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3・11に生まれて 篠田麻里子さんに教えられた「私にできること」

これからも、真摯に考え続けたい。

3月11日生まれの篠田麻里子さん=西田裕樹撮影
3月11日生まれの篠田麻里子さん=西田裕樹撮影 出典: 朝日新聞

目次

 「3・11」と聞けば、誰もが思い浮かべる「東日本大震災」。その言葉を聞く度に、複雑な感情が一瞬よぎります。「日本にとっての悲しい日。そんな日が、誕生日」。そう、私(30)は3月11日生まれ。あの日以来、「3・11」と聞くと胸が痛みます。だけど、この日が誕生日だからこそ、自分にもできることがあるはず。そう思えるようにもなりました。きっかけは、同じ誕生日の元AKB48・篠田麻里子さん(31)の存在でした。

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記者は昨年、3月11日生まれの「311生の会」に参加し、東日本大震災で亡くなった人を供養した=2016年3月、福島県いわき市
記者は昨年、3月11日生まれの「311生の会」に参加し、東日本大震災で亡くなった人を供養した=2016年3月、福島県いわき市

篠田麻里子さん、ブログに「これは私の生涯の使命」

 篠田さんは、1986年の3月11日生まれ。震災から1年となる2012年3月11日、ブログにある言葉をつづっています。

 「この一年私にとってもすごく考えさせられました。でもこれは私の生涯の使命です。神様に指名されて、世の中の役に立てと言われているような気がします。この日に生まれたことに誇りを持ちます」

2012年3月11日に投稿された篠田さんのブログ
2012年3月11日に投稿された篠田さんのブログ 出典:Mariko Shinoda Official blog

 読んだ瞬間、胸が熱くなりました。3月11日生まれであることに、一種の罪悪感さえ感じていた自分。目の前にあった厚い雲から差し込む、一筋の光のようでした。

 篠田さんは、どうしてこういう思いに至ることができたのだろう? ずっと気になっていて、昨年、話を聞きました。

取材に答える篠田麻里子さん=2016年2月、西田裕樹撮影
取材に答える篠田麻里子さん=2016年2月、西田裕樹撮影 出典: 朝日新聞

篠田さんが発信する理由、母からのメール

 あのブログに込めた思いを尋ねました。自分と同様、誕生日が「3・11」であることに申し訳ない気持ちがあったという篠田さん。しかしそんな時、母親からもらったメールに、こう書かれていました。

 「3月11日に生まれたことを誇りに思いなさい。あなただからこそ、できることがある」

 そのメールを見て、気づいたそうです。「私だからできること……それは発信すること」だと。

 篠田さんは抜群の知名度を生かし、被災地への思いを毎年ツイッターにつづっています。フォロワーは240万人と、国内13番目の多さ。自分が発信することで震災被害や復興を進める被災地に思いを寄せ、その文面を見た人にも同様に思いを寄せてほしいといいます。

 インタビューで篠田さんの表情が一層真剣になったのは、被災地で実施した握手会やライブの時のエピソードのこと。篠田さんはこう述べました。

 「あるお母さんが私のところに来て『息子がファンでした。息子がいたら絶対喜んだのに』と、泣きながらおっしゃいました。『頑張って』とも『元気出して』とも言えず何も言葉を返せず、お母さんの手を強く握りしめることしかできませんでした」

 篠田さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいるようでした。

岩手県陸前高田市でライブを行う篠田麻里子さん(中央)=2013年3月11日
岩手県陸前高田市でライブを行う篠田麻里子さん(中央)=2013年3月11日 出典: AKS提供

 「3・11生まれであることを悔やんでも仕方がない。風化させないこと、『忘れない』ことが、少しずつ復興につながっていくのだと思います。だからこそ、これからも発信していきたいです」

