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「星野君の二塁打」削られたセリフ 作者が本当に伝えたかったこと…
日大アメフト部の選手の悪質なタックルをめぐる騒動をきっかけに、小学校の道徳の教材にも使われている「星野君の二塁打」という話がネット上で話題になっています。「チームの一員として、監督の指示を守ること」の大切さを唱えていた60年以上前に生まれた話で、多くの教科書で使われてきました。実は教科書に載っている「星野君の二塁打」には削られたセリフがありました。「星野君の二塁打」が伝えたかったメッセージとは何だったのでしょう?(朝日新聞記者・岡崎明子)
「星野君の二塁打」が発表されたのは戦後間もない1947年です。児童文学者の吉田甲子太郎(1894-1957)が、雑誌「少年」(光文社発行)に掲載しました。簡単にあらすじを紹介します。
このストーリーに対し、ネット上では「日大アメフト問題と重なる」などの声が上がっていました。
作家の乙武洋匡さんは5月21日深夜、日大アメフト問題とは言及はしていませんが、ツイッターで「『星野くんの二塁打』という教材を思い出すな…。」とつぶやいています。
今年度から教科化された小学校の道徳の教科書にも2社、採用されています。教師用指導書には、「集団生活における規律やそれを守ろうとする姿勢の大切さ、本当の自由の意味」を考えさせるとあります。
「星野君の二塁打」をテーマに論文を書いた功刀俊雄・奈良女子大教授によると、この作品は戦後、国語や道徳の副読本などの教材として広く使われてきたそうです。
原作と比べると、教科書に載っている教材は時代背景なども考慮し、表現や設定などがかなり変わっています。
しかし功刀さんによると、一番大きな変更は、約30年前から、星野君の最後の言葉が削られた点にあるといいます。
原作では、出場禁止を言い渡した監督が「星野君、異存はあるまいな」と聞き、「異存ありません」と答えたという記述があります。
しかし、最近の道徳の副読本や教科書には、この場面が載っていません。
功刀さんは「この言葉は星野君像を端的に示すと同時に、作品の山場を構成するもので、悪しき改ざんと言わざるを得ません。だから道徳の教科書では、星野君が約束や規則を破った悪いお手本とされてしまうのです」と指摘します。
功刀さんは、作者の吉田甲子太郎はこの作品を通じて、真摯に反省することの大切さを伝えたかったのではと考えています。
「日大アメフト事件でいえば、選手は真摯に反省の弁を伝えました。そういう意味では、星野君の二塁打と重なる部分があるのではと思います」
この作品がネットで話題になった背景には、「監督への絶対服従の大切さ」を説く内容への反発がありますが、原作では監督の命令にそむくことができないのは「野球の試合で」と限定しています。
日大のケースでは、試合のみならず、その前段階で選手は監督の命令には背けない状況であったことが、選手の記者会見からは伝わってきました。
しかし、と功刀さんは言葉を継ぎます。
「私たち大人の多くは、選手のように振る舞えず、監督やコーチと同じようなことをしてしまうことはないでしょうか。今回の事件は、自分を顧みるという点で、いい機会なのかもしれません」
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