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かまやつさん活躍、グループサウンズとは?「理不尽な迫害」で姿消す
ミュージシャンのムッシュかまやつさんが亡くなりました。かまやつさんは、60年代に流行したグループサウンズ(GS)の全盛期を築きました。当時は、あまりの人気に失神するファンも出たというGS。ジュリーこと沢田研二さんの「ザ・タイガース」など時代を象徴する存在でしたが、「理不尽な迫害」でそのブームは短命に終わりました。
1962年にレコードデビューしたビートルズへの熱狂とエレキブームが合体して「歌うエレキバンド」のスタイルが出現、これがGSの起源になりました。
1960年代には、100をこえるバンドが生まれたと言われています。代表的なバンドには、かまやつさんがいた「ザ・スパイダース」、沢田研二さんの「ザ・タイガース」などがあります。
「エレキの神様」として、いまも「寺内タケシとブルー・ジーンズ」をひきいるギタリストの寺内タケシさんは、朝日新聞の取材にビートルズが来日する2年前、すでにポップスの潮目がGSへ変わる予兆はあったと語っています。
一時代を築いたGSには、どんなバンドがあったのでしょうか? 振り返ってみると……。
まず「ザ・タイガース」。『モナリザの微笑』などヒット曲を連発し、東京・後楽園球場ライブも敢行。沢田研二さん、加橋かつみさんの甘いマスクもあいまってGSブームを象徴する存在となりました。
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の母体のバンドは1957年結成。歌うエレキバンドの先駆者となります。ミリオンセラーとなった「ブルー・シャトウ」で67年に日本レコード大賞を受賞。
「ザ・ワイルド・ワンズ」は加瀬邦彦さんらが1966年に結成。バンドの名づけ親は加山雄三さん。デビュー曲「想(おも)い出の渚(なぎさ)」が大ヒットに。
「ザ・スパイダース」。田辺昭知さんが1961年に結成。かまやつひろしさんの他、堺正章さん、井上順さんらが加入し65年に「フリフリ」でデビュー。斬新な音楽性と軽妙なステージ演出で人気者になりました。
栄華を極めたGSでしたが、ブームがあっけなく失速します。
GSブームが短命だったのは、エレキギターが不良の温床と決めつけられ、学校で禁止されたことが大きかったと言われています。
長髪のファッションや、コンサート会場で気絶するファンが出たことも重なり、風当たりが強くなります。
当時の状況について、かまやつさんは2010年5月の朝日新聞記事で次のように答えています。
「スパイダースは(武道館の)会場使用を断られたこともあるし、見に行ったら停学処分だなんて言う学校もあった。NHKの紅白にも出られなかった。そんな時代だった」
今から考えると過剰ともいえる「理不尽な迫害」で姿を消してしまったGS。しかし、かまやつさんをはじめ、沢田研二さん、堺正章さんら、その後の日本のエンターテインメント界を引っ張る人材を生み出したのもまた、GSだったのです。
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