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「歴史に学ぶくらいならワンピースを」日本史学者・呉座勇一の警告

日本史学者・呉座勇一さん
日本史学者・呉座勇一さん

目次

 「本能寺の変」や「関ケ原の戦い」などを巡り、世にはびこる様々な陰謀論や俗説を、専門家の視点から“ガチ検証”した『陰謀の日本中世史』(角川新書)が11万部のベストセラーになっている。著者で日本史学者の呉座勇一さんは「歴史『を』ではなく、歴史『に』学ぶのは危険」と訴えます。「『物語』が欲しいなら、ワンピースやスラムダンクを読んで」とも。呉座さんが恐れる歴史の学び方とは?(朝日新聞文化くらし報道部記者・高久潤)

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学会で相手にされない陰謀論

――武士が政治の表舞台に出てくる保元の乱を皮切りに、織田信長が死去する本能寺の変、そして関ケ原の戦いと、誰もが聞いたことがある中世の歴史を「陰謀」という切り口で考えたのはなぜですか

 「本能寺の変に黒幕がいた、坂本龍馬暗殺に黒幕がいた、といった『陰謀論』は世の中では関心は高いですが、学界で相手にする人はほとんどいない。日本史に陰謀がたくさんあったのは事実ですが、こうした黒幕説が成り立つことはない、というのが学界の常識です」

 「ただ関心が高い理由はわかります。『教科書では教わらない〇〇』とか『誰も知らなかった〇〇』とか聞くと、思わずその先を知りたくなりますよね。人は陰謀論になびきやすい」

 「一般的に知られていなかったり、メディアで語られていなかったりする情報を自分が知ることに、人は優越感を覚える。『この真実を知っているのは自分だけだ』と思うと、他人に教えたくてたまらなくなる。その話を聞いた人が、また別の誰かに話して、その人がさらに別の誰かに……という形で、あっという間に広がっていきます」

 「しかも近年はTwitterなどSNSの利用が浸透したことで、陰謀論はかつてより大きな力を持つようになった。これはまずいな、という問題意識で書きました」

本能寺の境内と本堂=京都市中京区
本能寺の境内と本堂=京都市中京区 出典: 朝日新聞

そんなに資料はない本能寺の変

 「特に講演会などで感じるのは、新しいことを知りたいというより、自分の意見や見通しに対して専門家からお墨付きをもらいたいという人が一定数いることです。こういう人は陰謀論に吸い寄せられやすい」

 「歴史は史料にもとづいてしか語ることができません。ところが、今に伝わるその史料というのは、あくまで『氷山の一角』です。100%の真実を解明することは難しい。研究すればするほど、色々な可能性が見えてきて、『こうだ』とは断言できなくなる」

 「例えば本能寺の変は、実はそんなに史料が残っているわけではない。『天正10年(1582年)6月2日に明智光秀が本能寺で織田信長を討った』ことは確実ですが、光秀の動機を明確に示す史料はない。わからないことはわからないのであり、『謎を完全に解明した!』と思うことじたいが傲慢です」

JR岐阜駅前に立つ金ピカの信長像
JR岐阜駅前に立つ金ピカの信長像 出典: 朝日新聞

「陰謀論、むしろ斬新ではない」

――でもその謎に、斬新な仮説によって迫るというのは結構わくわくします
 
 「私はむしろ陰謀論で語られる話はまったく斬新ではないと思う。わかりやすいのは事実ですけどね」

 「明智光秀に信長殺害を指示、あるいは光秀と共謀した人がいたという様々な黒幕説は、実は世間の人びとが抱いている信長と光秀の通俗的なイメージに迎合したものです」

 「つまり、信長は天才的で革新的な合理主義者で、光秀はどちらかというと保守的な教養人である、と。普通の秀才である光秀が、信長のような大天才をひとりで討つなんてできるだろうか。きっと黒幕がいたに違いない――。そういう凡庸な発想です」

 「本当の意味で斬新なものって、一般にはそんなに受け入れられません。表面上新しいけれど、根っこの部分は『自分たちの感性と一緒』、あるいは『すでに知っている』。そういうものが一番受け入れられやすく、また独り歩きもしやすい」

