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お金と仕事

現役時代の収入超えた、元プロスノーボーダーが歩んだ「合理的思考」

19歳から11年間、スノーボードブランドの大手Burton(バートン)と契約していた田中総一郎さん=田中さん提供
19歳から11年間、スノーボードブランドの大手Burton(バートン)と契約していた田中総一郎さん=田中さん提供

目次

アスリート現役時代、収入が高ければ高いほど、引退後の生活にギャップに苦しみます。19歳からプロスノーボーダーとして活躍し、30歳で引退した田中総一郎さん(41)もその1人でした。現役時代、ケガをしてもスポンサーをひきとめられた「作戦」。会社を設立して8年、すでに現役時代の年収を超えています。「稼げる人がプロ」と話す田中さんが切り開いたアスリートのセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

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元プロスノーボード選手の田中総一郎さん。現在はIT企業Ichigo Brandingの代表を務める。=田中さん提供
元プロスノーボード選手の田中総一郎さん。現在はIT企業Ichigo Brandingの代表を務める。=田中さん提供

 

田中総一郎(たなか・そういちろう)
1978年東京都生まれ。北海道東海大学卒業。現役時代、スノーボードブランドの大手バートンをはじめ10社以上のスポンサーと契約。2008年に引退。2010年にHP作成などのIT事業を手がけるIchigo Brandingを起業。
 

19歳でスノーボード界の有名ブランドと契約

<レギュラーになれないスポーツは却下。小柄な体格を生かせるスノーボードで食べていくことを決意>

元々体は強くなかったのですが、スポーツは好きで、小学校でサッカーを始めました。でもなかなかレギュラーになれませんでした。試合に出たかったので、他のスポーツへの転換を考えました。

中学校では、部員数が少ないバレーボール部に入部。レギュラーになれる確率が高いと思ったのですが、身長164センチで小柄だったのもあり、ここでも試合に出られませんでした。

もんもんとして生活を過ごす中、高校の時にスノーボードブームが到来。スノーボードに興味を持ちました。体格や経験値に影響しないスポーツだと思い、「スノーボードでプロになる」と直感で決めました。スケードボードの経験もあったので、ハーフパイプで勝負をしようと思ったんです。

スノーボードを極めるのなら、雪があるところがいいと思い、東京から北海道の大学に進学しました。転機になったのは4カ月休学し、本場アメリカ・メーン州へスノーボードの練習をしに行ったことでした。

スキー場のふもとの宿泊施設に寝泊まりし、「ドアを開けたらすぐリフト」という環境で毎日練習に励みました。プロに近い人たちの近くで練習することで、メキメキと上達しました。

サッカーやバレーボールと違い、スノーボードは小柄な方が有利なスポーツです。わずか数カ月でしたが格段に実力を上げて帰国しました。そのスキルを買われ、19歳でバートンとの契約に至りました。

現役時代、スノーボード、ストリートファッション系の雑誌などに何度も取り上げられていた田中さん=田中さん提供
現役時代、スノーボード、ストリートファッション系の雑誌などに何度も取り上げられていた田中さん=田中さん提供

10代から「どうやって稼ぐか」を常に考える

<スポンサーがつくと、お金と時間が生まれる。結果、大会で勝つことができる>

日本では、プロスノーボーダーになるには資格を取る必要があります。正直なところ、国内では、プロになっても活躍できない選手は多くいるのが現実です。一方アメリカでは、「稼ぐ人がプロ」。うまくなったら稼げるようになる、という考え方ではないんですね。

私はアメリカ式の思考だったので、常に「どうやって稼ぐか」を考えていました。スノーボードブランドの中でも、どの板が売れていて、どの会社がどのメディアとつながっているかなどを徹底的に調べ、企業に自分を売り込みました。

スポンサーがつくと、大会で勝ちやすくなります。例えば大会前に前泊してコンディションを整え、受付などの手続きはスタッフに任せられるため、試合のみに集中できます。

一方、スポンサー無しの場合は、仕事終わりに夜な夜な車を走らせ、車内で仮眠してから出場‥‥ということも、日常茶飯事です。

私は、当時はスノーボードの実力はそこそこでしたが、お金と時間はありました。その結果、大会で勝ち続けることができました。要は「勝ち方」を知っていたんです。

この「稼ぐ人がプロ」という考え方と実行力は、引退してビジネスをする上でも軸になっています。

当時は今ほどインターネットが普及していなかったため、スノーボードの情報は少ない時代。国内で海外の最新情報を得る手段は、雑誌やDVDだった。=田中さん提供
当時は今ほどインターネットが普及していなかったため、スノーボードの情報は少ない時代。国内で海外の最新情報を得る手段は、雑誌やDVDだった。=田中さん提供

ケガをしても7年間現役を続けられた理由

<プロ2年目で大けがをする。考えたのは、試合以外での「勝ち方」だった>

アマチュア時代からスポンサーはついていましたが、資格を取ることでより説得力が増すと思ったので、21歳でプロになりました。

順風満帆だったプロ2年目の23歳の時、試練に見舞われます。練習とプロモーションビデオ撮影のために訪れたオーストリアで、ひざの前十字靭帯(じんたい)を断絶してしまったんです。

