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IT・科学

さんからの取材リクエスト

わざと壊された土偶の目的とは……



土偶って埴輪と何が違う? はに丸くんでもわかるように説明してみた

どぐうせんぱいと対面するはに丸くん。解説するのは東京国立博物館で考古学を研究する、河野正訓さん
どぐうせんぱいと対面するはに丸くん。解説するのは東京国立博物館で考古学を研究する、河野正訓さん

目次

 土偶と埴輪の違い、知っていますか? 同じように見えるかもしれませんが全然、違います。「人のような形の土の焼きもの」としては、日本で一番有名な?はにわの王子・はに丸くんが調べてくれました。

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特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を訪れた、はに丸くん
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を訪れた、はに丸くん

「はにゃ?大先輩??」

 NHKのジャーナリストとして活躍中のはに丸くん。足を踏み入れたのは、東京国立博物館(トーハク)で開催中の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(9月2日まで)の会場です。

     ◇

はに丸「はにゃ?お友だちがいっぱいいるって聞いて遊びに来たんだけど、はだかんぼだったり、大きなメガネを掛けていたり、なんだかヘンテコ~。ぼくみたいにカワいくないね!」

トーハクの先生「はに丸くん、大先輩に失礼しちゃダメだよ…」

はに丸「はにゃ?せんぱい?ぼく王子だからけっこうエラいんだよ!」

トーハクの先生「はに丸くんは、“どぐう”って、知っているかな?」

はに丸「“どぐう”?ハニワにもわかるように説明してください!」

トーハクの先生「はに丸くんは、埴輪でしょ。埴輪が作られたのは、古墳時代だよね。土偶はね、古墳時代よりずーーっと前の、縄文時代に作られたんだよ。」

はに丸「zzz……」

トーハクの先生「はに丸くん?」

     ◇

 はに丸くんにはちょっと難しかったかな?早くも眠くなってしまいました。それにしても埴輪と土偶って、何が違うんでしょう。

さっそく眠るはに丸くん
さっそく眠るはに丸くん

土偶と埴輪のちがい、あらためて勉強

 教えてくれる先生は、同館で考古学を研究する、河野正訓さんです。河野さんの専門は「古墳時代の農具」。世の中に考古学者多しといえども、「古墳時代の農具」を専門とする研究者はかなり少ないんだそうですよ!

     ◇

――縄文展の会場に並ぶ「土偶」と、はに丸くんの仲間「埴輪」。どちらも古代に作られた、人のような形の、土の焼きもの……ですよね?ずばり、違いを教えてください!

河野先生「まず、時代が違います。土偶は、今から約1万3千年前~約2千400年前の縄文時代に作られました。縄文時代の後に弥生時代があって、その次の古墳時代、つまり3世紀後半~6世紀ころに埴輪が作られました。

東京国立博物館で考古学を研究する、河野正訓さん(左)。写真の土偶は、国宝「土偶 縄文の女神」(山形県舟形町 西ノ前遺跡出土、山形県蔵、山形県立博物館保管)
東京国立博物館で考古学を研究する、河野正訓さん(左)。写真の土偶は、国宝「土偶 縄文の女神」(山形県舟形町 西ノ前遺跡出土、山形県蔵、山形県立博物館保管)

わざと壊した理由

――縄文時代って1万年間も続いたんですか。はに丸くん、土偶は数千年も先輩ですって。

はに丸「zzz……あ、ごめん!また寝ちゃった……」

河野先生「第2に、発見される場所が違います。土偶は、集落の跡から見つかることが多いです。縄文の人々が住んだり、祭りや儀式をした、暮らしの場ですね。埴輪は、有力者の墓である古墳から見つかります」

河野先生「第3のちがいは、扱われ方です。土偶は、基本的には女性を表します。妊娠した姿も多く、安産や豊穣を祈ったようです。精霊の姿だという人もいます。土偶は、意図的に壊されたものも多く見つかっていて、壊すことが、何かの祈りや儀式に関係していたのかも、と考えられています」

河野先生「一方、埴輪は古墳の副葬品で、権力者の功績を表しているといわれます。偉い人の墓のためのものですから、意図的に壊すことはなかったようです。はに丸くんのような人の形以外にも円筒形や、盾や傘、家や犬や鳥など様々な形があります※」

