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連載

#18 「見た目問題」どう向き合う?

腕を切り落とされた理由は…「肌の色」 ”アルビノ狩り”の壮絶体験

インタビューに応じるマリアム・スタフォードさん(右)と支援する女性ら
インタビューに応じるマリアム・スタフォードさん(右)と支援する女性ら

目次

 黒人にもかかわらず白い肌に生まれたために、身体を切断され、殺される人たちがアフリカにいます。迫害を受けているのは、遺伝子疾患アルビノの人たち。事件は「アルビノ狩り」と呼ばれます。アルビノとして生まれたタンザニアの女性(35)は男4人に襲われ、両腕を切り落とされました。しかし、女性は「襲撃した男たちを許す」と言います。一体、なぜなのでしょうか?(朝日新聞文化くらし報道部記者・岩井建樹)

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「アルビノ狩り」
 アルビノの人たちは、メラニン色素をつくる機能が損なわれているため、肌や体毛が白く、視覚障害も伴います。

 アフリカでは、迷信からアルビノの人々の肉体が呪術に使われています。切断された身体は、闇マーケットで高額売買。国連の独立専門家によると、過去10年で、アフリカ28カ国で少なくとも約700件の襲撃があったといいます。

 選挙があると「当選するために」と襲撃が増えたり、事件にあっても「身内の恥」として家族が隠したり、捜査当局が積極的に犯人捜しをしなかったりするとの指摘もあります。

インタビューに答えるマリアム・スタフォードさん=関田航撮影
インタビューに答えるマリアム・スタフォードさん=関田航撮影

10年前の悪夢

 体験を語ったのは、マリアム・スタフォードさん。11月上旬に開かれた東京アルビニズム会議(日本財団主催)に出席するために来日しました。

 2008年10月、白い肌でうまれたために、アルビノ狩りの被害に遭いました。事件には呪術師が絡んでいました。

 「10年前の夜に起きた悪夢のような出来事を、私は二度と忘れることはできないでしょう」

東京アルビニズム会議では、マリアム・スタフォードさんが襲撃された直後の写真も紹介された=関田航撮影
東京アルビニズム会議では、マリアム・スタフォードさんが襲撃された直後の写真も紹介された=関田航撮影


 「就寝中、隣人を含む男4人が家に押し入ってきました。一人に、ベッドに押さえつけられ、ナタで右腕を切断されました。男は切り取った右腕を、ほかの男たちに投げ渡しました。私は叫び、必死に抵抗しましたが、左腕も。一緒にいた2歳の息子は、事件の一部始終を目撃しました。おなかにいた6カ月の胎児も失いました」

 「私は叫び声を上げ、助けを求めました。同じ敷地内に両親らが住んでいましたが、襲撃者たちが外から鍵をかけていたため、出られない状態でした。みんなで叫び、ようやく近隣の人が気づいてくれました。車がないので、村人が病院まで運んでくれました。治療を受けられたのは、事件から7時間後。この事件で、実行犯を含め6人が逮捕されました。うち一人が呪術師でした」


 事件後、マリアムさんの生活は一変しました。腕を失ったため、料理や農作業はできなくなり、絶望の淵に突き落とされました。

 「腕を失い、2歳の息子を抱くことさえできなくなりました。何もできないという現実は受け入れがたいものでした。フィアンセも、私の元を去っていきました」

男たちに襲われ切断されたマリアム・スタフォードさんの腕=関田航撮影
男たちに襲われ切断されたマリアム・スタフォードさんの腕=関田航撮影

親族さえ「呪いだ。殺せ」

 マリアムさんは、事件に遭う前にも、肌が白いという理由で、様々な差別に遭ってきました。生まれた時には、親族にさえ「呪いだ。殺せ」と言われました。

 「親族の一人が、私の両親に、『こんなのは血のつながった家族にはいないはずだから殺せ』と言いました。でも、祖母が『過去にもアルビノの子がいたから殺してはダメだ』と言ってくれ、両親は思いとどまりました。その親族はいまだに私の家を訪ねて来ません」

東京アルビニズム会議にあわせ、写真家パトリシア・ウィロックさんがアフリカのアルビノの人たちを撮影した写真展も開かれた
東京アルビニズム会議にあわせ、写真家パトリシア・ウィロックさんがアフリカのアルビノの人たちを撮影した写真展も開かれた