ジャンプの発射台の雪が柔らかくコントロールを失ってしまい、平らな地面に落ちました。その晩、ホテルで泣きましたね。「せっかくここまで来たのに……」という悔しい気持ちでいっぱいでした。

そこから1年間は滑ることができなくなりました。大会も、本調子になるまで勝てないとわかっていたので、出ませんでした。中途半端に復帰して、大会で実績を残せなくなるのだったら、違う方法で生き残ろうと思ったんです。

プロになると「大会か撮影か」の生活になります。大会では結果がすべて。契約していたバートンは外資系というのもあり、成績が悪いと契約をすぐに切られるのが目に見えていました。そこで考えたのが「撮影」の方でのお金を生み出す方法です。

考えた結果、1年間カナダへ行き、雑誌とDVD用の撮影に力を入れることにしたんです。専属のカメラマンに1シーズン密着して撮影してもらい、その写真を出版社に売りに行きました。

企画が当たり、雑誌30ページの企画をまるまる任せてもらうこともあり、年間で70ページ取れたことも。その他、カバンブランドプロデュースも手掛けたり、他のスノーボードブランドメーカーと契約を結んだりして、7年間現役を続けました。

その結果、収入は右肩上がりに。スノーボードの「上手さ」ではなく、スポンサーの商品が売れる「インフルエンス力」を伸ばした結果でした。

海外でスノーボードのプロモーションビデオの撮影をする田中さん=田中さん提供
海外でスノーボードのプロモーションビデオの撮影をする田中さん=田中さん提供

引退後、働く上で意識したのは「時間単価と利益率」

<現役ピーク時に引退。「引退しない職業」を考え、経営者になることを決める>

引退は30歳の時です。契約金の高いピーク時にやめようと思いました。セカンドキャリアを考えた時、スノーボード界には残らないと決めたのは、今後マーケットが縮小すると思ったからです。ビジネスをする上で大事なのは、市場の行き先を見極めることだと思っています。

一般企業へ就職を考えましたが、「30歳社会人未経験」だと給料が低くなってしまうのが現実。当時はそれが受け入れられませんでした。でも今振り返ると、ビジネスマナーなど社会人としての基礎を身につける「修行」だと捉えて就職するのもアリだったと感じています。

何を軸にして仕事を選ぶかを考えた時、「引退する仕事はもう嫌だな」と思ったんです。そうして、行き着いた答えが「経営者になろう」でした。そこで、経営者の塾などに通い、考え方や利益の生み方を学びました。

そして、大学でデザインの勉強をしていたのを武器に、ブログのカスタマイズやコンサルを始めました。当時はフリーランスだったのですが、気をつけていたのは「時間単価と利益率」です。

一見、単価の高い依頼だったとしても、打ち合わせや移動時間、ウェブ制作後のフォロー工数も含めて割に合う仕事かを考えていました。また、お客さんからの質問に対しての答えを全て動画作成しました。一つひとつ動画を撮りためていくことで、次回同じ質問があった際はFAQへの誘導が可能になります。そのように時間を捻出していき、生産性を上げていきました。

やりがいや好きなことを求める前に、一定水準稼ぐことが必要だと思っています。その順番を間違えると食べていけなくなるので。そういった意味では、私は合理的な人間だと思います。

「ゴールできないゴールに向かって走るのは合理的ではないので、現役時代は自分の実力を常に見極め、進むべき方向を図っていました」(田中さん)=田中さん提供
「ゴールできないゴールに向かって走るのは合理的ではないので、現役時代は自分の実力を常に見極め、進むべき方向を図っていました」(田中さん)=田中さん提供

現役時代から大事にしているのは「誰と交渉するか」

<話を通したい時は、決定権のある人を見極める。1年以上かけて信頼関係を築くことも>

引退後に最も苦しいのは、生活スタイルが変わることです。特に、収入が高ければ高い人ほど、そのギャップに苦しむと思います。

私は「稼ぐ人がプロ」の精神で、少しずつ会社を大きくしていきました。今年で登記してから8年目になりますが、現役時代の収入はすでに超しています。これからも、もっと会社を大きくしていくつもりです。

現役時代も経営者となった今も、大事にしているのは、「誰と交渉するか」です。どんなに良いアイデアも、話す人を間違えると前に進みません。交渉の際、できるだけ権限のある人に話すようにしています。

その際、注意しているのが「上下関係を作らないようにする」こと。最初からフラットな良い関係を築くために、1年以上かけて信頼関係を作ることもいとわないです。

若手アスリートの方へのメッセージは、現役時代から引退後も設計しておいた方がいいということ。今はインターネットなどでいくらでも情報が得られる時代です。例えばサッカーの本田圭佑選手のように、実力だけではなく、ビジネスマインドも持ちながら現役を続けることが、これからのスポーツ選手の潮流になるのではと思っています。

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