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きゃりーが通った「あの店」 増田セバスチャンが語る原宿の未来

2017年度の文化庁文化交流使に選ばれ、あいさつをする増田セバスチャンさん=17日、東京・霞が関
2017年度の文化庁文化交流使に選ばれ、あいさつをする増田セバスチャンさん=17日、東京・霞が関

目次

もっともっと自由で良い、と思わされる場所

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増田セバスチャンさん(46)は、「原宿Kawaii文化」の伝道師として知られます。増田さんが手がけた「KAWAII MONSTER CAFE HARAJUKU」は外国人観光客に大人気です。そんな増田さん。「原宿は焼け野原になる」と予言します。「東京五輪をきっかけに若い世代への入れ替えのチャンスが訪れる」と語る増田さん。原宿の未来について聞きました。

増田さんが手がけた「KAWAII MONSTER CAFE HARAJUKU」=東京都渋谷区
増田さんが手がけた「KAWAII MONSTER CAFE HARAJUKU」=東京都渋谷区

――1995年にお店「6%DOKIDOKI」を開きますね

 「6%DOKIDOKI」(6DD)に来る人は何かしら自分は普通じゃないかもしれないと感じている子が多いと思う。

 その時に唯一、この街というのは何故か、そんなことなんてどうでも良いよ、もっともっと自由で良い、と思わされるパワーがある。自分の考えていることは些細なことで、まだまだいろんな世界があるんだよ、というのがここで見えるんじゃないかな。

 また、自由という意味は、責任を取りながら生きる代わりに自由が保障される、ということも、原宿にいれば分かる。例えば、すごい派手なファッションをしたら、人からジロジロ見られたり、誰かに殴りかかられるかもしれない。

 それを覚悟してやる。自由と不自由という相反するものが内包している、というのが、原宿っていうのは、分かるんですね。

カラフルな「6%DOKIDOKI」の店内とショップガール=2016年4月2日、東京都渋谷区
カラフルな「6%DOKIDOKI」の店内とショップガール=2016年4月2日、東京都渋谷区

――増田さんにとって、自身の拠点となっている原宿とはどういう場所ですか?

 僕が10代の頃は、ただ単純に遊んできた場所なのですが、20代になりクリエーターを目指す時、僕の作るものはいろんな業界で異端視されてきました。その中で初めて、「面白い!」と受け入れてくれたのがこの原宿の街だったんです。

 そこで自分のクリエーターの歴史が始まった。この原宿のこの自由な空気感、何でもありというのがあったからこそ自分がこういうふうになった、というのはありますね。

原宿・歩行者天国でのバンド演奏会では各グループが観客が集まるようにと、様々な趣向を凝らす。「一福茶屋」ではこたつを置き、演奏の合間に暖を取りながらファンとの会話を楽しんでいる=1995年1月29日、東京都渋谷区
原宿・歩行者天国でのバンド演奏会では各グループが観客が集まるようにと、様々な趣向を凝らす。「一福茶屋」ではこたつを置き、演奏の合間に暖を取りながらファンとの会話を楽しんでいる=1995年1月29日、東京都渋谷区 出典: 朝日新聞

きゃりー、篠原ともえも通った「原宿」の店

――きゃりーぱみゅぱみゅさんも学生時代、6DDに遊びに来ていたようですが。

 原宿にはいろんな子がいるのですが、彼女の最初は目立つ子の一人というイメージでしたね。

 彼女と出会ったのは2010年辺りですけれど、1990年代、20代の僕が6DDを立ち上げて、歩行者天国もあってこの辺がすごく人がいっぱいいたころにいたような、自由な発想を持っていた。彼女は当時の原宿にあった自由な空気感を持っていました。

きゃりーぱみゅぱみゅさん。増田さんは彼女のデビュー初期、プロモーションビデオ(PV)の美術を担当した
きゃりーぱみゅぱみゅさん。増田さんは彼女のデビュー初期、プロモーションビデオ(PV)の美術を担当した 出典: 朝日新聞

 90年代のお客さんだった篠原ともえちゃんとも僕は仲が良いのですが、彼女は今、何か良い感じの原宿のスピリッツを背負いながら自由にやっている感じがしますね。

自身がデザインした福井市自然史博物館分館「セーレンプラネット」の新しい制服の説明をする篠原ともえさん=5月6日、福井市中央1丁目
自身がデザインした福井市自然史博物館分館「セーレンプラネット」の新しい制服の説明をする篠原ともえさん=5月6日、福井市中央1丁目 出典: 朝日新聞