徳川家康の壮年時代を表現した銅像=静岡市葵区のJR静岡駅北口
徳川家康の壮年時代を表現した銅像=静岡市葵区のJR静岡駅北口 出典: 朝日新聞

「すべてを説明できる物語は怪しい」

――この本では、実際に起きた陰謀と陰謀論を区別して、陰謀論のパターンを紹介しています
 
 「『はめたつもりが、はめられていた』という加害者と被害者の逆転、一番得した人間が『黒幕』、最終的に勝ち残った人間の策略。多様に見えて、実は限られたパターンの繰り返しです」

 「複雑な史料を読み解くと、そんなに単純に物事が動いていないことが見えてくる。いや、史料を読まなくても自分自身について考えてみれば分かるでしょう。死後に神格化された歴史上の偉人も、生きている時は普通の生身の人間で全知全能ではない」

 「徳川家康だって、日々迷い間違えながらいろんなことを選択していたはずです。すべてをひとつの陰謀で説明できる、破綻(はたん)のない物語が怪しいのは明らかです」

徳川家康坐像=奈良市雑司町の手向山八幡宮
徳川家康坐像=奈良市雑司町の手向山八幡宮 出典: 朝日新聞

「うまくいくかどうかというのは結果論」

――では歴史を学ぶコツって何でしょうか

 「歴史『に』学ぶのをやめることです。歴史上の英雄は、さも未来を完全に見通して策略や陰謀を図った、という風に称賛されがちですね。でも、超能力者でもないのに『100%計算通り』なんてありえないでしょう。そんな超人から、われわれ凡人が何を学ぶんですか」

 「ビジネス書には『信長のようにビジョンを持て』などという話がよく登場しますが、ビジョンを持てばうまくいくというのは少し違う」

 「むしろ、見通しが外れたときにどう軌道修正していくかというほうが大切だし、そういう危機管理能力に注目したほうが、現代を生きる上で役立つのではないでしょうか。そこから『起死回生の一策』が生まれることもある。ただそれも、うまくいくかどうかというのは結果論によるところが大きいと思います」

信長をモチーフにしたゆるキャラ「のぶさま。」
信長をモチーフにしたゆるキャラ「のぶさま。」 出典: 朝日新聞

太平洋戦争での奇襲多用につながってしまった「歴史の物語化」

――でも、ビジョンは欲しいし「物語」も欲しいです
 
 「それを求めるなら、ぜひ『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクションでどうぞ。歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」

 「これはかなりまじめな話です。事実、俗説を『歴史的事実』と誤解し、それを根拠に物事を決定して、失敗してしまった例は多い」

 「例えば、太平洋戦争。日本軍が奇襲を多用した背景の一つに、源義経が一ノ谷の戦いで見せた(断崖絶壁を馬で駆け下り、敵陣の背後を急襲した)『鵯越の逆落とし』があったと言われます。「『義経は奇襲で平家の大軍に勝った。だからわれわれも、奇襲でアメリカに勝てる!』と思ったわけです」

 「しかし奇襲が上手くいったのは真珠湾攻撃など最初だけで、あとは連戦連敗でした」

 「実は最近の研究では、鵯越の逆落としは『平家物語』の創作で、事実ではない、と考えられている。現実の義経は、非常に用意周到な武将だったことが分かってきています」

 「その場で奇想天外な作戦を思いついたのではなく、自身に有利な態勢を着々と整え、勝つべくして勝った。義経の作戦をきちんと研究していれば、『奇襲で戦争に勝てる』などという見当違いの教訓を導き出すことはなかったでしょう。歴史を物語として学んでしまうと、こういう大やけどをすることもあるのです」

真珠湾攻撃の戦果を告げる1941年12月9日付の朝日新聞朝刊
真珠湾攻撃の戦果を告げる1941年12月9日付の朝日新聞朝刊

「歴史学の手法をぜひ知って」

――歴史「に」ではなく、歴史を学ぶにはどうすればよいでしょうか

 「この本を通して、歴史学の手法をぜひ知ってほしいです。真実にたどりつくまでのプロセス、つまりどう考えて、調べて、研究を進めれば歴史的事実をある程度確定させられるのかという手法を学ぶということです」
 
 「この技術は現代にもつながります。歴史上の史料は、偽書なども紛れていて実に玉石混交です。そういったものを慎重に見定め、真実にたどりつこうとする歴史学の手法は、現代の情報社会を生きるうえでのスキルにも近いと私は思います」


     ◇

呉座勇一(ござ・ゆういち)1980年生まれ。国際日本文化研究センター助教。専攻は日本中世史。著書に「応仁の乱」「一揆の原理」など。

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