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筒美京平の偉大すぎる仕事、独断の20選 レコードジャケ写で振り返る
あなたの京平ベスト・セレクションは?
作曲家の筒美京平さんが10月7日、死去しました。歌謡界において唯一無二の存在である巨人の訃報に、各界から追悼コメントが絶えません。そんな京平さんの魅力を存分に伝えるべく、歌謡曲ファンの記者が所蔵するレコードの中から、京平さんの仕事の幅広さが分かる20枚を厳選して紹介。彩りがいまだ色あせないレコードジャケット写真とともに振り返ります。(北林慎也)
歌謡曲好きの記者が所蔵するシングルレコードから、ジャケットが印象的だったり楽曲が話題となったりエポックメイキングだったりする、筒美京平さん作曲の20枚を選びました。
ただ、ふだんCD全集やデジタル音源で曲を聴くことが多い記者にとって、レコード収集はあくまでコレクターズアイテムとして手元に置きたい、という盤に限られます。
そのため、編曲を京平さん自ら手がけていたり、ディスコサウンド仕立てだったり、特に好きな歌手の作品だったりと、記者の趣味に沿った盤が、おのずと多くなっています。
同じ理由で、思い入れたっぷりの大好きな曲なのに貴重でなかなか手に入らない、という盤も対象外。たとえば、「レッツ・ゴー・サザエさん」(加藤みどり)などです。
これらの理由から、著名な曲や好きな曲に漏れなく言及したり、全時代をバランス良く網羅したりはしていません。また、1980年代末期以降のCDは、記者が収集の対象としていないため除外されます。
それでは以下、このような縛りで記者が選んだ、1968年6月~1985年9月リリースの、バラエティーに富んだ20枚を年代順に紹介します。なお、紹介文中は敬称略とします。
1968年6月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
1960年代にはやった、ヒッピー文化に由来するサイケデリック文字。グループサウンズ(GS)以来、レコードジャケットのタイトル文字に好んで用いられ、この曲のジャケットでも、控えめにスタイリッシュに配している。
ただ、その思想性と歌謡曲カルチャーとの間に直接の関係はなく、1970年代早々に廃れていった。
プレーンなメロディーが耳なじみの良い楽曲は、現在に至るまで、様々なアーティストによってカバーされている。
1969年3月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
筒美にとって最初期の作品の多くは、GSの楽曲だった。「失神バンド」ことオックスも、そのうちの一組。
GSレコードのジャケット写真(ジャケ写)は、そろいのミリタリールックに身を包んだ集合写真が定番だったが、GSブーム末期のこちらはウェスタン風の衣装。
ちなみに、レコード定価は370円。消費税はまだない。
1970年11月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
「真夏の出来事」で知られる平山のデビューシングル。
同じく横浜を舞台とした「伊勢佐木町ブルース」がヒットしていた青江三奈を意識してか、埠頭の海風になびく茶髪が印象的なジャケット。
当時コンビを組むことが多かった橋本が手掛ける詞の世界は、「素敵な男がいっぱいいる」不良少女が主人公。ただ、洋楽テイストのしゃれたメロディーに乗って列挙される「サダオ」「ハルオ」といった男友達の名前によって、否応なしに昭和40年代の現実世界に引き戻される。
1972年3月
作詞:阿久悠 編曲:筒美京平
歌い手の尾崎ばかりでなく、阿久と筒美それぞれにとっても代表曲となった、1971年レコード大賞「また逢う日まで」。その後日談を思わせる、ヨリを戻すカップルの物語とも解釈できる、言葉少なながら豊穣な世界観は、まさに阿久の真骨頂。
開襟シャツの大きな襟は、当時の男性歌手ファッションの定番。大ヒット後の心機一転を示すように、「'72尾崎紀世彦 ラブ・ロック・サウンドに挑戦!」という小さい活字のコピーが躍る。
1972年4月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
ジャケ写は、オリエンタル風味の颯爽としたパンタロン姿が印象的。
ベンチャーズ歌謡「雨の御堂筋」でデビューした菲菲。そのインパクトとキャラクターはそのままに、以後の作品を手掛けた筒美が、彼女をソウル歌謡の第一人者へと導いていく。
NHK紅白歌合戦での激しすぎるステップと熱唱も記憶に残る、ブラス・ロック歌謡の到達点。
1973年4月
作詞:安井かずみ 編曲:筒美京平
ボーカルとコーラスが慌ただしく入れ替わるクリティカルな作風(岩崎宏美「センチメンタル」や河合奈保子「ジェラス・トレイン」など)を得意とした筒美が、シンプルで優しいメロディーラインで組み立てた傑作。まるで書道の達人の一筆書きのような、明快ながら懐深い、作曲家としての怪物ぶりを伺い知る一曲。
「ミヨちゃん」と呼ばれお茶の間で親しまれた、あどけなく初々しいオーバーオール姿のジャケ写もいとおしい。
1973年4月
作詞:山上路夫 編曲:筒美京平
女性アイドル創成期を文字通り駆け抜けた麻丘の、代名詞でもあった姫カットが強調される顔アップのジャケ写。
筒美が得意としたメロディー転調が要所で生きる、文句なしに格好良いソフトロック。
1973年7月
作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
当時なぜか多くいた夫婦デュオのうちの一組。
夫の「つなき」こと三原綱木は後に、ビッグバンド「ニューブリード」を率いて、歌謡番組おなじみの指揮者として活躍する。
印象の薄い地味なジャケ写とは裏腹に、曲自体は洋物趣味の濃い、ゴリゴリのソウル歌謡。
1974年4月
作詞:さいとう大三 編曲:筒美京平
当時、筒美が傾倒していたソウル歌謡のヒット作。
香港出身の双子姉妹デュオが、なぜかアメリカ先住民ギミックで歌うという、曲の無国籍感に拍車をかけるビジュアルも印象的。
1974年6月
作詞:有馬三恵子 編曲:筒美京平
当時の健康的で理想のアイドル像を体現していた南の魅力を混じりっけなしに伝える、顔アップのジャケ写。
細野晴臣らのキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)演奏による、中古レコード市場でも人気のグルーヴ歌謡。
大変そうな息継ぎを苦もなく快活に歌いこなす、実力派ボーカリストとしての南の地力が垣間見られる。
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