※縄文時代にも動物の形の焼きものは作られていますが、考古学用語では『土製品』と呼ばれます

東京国立博物館総合文化展の埴輪のお友だちと、はに丸くん
東京国立博物館総合文化展の埴輪のお友だちと、はに丸くん

シュッとしてない土偶先輩

――はに丸くんはシュッとした顔立ちですが、土偶は形や表情など、ひとつひとつがもっと個性的ですね。

河野先生「そうですね。縄文時代は平等な社会で、土偶を作る専門家がいたわけではなさそうですが、埴輪は『工人』と呼ばれる専門家によって作られたようです」

河野先生「似たような埴輪が広い範囲で出土します。強い大王が、模範となる埴輪の作り方を地方の豪族へと伝え、その『技術の配布』で権力の大きさを示していたのでしょう。1つの古墳には数百、数千の埴輪が埋められるので、大量生産的にまとめて作られた点も土偶とは異なります」

はに丸「zzz…ハニワ王に!おれはなる!」

河野先生「そうですね(笑)。はに丸くんのような格好いい鎧は『挂甲(けいこう)』という鉄のよろいを模していますが、これを身に着けられた人はかなり身分の高い人です」

河野先生「作り方の違いでいうと、土偶も埴輪も粘土を材料にした『素焼き』ですが、土偶は『野焼き』で焼かれます。一方埴輪は、5世紀くらいからは窯で焼かれるようになり、ススが付かなくなりました」

「縄文―1万年の美の鼓動」の会場に展示された重要文化財「遮光器土偶」(青森県つがる市木造亀ケ岡出土、東京国立博物館蔵)。教科書にも登場する有名な土偶だ=飯塚悟撮影
「縄文―1万年の美の鼓動」の会場に展示された重要文化財「遮光器土偶」(青森県つがる市木造亀ケ岡出土、東京国立博物館蔵)。教科書にも登場する有名な土偶だ=飯塚悟撮影 出典: 朝日新聞

縄文の人には四次元にモノが見えていた?

――なるほど!はに丸くんが美肌なのは、「王子だから」だけじゃなくて、ススが付いていないから、なのかもしれませんね!

河野先生「土偶も埴輪も、人の形のものがこれだけバリエーション豊かに沢山作られるというのは日本特有だと思います。ただ、土偶と埴輪では、その成りたちと社会背景がちがいますね」

河野先生「縄文人は、狩猟採集で自然から何かを獲得する暮らしです。岡本太郎は『縄文の人には四次元にモノが見えていたのでは』というようなことを言いましたが、土偶には自然への敬いや畏れ、呪術的な要素が込められています」

河野先生「古墳時代は、稲作が根付いた弥生時代のその後、大王や豪族が支配した権力志向の時代です。情報の統一が重要になり、埴輪にもそうした背景が反映されていますね」

はに丸くん「むにゃむにゃ…縄文時代の先輩も大変そうだけど、なんだか自由でいいね!ほとんど聞いてなかったけど、ちょっとかしこくなった気がします!」

お祭り広場にそびえる太陽の塔=1970年3月
お祭り広場にそびえる太陽の塔=1970年3月 出典: 朝日新聞

先生、イチオシの土偶は……?

――はに丸くん、とっても勉強になりましたね。ところで、河野さんは土偶と埴輪、どちらがお好きですか…

河野先生「それはやっぱり、埴輪です!特に好きなのは『鍬をかつぐ埴輪』です。やはり農具を研究しているから…あっ、職業が分かれているとか、道具を持っているというのも、埴輪の特徴ではないでしょうか。はに丸くんのような埴輪は6世紀頃のものだからetc……」


――はに丸くんが飽きちゃいそうなので、今日はこのへんで!河野さん、ありがとうございました!

井上涼さんと踊るはに丸くん
井上涼さんと踊るはに丸くん

<はに丸くん>かつての人気子ども番組「おーい!はに丸」の王子キャラクター。現在は“不定期ジャーナリスト”として起用され、可愛い風貌で取材対象者に「どうしてなまけてるの?」などとはにゃ?と切り込む。8月3日(金)午前9時40分からNHKEテレで放送の特別番組『なつやすみ 博物館で“にっぽん”びじゅチューン!』で、同じNHKEテレの人気アート番組『びじゅチューン!』の井上涼さんと東京国立博物館を訪ねる。

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