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「宝島っていいな」名前で決めた移住「とにかく気楽」唯一の不満は…

加工品をつくるために育てる島バナナの前に立つ本名さん一家=2019年12月、鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影
加工品をつくるために育てる島バナナの前に立つ本名さん一家=2019年12月、鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

目次

「暖かい南の方に移住したい」とネットで調べた時、目にとまったのが「宝島」だった――。イギリスの海賊、キャプテンキッドが財宝を隠したという伝説があり、国内外から探検家が訪れた島。週2便のフェリーで鹿児島市内から片道12時間かかる鹿児島県トカラ列島の秘境だ。実際に移り住んだ人は「家族と過ごせる時間をたっぷりとれる。お金には変えられない価値こそ、この島の宝」。宝を探しに、記者が島へ向かった。(朝日新聞西部報道センター記者・島崎周)

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「暖かい南の方に行きたい」

屋久島と奄美大島の間、南北160キロに及んで12の島から成る鹿児島県十島村。人が住む島の中で最南端に位置するのが宝島だ。

午後11時に鹿児島市内からフェリーに乗り、翌日の午前11時半に到着。食事、シャワー、テレビ……寝たり、海を見たりと過ごしても12時間は長いと感じる。

本名(ほんみょう)一竹さん(37)と妻・祥子さん(36)は2011年に滋賀県から移住。子どもが生まれ、「暖かい南の方に行きたい」とネットで調べた際にたまたま出てきたのが「宝島」。名前が決め手だった。

「宝島っていい名前だな」

村営住宅で空いている3Kの家も見つかり、移住を即決。宝島を見に来て2カ月後には引っ越した。

鹿児島港を出発するフェリー「としま2」=鹿児島市、島崎周撮影
鹿児島港を出発するフェリー「としま2」=鹿児島市、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

「意外とすぐ不便さには慣れる」

ネットが天候の影響による接続障害で何日も使えなかったり、週2便のフェリーが欠航して物資が届かなかったり……。島暮らしでは全てが天候に左右される。数分に1本は電車が来るような東京で育った記者にはとても想像できない……。

でも「意外とすぐ不便さには慣れるし、もう不便には感じない」と一竹さん。朝早い通船作業にも携わるため、週2便以上船が来ると、逆に忙しくなりしんどいという。

通船作業がある日は、朝4時に起床。5時にフェリーが港に着岸する際の荷物の積み下ろしなどをして、その後いったん帰宅。子どもたちの弁当をつくって、学校などに行かせる。

9時半ごろから食品加工などの仕事をし、午後3時ごろには子どもを預けている施設に迎えに。午後5時ごろに出荷コンテナに商品を荷詰め。午後5時半には家に帰宅する。

一竹さんは「忙しくは働いていない」と話す。

移住して驚いたのが、子育てのしやすさだ。島に来てからさらに2人の子どもが生まれ、今では3、5、8歳の3人を育てる。

子どもが勝手に家の外に出てしまっても、誰か知り合いが見てくれ、子どもたちが騒いでも周りが気にならない。

幼稚園や保育所はなかったが、2015年度から村が新たに子育て支援拠点施設を新設。利用料は無料だ。おむつも月に最大5千円の助成金が村から支給されるので、ほぼお金がかからない。

フェリーが着く港にはカラフルな絵が一面に描かれている=島崎周撮影
フェリーが着く港にはカラフルな絵が一面に描かれている=島崎周撮影 出典: 朝日新聞

水泳の授業は浅瀬の海

宝島の2019年10月末の人口は119人。2012年から2016年まで連続で増加し、22人増えた。

119人のうち、20歳未満が7島で最多の27.7%を占める。宝島小中学校では、30年ぶりに生徒数が20人を超えたという。

子どもたちの教育環境も自然豊かな環境が生きている。

記者は島のガイドに海に案内されて驚いた。「ここで水泳の授業があるんですよ」。プールがないため、浅瀬の海で水泳の授業を受けるという。記者にとってはうらやましい限りだが、逆に「夏休みはプールに行きたい」と言う子どもたちがいるというのだから面白い。

総合的な学習の時間では、学校の近くで落花生を毎年育てて収穫したり、畜産農家を訪れ牛の世話をしたりするという。

小中学生が水泳の授業をするという海岸=2019年12月、鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影
小中学生が水泳の授業をするという海岸=2019年12月、鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

複数の仕事をするのが普通

Iターン者にとって課題となる仕事。本名さんは早い段階で軌道にのっている。

独学で始めた食品加工は、島で育つ島バナナのジャムやカレー、長命草のドレッシングなど、現在も販売されている商品が20種類に及ぶ。

特に島バナナのジャムは鹿児島県の特産品コンクールで受賞し、1万個以上売れるヒット商品に。

このほかに、バナナの繊維から織る芭蕉布(ばしょうふ)を、帯や帽子、髪留めなどに加工したり、魚をさばくなどの水産加工事業をしたりと、複数の仕事をしている。

島では若手に求められる消防団の仕事や通船作業もあり、複数の仕事をするのが普通だ。

本名さんが島バナナの繊維から織った芭蕉布を加工してつくった帽子や帯=鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影
本名さんが島バナナの繊維から織った芭蕉布を加工してつくった帽子や帯=鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

「みんな島に移住したらいいのに」

以前の不動産業よりも収入は増えた一方で、あまり外出などでお金を使わず支出は減った。家賃も1万円ほどだ。暮らしは安定している。

「とにかく仕事を優先順位の最後においても生活できる」

複数の仕事をしながらも休みはしっかりとれている。以前は子どもが寝た後に帰宅したり、土日に休みがとれなかったり……。今は一緒に目を覚まして、ご飯を食べ、一緒に寝る生活。土日も完全にオフだ。育ち盛りの子どもと過ごせることが何よりもうれしいという。