 そう語ってくれた篠田さん。1問1問、じっくりと考えた上で言葉にしていた姿が非常に印象的でした。

【関連:3月11日に生まれて 篠田麻里子さんと織田哲郎さん】
【関連】忘れないことが復興に 篠田麻里子さんインタビュー全文

織田哲朗さんや白鵬関も3月11日生まれ

 3月11日生まれの著名人は、他にもいます。「負けないで」(ZARD)、「世界が終るまでは…」(WANDS)などのヒット曲を生み出したミュージシャンの織田哲郎さん(59)。救援物資を手に避難所を回り、2013年には被災地に向けた復興支援曲を作りました。「3月11日生まれだからというよりは、一人の人間として、あるいは音楽家として被災地のために何ができるか、と考えた」と答えてくれました。

【関連】子どもたちに輝く未来を 織田哲郎さんインタビュー全文
取材に答える織田哲郎さん=2016年2月
取材に答える織田哲郎さん=2016年2月 出典: 朝日新聞

 大相撲の白鵬関は1985年生まれ。平成の大横綱も、この日への思い入れが強く、震災から1カ月後に「この国のために、この国を背負っていく子どもたちのために何ができるのか。ずっと考え続けていきたい」と語ったことがあります。

 震災から向こう10年、総額8千万円超の義援金を送ることを決め、津波に流された土俵を各地で復活させています。

避難所になっている中学校で土俵入りする横綱・白鵬。後方に仮設住宅が並ぶ=2011年6月、宮城県南三陸町
避難所になっている中学校で土俵入りする横綱・白鵬。後方に仮設住宅が並ぶ=2011年6月、宮城県南三陸町 出典: 朝日新聞

「自分にできること」 真摯に向き合いたい

 知人と話していると、たまに出る話題がそれぞれの誕生日。「3月です」と答えて終わることもあるけれど、日付まで言うと決まってされる反応があります。

 「あぁ……」

 「3・11なんだー」

 誰しもの胸にあるだろう、「3・11は悲しい日」という思い。それはある意味当たり前です。2万人近くの死者・行方不明者が出たのですから。

震災から1年が経った被災地を取材時に、津波で本が散乱した図書館の中で突然歌い始めた男性。「カラオケしたいよ」とつぶやいた姿が忘れられない=2012年3月、岩手県大槌町
震災から1年が経った被災地を取材時に、津波で本が散乱した図書館の中で突然歌い始めた男性。「カラオケしたいよ」とつぶやいた姿が忘れられない=2012年3月、岩手県大槌町

 だけど、話を聞いた篠田さんや織田さんは「自分にできることをやろう」との思いを持ち、実践していました。取材を終えた私は昨年の3月、「311生の会」に参加させてもらい、初めて福島県いわき市を訪れました。

 「311生の会」は、名前の通り、3月11日生まれの人々が集うネットワークです。震災から2年後の2013年、「3月11日に少しでもポジティブな意味を与える活動をしたい」とできました。毎年3月にいわき市を訪れて、亡くなった方を供養する会などに参加しています。

 私が被災地に行くのは5回目。最初は、震災から9カ月が経った時でした。当時働いていた大分県から、宮城県石巻市や岩手県大槌町を訪れました。津波で流されて、あるはずの場所にない駅舎。建物の骨組みだけが無残に残った空き地。ガレキもまだあちこちに山積みされていて、テレビでは分からない、言葉を失う光景がそこにはありました。全ては「3・11」が奪い去っていきました。

 昨年訪れたいわき市の久之浜地区も同じです。元々あった家々は流され、一面空き地となっていました。高さ数メートルにもなる広大な盛り土が整備された現状を目にしながら「復興は天気と同じで、晴れの日ばかりではありませんでした」と、涙を浮かべた女性の姿が印象的でした。

 今年は会の方々と、11日にいわき市を訪れる予定です。

 自分だからできること、自分にしかできないこと。少しでも世の中の役に立つことを自分なりに実践することが、大事なのだと思います。これからも、真摯に考え続けたいです。

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