連載
#6 帰れない村
村の日々は、もう思い出せない 避難生活続く103歳のおばあちゃん
おばあちゃんは、もう覚えていない。
70年以上過ごした旧津島村・赤宇木集落の暮らしを。田畑を開墾し、必死に子どもを育てた日々を。
旧津島村の最高齢103歳の三浦ミンさん。
長男と一緒に避難生活を送る、福島市の民家の介護用のベッドで横たわりながら、時間をかけて記憶をたどる。
「忘れたあ、もう忘れちゃった」
2年前(2018年)に取材した時には、もう少し覚えていた。大好きなカップラーメンを食べながら、昔の話をしてくれた。
福島県川俣町で生まれ、旧満州に渡った。敗戦直前に帰国し、農業の夫と結婚。赤宇木集落の開拓団に参加した。
森林を切りひらき、田畑を作ってアワや芋を育てた。暮らしは貧しかった。それでも必死に5人の子どもを育て上げた。
「子どもを育てるのが楽しかった。可愛いでしょ、子どもは」
一方、つらいこともあった。
「いつだったかな、村の人に『三浦さんのところは米が食えないから、人間じゃない』って子どもの前で悪口を言われた。悔しくて、悲しくて、何日も泣いたよ。そんなこと言っちゃいけないよね、米が食えないから『人間じゃない』なんて……」
そんな喜びも悔しさも、今はもう思い出せない。
記憶の手がかりを探りたくて、旧津島村の自宅を訪ねた。集落から遠く外れた一軒家。台所にはミンさんが愛用していた調理器具が残され、寝室のベッドの脇には欧米人の女の子の人形が置かれていた。
「人形、好きだったんですか?」
介護ベッドに横たわるミンさんに聞くと、「思い出せない」と柔らかく笑った。
最後にぽつり、こう言い残した。
「(私の人生は)良かったよ。放射能が来るまでは……良かったよ」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
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