 「子ども時代、私はひとりぼっちでした。私を見ると、同年代の子どもたちはみんな逃げました。両親は、私を学校に行かせてくれませんでした。祖母が説得してくれ、10歳の時、幼稚園に入園しました」

 「学校に進学しましたが、字が読めない、書けない状態。アルビノのため弱視なので、前の席に行こうとすると、体が大きいので、『邪魔だ』と言われました。先生には、たたかれました。私は学校に行かなくなり、藪(やぶ)の中に隠れる日々を4年間続けました」


 いつしか、マリアムさんは自分を「人間以下の存在」ととらえるようになりました。

 「自分の姿を見て、『私がみんなと違って変だから、避けられるのだろう』と思い、自分自身を責めました。私は人間として足らない存在で、人間ではなく、単なる『モノ』なのかもしれないと」

東京アルビニズム会議で体験を語るマリアム・スタフォードさん=関田航撮影
東京アルビニズム会議で体験を語るマリアム・スタフォードさん=関田航撮影

アメリカの議員に協力求める

 襲撃を受け、絶望の中にいたマリアムさんを救ったのが、アメリカ国民でした。事件から1年後の2009年、アメリカに招かれ、義手を手に入れました。

 「私が襲撃されたことがアメリカで報道されると、支援したいとの声がわき起こったといいます。NGOや医師などの支援を得て、アメリカに行き、無償で義手をつくってもらいました」

 「アメリカの議員にも会い、『アルビノ狩りの悲惨な状況を終わらせて』と訴えました。すると、アメリカの議会下院がアルビノ狩りを非難する決議を採択してくれました。アメリカの人々は私の勇気をたたえ、尊敬してくれました」

東京アルビニズム会議には、アルビノの当事者を含め多くの来場者が訪れた=関田航撮影
東京アルビニズム会議には、アルビノの当事者を含め多くの来場者が訪れた=関田航撮影

「襲撃した男たちを、許したい」

 タンザニアに帰国後、マリアムさんは職業訓練校に通い、編み物を学びました。今は、セーターやスカーフを製作しています。仕事の傍ら、「悲惨な出来事が起きていることを、世界中の人々に知ってほしい」と、国内外でアルビノ狩りに遭った体験を語っています。

 そして「襲撃した男たちを、許したい」と言います。

 「許さなければ、心の平和を取り戻すことはできません。私は、自分の人生を前に進めなければなりません。仕事で自立するのが今の目標です。その姿をほかのアルビノの人たちに見せたいと思っています」


 今年10月、マリアムさんはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(標高5895m)に、ほかのアルビノの女性6人とともに登りました。

 「たとえアルビノであっても、両腕がなくても、できないことは何もないということを示すために登りました。私にとって、襲撃を受けてからの人生が最大のチャレンジです。そのチャレンジのシンボルとして、キリマンジャロを登りました」

東京アルビニズム会議で体験を語ったマリアム・スタフォードさん(左から2人目)ら=関田航撮影
東京アルビニズム会議で体験を語ったマリアム・スタフォードさん(左から2人目)ら=関田航撮影

「私たちは同じ人間なんだ」

 タンザニアでは、1400人に1人の割合で、アルビノで生まれるとされています。一方、日本では1万~2万人に1人とされます。日本では、学校でのいじめや、就職活動で差別にあう「見た目問題」に苦しむアルビノの人たちいがいます。

 マリアムさんは、こう訴えます。

 「社会の変化をただ待つのではなく、自分の中に変化を見いだすことが大事です。まずはアルビノであることを自ら受け入れ、自分を信じて、やりたいことに挑戦することです。そうすれば、ほかの人たちも私たちアルビノを受け入れてくれるようになると思います」

 「アルビノは単なる遺伝子疾患にすぎません。私たちは『あなたと同じ人間なんだ』と、私たちが暮らす地域、そして社会に向けて訴え続けなければなりません。社会がアルビノの人々に向ける視線を、私たちの力で変えていく必要があります」

東京アルビニズム会議にあわせ、香港生まれのアルビノ・ジャズシンガー、コニー・チュウさんのライブも開かれた
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