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連載

#26 現場から考える安保

離任の花道100m、殉職2千人に献花…組閣で異色、防衛相交代行事

9月17日、離任式を終え、自衛隊員らがつくる「花道」を歩く河野太郎・前防衛相=東京・市谷。藤田撮影(以下同じ)
9月17日、離任式を終え、自衛隊員らがつくる「花道」を歩く河野太郎・前防衛相=東京・市谷。藤田撮影(以下同じ)

目次

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内閣の顔ぶれが変わると各省で行われる大臣交代の行事。自衛隊を抱える防衛省ではかなり異色です。殉職者への献花、離任の花道……。菅義偉内閣発足を受けた9月半ばの「ある一日」を紹介します。

組閣翌日の9月17日、東京・市谷の防衛省。午前9時半に女性の声でアナウンスが流れました。

「河野前大臣の離任式は10時半から二階の講堂で行われます。幕僚監部や内局の部長等はご参集ください。11時5分からは栄誉礼です。4級以上の行政職と2佐以上の自衛官は儀仗広場から正門に並んでお見送りください」

現場から考える安保
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殉職者慰霊と栄誉礼

ツイッターでの発信など何かと注目された河野太郎・前防衛相。その離任式の段取りが、実はコロナ対策も含めてこのアナウンスに簡潔に示されています。追って説明しますが、その離任式の前に大事な行事がひとつ。殉職者への献花です。

午前10時、防衛省の各棟から少し離れた「メモリアルゾーン」。音楽隊のしめやかな演奏が流れる中、河野氏が歩いて現れました。自衛隊が発足した1954年以来の、任務にまつわる殉職者約2千人の慰霊碑があります。その前に河野氏は花を供え、少し下がって数秒間、頭を下げました。

自衛隊員の殉職者慰霊碑に頭を下げる河野・前防衛相
自衛隊員の殉職者慰霊碑に頭を下げる河野・前防衛相

自衛隊では幸い、これまで戦死者は出ていません。それでも危険と隣り合わせの活動で亡くなった隊員を悼む行事は組織にとって欠かせず、メモリアルゾーンでの防衛相の献花は離着任のたびにあります。各地の自衛隊の駐屯地や基地でもトップによる似た行事があります。

続いて省内の講堂で離任式です。去りゆく前大臣が挨拶し、省員を代表して事務次官が謝意を伝えます。これは他省とそう違わないでしょうが、参加者には背広組と呼ばれる「内局」の官僚に加え、制服組の「幕僚監部」の自衛官もいます。

それでも今回はコロナ対策で人がまばらでした。冒頭の省内アナウンスにあったように、参加を「部長等」に絞ったためです。3年前に見た別の防衛相の離任式と比べると、密度の違いは歴然でした。

9月17日、防衛省講堂での河野・前防衛相の離任式
9月17日、防衛省講堂での河野・前防衛相の離任式
2017‎年‎8‎月‎4‎日、防衛省講堂での岸田文雄・前防衛相の離任式
2017‎年‎8‎月‎4‎日、防衛省講堂での岸田文雄・前防衛相の離任式

河野氏は紙を読まずに挨拶しました。在任中は終盤に地上配備型ミサイル迎撃システム、イージス・アショアの配備停止問題で大臣への報告の遅れがあり、辛口の話も出るかと私は思っていましたが、語ったのは自衛隊の人づくりの大切さと職場環境の改善。「いじめ、パワハラ、セクハラをなくさねばならない」「F35(戦闘機)よりトイレットペーパーを取ると言った気持ちは変わらない」と語りました。

9月17日、防衛省講堂で挨拶する河野・前防衛相
9月17日、防衛省講堂で挨拶する河野・前防衛相

クライマックスは「花道」

そして、午前11時過ぎからがクライマックスです。まず、講堂のある建物を出てすぐの「儀仗広場」で栄誉礼。音楽隊の演奏が曇り空に響く中、河野氏が儀仗隊を巡閲します。その時点で、もう花道ができています。

市谷の高台にある儀仗広場から、靖国通りに面した正門の手前まで約100メートル。下り坂と階段の両側に背広組や制服組の自衛隊員らが並びます。これも冒頭のアナウンスにあったように、「4級以上」「2佐以上」といった階級で参加者を絞っていましたが、それ以上の大勢に見えました。

