまま流せると思ったんですよね。

僕なら人脈もいっぱいあるし、せっかくだからいろいろ撮ってみようと軽い感覚で始めて。焼き肉以外にもクワガタの動画をアップしてみたんだけど、ぜんぜん再生回数が伸びなくてね(笑)。それに比べて焼き肉の動画は30万人ぐらいが見るの。夏になったら伸びるかもしれないから、やり続けますけどね。

僕ってYouTubeの中では「拡散なんかしなくていいんだよ」みたいに言いますけど、それは「押すなよ、押すなよ、絶対押すなよ」のパターンですから(笑)。どんどん拡散してください!

――YouTubeもそうですが、寺門さんがスタッフさんからイジられることで、どの番組も面白くなってますよね。すごく愛されてるなと感じるんですが、こんなふうに番組づくりしているという意識はありますか?

これは志村けんさんが教えてくれたんだけど、タレントが番組の中で「最低」って言われたりするのって、それなりのキャリアやスタッフとの信頼関係がないとできないんですよ。見てると簡単そうだけど、これが意外と難しい。

僕も一応タレントで監督の視点もあるから、視聴者には「あの番組に自分も参加したいな」と思ってほしいわけです。そう思ってもらうにはどうしたらいいのか、自分なりのプランや演出っていうのは常に考えてます。

僕はウザいし、スタッフもキツいし、なにかと言い合ってるけど、子どもの時にワクワクした感覚を取り戻してほしいって思いは一緒なんですよ。朝目覚めたら「今日はなにがあるんだろう」っていう気持ちが僕の根本ですから。それをみんなにも持ってもらいたいなって。スタッフもそういう僕を理解してくれたんだよね。そのおかげで、『取材拒否の店』も長く続いてる。ありがたいですよ、普通はあんなに長くやれないですから。

今後も絶対に映画は撮っていきたい

――今回の映画監督デビューは非常に驚いたんですが、今後こんな自分を見せていきたいというヴィジョンはありますか?

映画は1本撮ったら終わりじゃないんですよね。映画監督という入り口が始まったら、ちゃんと撮っていきたいじゃないですか。初監督という壁を越えたわけだから、「ああいうことやれる人なんだな」っていうイメージがつく。そうすると、一つハードルが上がるんですよ。

そりゃなかなか(クリストファー・)ノーラン監督みたいにはなれないけど、映画になりそうな構想は死ぬほどありますから。もちろん現実にするまでには時間が掛かるけど、一歩階段は上がったってことです。

今後も2作、3作と絶対に映画は撮っていきたい。テーマやジャンルを問わず、挑戦してみたいですね。オファーがくるかどうかは僕の努力次第だと思うけど、年を取ってもやれる仕事の一つとして映画監督を大事な色にしたいと思います。

映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供
映画『フード・ラック!食運』の撮影風景=松竹提供

取材を終えて

寺門さんは知れば知るほど謎が深まっていく。ダチョウ倶楽部の「説教」という立ち位置が象徴しているように、一般的な構造にはない“異物感”が最大の魅力だ。「この人、なんだろう」と、つい気になってしまうのである。

そんな寺門さんが、ついにグルメ映画を撮った。もちろん芸能界随一の食通として有名だが、おそらく大半の人が「でも、なんで映画なんだろう」と不思議に思ったに違いない。しかし、そもそも「なんだろう」からスタートしている人なのだ。

映画、お笑い、グルメ、肉体鍛錬、自然探訪……あらゆるジャンルに精通しているが、どれも決定的な動機があるわけではない。ただただ、「ワクワクしたい」という強烈な思いで生きているだけなのだ。映画であれ、お笑いであれ、きっと今後も最高の「なんだろう」を私たちに見せてくれることだろう。

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