一竹さんは「とにかく気楽にやっていけるので、みんな島に移住したらいいのにと思う」。

本名さんが長命草や島バナナからつくった加工品のカレーやドレッシングやジャム=鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影
本名さんが長命草や島バナナからつくった加工品のカレーやドレッシングやジャム=鹿児島県十島村の宝島、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

第4子以降は100万円支給

十島村がIターン者の定住対策に乗り出したきっかけには、無人島を生んでしまった島の歴史がある。

村の人口の最盛期は1953年の2761人。その後、集団就職や進学で若者が村を出たまま戻らないなどで年々減少。

1970年には、臥蛇島が無人島になって、人が住む島は7になった。人口減少は続き、10年には600人を割ったこともある。

村は「第2の臥蛇島をつくってはならない」と、2010年ごろから定住対策に力を入れた。

大自然と温暖な気候、ゆっくりとした時の流れなどをアピール。子どもが生まれた場合、第1子30万、第2子40万、第3子50万、第4子以降だと100万円を支給。肉牛の飼育や島ラッキョウ、島バナナの栽培といった地場の農林水産業に就いた場合、最長5年間、1家族あたり最大で最初の3年は1日1万円、残りの2年は5千円の奨励金を出す制度も始めた。

こうした手厚い支援を続けた結果、2011年には人口が増加に転じ、2016年まで連続で増加。2011年から2016年までに計102人増えた。2015年の国勢調査では、人口増加率が全国の市町村で2位にまで上り詰めた。

無人島となった臥蛇島=2004年、小宮路勝撮影
無人島となった臥蛇島=2004年、小宮路勝撮影 出典: 朝日新聞

仕事を変える=島を出る

だが、ここ2年は伸び悩む。肥後正司村長は、移住が増えた2011年ごろに就業支援の奨励金を受け始めた人が期限切れを迎え、5年以内に自立できないことが要因にあるとみる。

島を出て行った家族もいた。

一竹さんは「思っていた生活ができなかったんだと思う。例えば東京で仕事にいきづまっても、転職などすれば、東京から必ずしも離れる必要はない。でもこんなに小さな島だと、仕事を変えるとなれば島を出ることに直結してしまう。都会なら土地を離れる必要はないような問題で出ていっている」。

村は、奨励金の支給期間延長の検討に着手。定住対策への投資として、高速インターネット整備や診療所への看護師増員なども進めている。

取材後数カ月で、新型コロナウイルスの感染が拡大。一竹さんに島の様子を聞いてみると、観光客がいなくなり、イベントも全て中止になったという。

一竹さんの売り上げも激減。一方で学校の休校時には子どもと毎日、島内で野鳥探しをしていたという。「外出しても人とめったに合わず、野鳥が多い時期にじっくりと家族で自然観察ができた。そんなところはやっぱり島のいいところです」。

肥後村長は「それなりの覚悟をもって移住しにくる。仕事や生活の悩み事に村ももっと目配りをし、地域で支えていかなければならない」と話す。

インタビューに応じる肥後村長=2019年12月、鹿児島市、島崎周撮影
インタビューに応じる肥後村長=2019年12月、鹿児島市、島崎周撮影 出典: 朝日新聞

何人もが口をそろえ「不便ではない」

記者は会社に入って記者になってから、滋賀県、鹿児島県、福岡県と2年おきに転勤。それまでは東京で22年間過ごしてきたが、徐々に転勤生活にも慣れてきた。

「移住」というとハードルが高く聞こえるかもしれないが、「住まいを変える」「暮らしを変える」と考えれば、そんなにハードルの高いことではないのかもしれない。

そういう意味で十島村への移住は、究極の「生活の転換」だ。静かな時間がゆっくりと流れ、自然に全てをゆだねる。お金やなにかでは換算できない価値がそこにあるのだろう。

自分が移住するとすれば、特に子育てのタイミングが魅力的に思えた。今は子どもはいないが、子どもを育てるのであれば、自然があって、人とのふれあいが多い場所で育てたいという思いがある。

都会に住むと、マンションの隣の人さえ知らないことが多い。子どもが騒いでうるさがられ、急な仕事の都合で子どもの面倒を見られなくなったりしても、周りに助けてくれる人、許してくれる人がいれば、こんなに住みやすい環境はない。

30年ぶりに20人を超える児童がいるという宝島小中学校
30年ぶりに20人を超える児童がいるという宝島小中学校 出典: 朝日新聞

また仕事面では、一つの仕事だけでなく、通船作業や消防団の業務など、ひとりひとりが担う仕事は複数にまたがる。これは飽きやすい性格にとってありがたい。副業をいくつもしている感覚で、楽しそうだ。

一方で移住するとなれば、クリアしたい課題もある。

まずはインターネットの環境。記事を書く仕事をしていて、ネットさえあればどこでも仕事ができるが、通信状態が悪いと支障が出る。

住民に取材していると、ネットが使えなくなることは頻繁にあるといい、村は高速インターネットの整備をまさに進めているというが、これは必須条件だと感じた。逆に言えば、ネットの環境が充実すれば、より仕事の幅も広がるのではないか。

島に移住した何人かに取材して驚いたのは、「島暮らしは意外と不便ではない」と口をそろえる点だ。

確かに自分自身も転勤を繰り返し、東京と比べれば「田舎」と感じる環境に身をおいてきたが、何となく順応し、慣れてきた。

160キロに及ぶ村は「日本最後の秘境」と称される。秘境もとかく「住めば都」なのかもしれない。

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