9月17日、河野・前防衛相を見送るため自衛隊員らが作った「花道」
9月17日、河野・前防衛相を見送るため自衛隊員らが作った「花道」

河野氏が花道へと歩む中、儀仗広場で音楽隊が奏でるのは「威風堂々」。「蛍の光」の場合もありますが、送られる側が選べるそうです。

拍手の中、河野氏がその花道を下りきると、2メートルを超す防衛大臣旗を持つ旗手が階級と氏名を告げて随伴の終了を報告し、敬礼。すると河野氏はその若い自衛官に歩み寄り、メダルのようなものを手渡しました。「チャレンジコイン」という、激励を込め旗手に渡す恒例の記念品です。

スタンドの観衆のように階段を埋める自衛隊員らに、河野氏が「ありがとうございました」と大きく手を振ります。黒いワゴン車に乗り込んで正門を通り、午前11時半ごろに防衛省を離れました。

安倍前首相の弟、岸防衛相

前防衛相の離任を午前の部とすれば、新防衛相の着任が午後の部です。午後2時にまた女性の声でアナウンス。「岸大臣の着任式は15時5分から二階の講堂で行われます。幕僚監部や内局の部長等はご参集ください」と流れました。

岸信夫防衛相は午後2時半ごろ、曇り空から陽が差す中、黒い乗用車で儀仗広場に着きました。河野氏と同様に栄誉礼を受け、儀仗隊を巡閲し、メモリアルゾーンに移って殉職者慰霊碑に献花。そして、講堂での着任式に臨みました。

河野氏はすでに防衛相の職を離れていたので「挨拶」でしたが、岸氏からは「訓示」です。懐から紙を取り出し、読み上げました。

「ミサイル関連技術の高度化を図る北朝鮮は重大かつ差し迫った脅威」「中国は透明性を欠く軍事力を強化し、わが国周辺海空域での活動を活発化させている」。菅首相の指示をふまえ、「国民の生命と平和な暮らしを守るため、常に全隊員の先頭に立つ」と述べました。

9月17日、着任式で訓示を述べる岸信夫防衛相
9月17日、着任式で訓示を述べる岸信夫防衛相

岸氏が強調した防衛力と日米同盟の強化は、安倍内閣の方針を継ぐものです。岸氏の実兄は安倍晋三・前首相。幼い頃に安倍家から母方の岸家に養子に入り、祖父は同じ岸信介元首相です。就任早々の発言は「安全運転」でしたが、これから独自色を出すかどうか注目です。

引き継がれたのは何?

大臣交代に伴う防衛省らしい一連の行事はほぼ終わり、残るは他省でも見られる大臣同士の引き継ぎです。先ほど防衛省を後にしたばかりの河野氏が戻り、午後3時半から……のはずが、菅内閣で今度は行政改革担当相になった河野氏が慌ただしくなり、翌日に延期。冒頭で「ある一日を紹介」と書いたのですが、「ある二日間」になってしまいました。

引き継ぎは9月18日午後4時半ごろ、防衛大臣室でありました。「昨日はすいませんでした」と現れた河野氏を岸氏が迎え、就任祝いの花がどんと置かれた大臣の執務机の前で並んで撮影に応じます。応接のソファに移り、河野氏、岸氏の順に硯から毛筆を取り、引き継ぎ書に署名しました。

9月18日、防衛大臣室で引き継ぎ書に署名する河野・前防衛相(右)と、岸防衛相
9月18日、防衛大臣室で引き継ぎ書に署名する河野・前防衛相(右)と、岸防衛相

発言に聴き入る報道陣に囲まれ、河野氏が「筆が滑る音しかしねえぞ」「字が汚いのを撮られるのはやばいな」と言う中、「頭撮り」は数分で終了。引き継ぎ自体が10分ほどで終わったので、深いやり取りはなかったかもしれません。

ただ、防衛省によると引き継ぎ書は数十ページあり、在任中の出来事を中心に懸案が記され、河野氏がアショア配備停止問題で自身の反省を含め厳しい認識を示していた省内の「風通し」の悪さも含まれるそうです。

直前にあった防衛相の定例記者会見で私がこの件を岸氏に聞いたときの答えは、「風通しのいい組織を作っていきたい」とあっさりしたものでした。大臣交代がセレモニー以上の意味を持つかどうか、引き継ぎ書を読んだ岸氏の働きぶりに現れることでしょう。

9月18日、防衛大臣室で引き継ぎの前に撮影に応じる岸防衛相(左)と河野・前防衛相
9月18日、防衛大臣室で引き継ぎの前に撮影に応じる岸防衛相(左)と河野・前防衛相
 

ミサイル防衛や最新鋭戦闘機など、自衛隊の訓練や兵器が報道陣に公開されることがあります。ふだん近づけない自衛隊の「現場」から見えてくるものとは――。時には自分で訓練を体験しながら、日本政治の焦点であり続ける自衛隊を追う記者が思いをつづります。

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