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感動

グラウンド整備おじさんが語った「夢」 黙々とトンボ、その経歴は…

鮮やかな技術、「グラウンド整備おじさん」は何者?
鮮やかな技術、「グラウンド整備おじさん」は何者?

目次

 午前7時前。大阪市内のあるグラウンドで、ランニング姿のおじさんが1人、丁寧に整備しています。土を運んできて埋め、しっかり体重をかけて固めます。そのあと、マウンドを中心に円を描くようにトンボをかけます。できあがるのは、まるでミステリーサークル。最後に水もたっぷりまきます。市の管理人さんですか? いえいえ、違います。この人は……。(朝日新聞記者・大西英正)

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「いったい、何者なんだ?」

 そのおじさんを見たのは2017年6月下旬のことでした。

 近くを歩いていると、黙々とトンボをかけている姿が目にとまりました。

 整備の技術が、素人目に見ても手慣れた高いレベルでした。

 市の職員のようには見えず、「あの『グラウンド整備おじさん』はいったい、何者なんだ?」と興味が膨らみました。

 そして、高校野球シーズンが到来した今月、取材をすることに。すると、意外な過去が明らかになりました。

ホーム付近の穴を埋める「グラウンド整備おじさん」
ホーム付近の穴を埋める「グラウンド整備おじさん」

「グラウンドがボコボコでね、泣いているように見えたんや」

 「グラウンド整備おじさん」は、大阪市に住む大川孝さん。66歳の元高校球児です。このグラウンドのすぐ近くに自宅があります。昨年の3月、47年勤めた会社を退職しました。

 「それまでは気にとめへんかったけど、グラウンドがボコボコでね、泣いているように見えたんや」

 7時にはグラウンドに来て、整備をするようになりました。水をまくのは当初、家から持ってきた2リットルの空のペットボトルを使っていました。

 グラウンド隅の蛇口で水を入れて、両手に持って何度も往復しました。すると、いつの間にか蛇口に長いホースがついていました。「市の職員の人が付けてくれたんかな。応援してくれてるんかな」

グラウンドを踏み固める大川孝さん
グラウンドを踏み固める大川孝さん

「ショックすぎて、何イニング投げたのか覚えてへん」

 大川さんは大阪市立泉尾工業の野球部で、エースで4番。前評判の高いチームでした。第50回の選手権大阪大会。初戦で興国と対戦しました。

 先発しましたが、「打たれまくったな。ショックすぎて、何イニング投げたのか、スコアがなんぼかも覚えてへん」。

 当時の朝日新聞をめくってみました。1968年7月24日、藤井寺球場であった第3試合。泉尾工は0-9で興国に敗れています。

 記事には「予想外だった泉尾工の大敗――。大川の得意のシュートが切れなかった」と書いてあります。記録によると、大川さんは4イニング3分の2を投げて、被安打9。相手の興国はこの年、大阪大会で優勝、そのまま全国制覇しました。

大川さんの名前が載っていた1968年7月24日の朝日新聞紙面
大川さんの名前が載っていた1968年7月24日の朝日新聞紙面

「この整備はな、自分のトレーニングのためやねん」

 大川さんは、土曜日と日曜日はグラウンドに行きません。朝からグラウンドの利用者が多いので、邪魔をしたくないという気持ちが強いのです。

 でもその分、月曜日は一番たいへん。土日の利用者なのか、深夜にグラウンドを訪れた人なのか、ペットボトルやコーヒーの缶が散乱していることがあります。丁寧に中身を捨てて、水で洗い流し、まとめてゴミ捨て場に持って行きます。

 暑くなってきた7月、浅黒く焼けた肩から汗が噴き出します。けれども、整備後の日課を欠かしません。浅めの外野付近まで使って、グルッとランニング3周。最後の1周はダッシュもします。とても66歳には思えないスピード!! 

 「この整備はな、自分のトレーニングのためやねん」。照れながら、そう言います。

「この整備はな、自分のトレーニングのためやねん」と話す大川さん
「この整備はな、自分のトレーニングのためやねん」と話す大川さん

「もっと投げたかったなぁ。今でも思うわ」

 夏本番、野球の季節ですね。やっぱりご自身の高校時代を思い出しますか?

 「そうやなぁ。もっと投げたかったなぁ。今でも思うわ」

 野球が大好き。もうすぐ50年の高校時代の話を、屈託のない笑顔で語っていました。

スタンドで踊りながら応援するかいじ君=東島宏幸さん提供

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