――増田さんが手がけた「KAWAII MONSTER CAFE HARAJUKU」(KMC)が外国人観光客にものすごい人気です。

 自分が若い頃に影響を受けた寺山修司は1970年代、渋谷に天井桟敷館という、喫茶店と、ちょっと小さなスペースで、ずーっと芝居っぽいことをやっていた。そういったものを原宿でも作れないかな、と思って作ったのが、KMCですね。原宿の象徴になるようなものを作りたいと思って考えた。

若い頃、劇作家の寺山修司の影響を受けた増田セバスチャンさん。「死ぬ前に一度でいいから、寺山さんの戯曲を、自分の世界観で演出してみたい」と話す=2016年2月19日、青森県三沢市
若い頃、劇作家の寺山修司の影響を受けた増田セバスチャンさん。「死ぬ前に一度でいいから、寺山さんの戯曲を、自分の世界観で演出してみたい」と話す=2016年2月19日、青森県三沢市 出典: 朝日新聞

もう一度、焼け野原になる?

――そんな中、原宿を代表するファッション雑誌が季刊化されるなど、「原宿ファッションがなくなってしまうのでは」という懸念の声も上がっている、と聞きます。

 雑誌が無くなってしまうのは単純に紙媒体が時代に合わなくなってきてしまったという別問題で、それを原宿と一緒に重ねてしまうと見えにくくなると思います。僕は危機感は全く抱いていなくて、これはチャンスだと思っている。

増田セバスチャンさんがデザインした青森県三沢市の「テラヤマロード」のロゴフラッグ
増田セバスチャンさんがデザインした青森県三沢市の「テラヤマロード」のロゴフラッグ 出典: 朝日新聞

――今は才能が出やすい時代?

 振り返ると、僕も95年に6DDを開いた時、原宿という街はある意味死んでいました。芸能人のタレントショップなどができていた時期。裏通りは地価が下がっていて、安い家賃で、僕ら20代の若者がお店を出すことができた。

 ある意味、焼け野原だったからこそ、僕を含めて若い、新しい才能が、小さいながらも表現をできるようになったんです。そういう意味では今こそ新しい表現って出やすいんですよね。上の世代がごろっといなくなって。

平成元年が動き始めた1989年1月9日、東京・原宿では看板を覆っていた黒いビニールが外され、にぎやかな「タレントショップ」のイラスト広告が現れた
平成元年が動き始めた1989年1月9日、東京・原宿では看板を覆っていた黒いビニールが外され、にぎやかな「タレントショップ」のイラスト広告が現れた 出典: 朝日新聞

――日本、および東京は今、2020年五輪・パラリンピックに力を注ぎ込んでいるところがあります。

 五輪はスポーツの祭典ですけれど、それを超えた国の大きなPRイベントだと思っているので、各国で東京特集が組まれますよね。その時に、日本ってこんな面白い国なんだとアピールするためには、ポップカルチャーの役割は大きいと思います。

 特にこの原宿は、国立競技場のある千駄ケ谷と近接しているし。たださっきの話に戻ると、2020年以降は1回街が焼け野原になると思うんですよ。

新国立競技場の模型。手前は東京体育館
新国立競技場の模型。手前は東京体育館 出典: 朝日新聞

――焼け野原の後に何ができる?

 だからその時の入れ替えのチャンスを、若い世代にうまくやって欲しい。東京五輪面白かった、じゃあ海外の人が東京に行ってみようとなった時に、行ってみたら、「何だよ、海外から持ってきたコンテンツや店しかないじゃないか」「原宿が面白いって聞いたのに自分の国と変わらないじゃないか」とかでは困るんです。

 今の原宿も、僕が作った6DDかKMC以外にも、唯一無二の面白い部分をちゃんと見せられる場所が増えてほしいです。

 統合型リゾート(IR)実施法案が年内には成立するとは思うんですけど、おそらくホテル、ショッピングセンター、エンターテインメント系施設といった箱はたくさんできると思うんです。それも同じ問題で、そのときに何のコンテンツをやるのか?日本でしか体験できないものは何なのか?そこが重要です。

取材に答える増田セバスチャンさん=東京・原宿
取材に答える増田セバスチャンさん=東京・原宿

増田セバスチャン(ますだ・せばすちゃん)

アーティスト、アートディレクター。
1970年生まれ。演劇・現代美術の世界で活動した後、1995年にショップ「6%DOKIDOKI」を原宿にオープン。きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」MV美術、「KAWAII MONSTER CAFE」のプロデュースなど、原宿のKawaii文化をコンテクストに作品を制作。現在、2020年に向けたアートプロジェクト「TIME AFTER TIME CAPSULE」を展開中。

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