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SPEED今井絵理子氏、当選決める「神様を憎み、恨んだ」息子への思い
国民的アイドルから政治家へ。今井絵理子氏が参院選での当選を確実にしました。政策では教育や福祉への思いを訴えた今井氏。聴覚障がいを持つ息子について「神様を憎み、恨みました」と語り、「自分の耳を息子に移植できないか」と罪悪感まで抱いたこと。そして「息子の障がいを公表することで、もっとバリアフリーになってほしい」と語っていました。
1983年、沖縄県に生まれた今井氏は、4人組「SPEED」のメンバーとして国民的スターの道を駆け上がります。1996年のCDデビュー以来、シングルとアルバム計2000万枚以上を売り上げました。
2000年に一度解散。その後の活動については「自分の可能性を試していきたい」(上原多香子)、「ソロもあるし、事務所と話し合いたい。とりあえず休みたい」(島袋寛子)、「歌を頑張って歌います」(今井絵理子)、「英語を覚え四月に渡米します」(新垣仁絵)などと話していました。
2008年には再結成を果たし、紅白歌合戦に出場しています。
2008年8月、長男の聴覚障がいを公表します。当時の心境について、朝日新聞のインタビューに「『音楽をやる私に、なぜ?』と初めて神様を憎み、恨みました」と答えています。
その後、泣き続けて眠り、起きた翌日、「どんな時も笑顔でいようね」と息子に誓ったそうです。
2008年夏の「24時間テレビ」で長男のハンデを公表すると、「勇気をもらった」という前向きな受け止め方だけでなく、「子供を売りにした」「お金のために公表した」という批判があったそうです。
「中途半端な気持ちで公表したのではないから、頂いたすべての言葉に感謝しています」と受け止めたそうです。
2008年末のNHK紅白歌合戦で「愛してる」と歌いながら手話を披露しました。そこには黒柳徹子さんの存在があったと明かしています。
「以前、紅白の司会で手話をされた黒柳徹子さんから『何あれ?って子供が尋ねて、お母さんが手話だよと答えてくれたら、それだけでいい』と思った、と伺いました。ステキでしょう。私が、後を継がなきゃいけないと思ったんです」(2009年3月12日の朝日新聞インタビュー「SPEED・今井絵理子 息子がくれた、新しい道」)
参院選では、手話で政策を説明する動画を作成、YouTubeで公開しました。
「障がいをもつ子どもたちが明るい希望をもてる社会づくりをしたい」との政策をかかげ、全国を駆け回りました。
沖縄出身でもある今井氏。安全保障関連法については、「戦争をするためではなく、平和を守る、生活や命を守るために必要なことだ」と語っていました。
福祉と沖縄、それぞれの当事者でもある今井氏。タレント出身の政治家が少なくない参院議員ですが、存在感を示すことはできるのか。6月27日、フォロワーが6万3千をこえるツイッターでは次のように投稿していました。
「昨日は故郷沖縄で選挙活動をしました。毎年訪れている沖縄の神社へ、お礼の手を合わせに。沖縄、愛しています。雨の中わたしの声、思いを聞きにきてくれたみなさん本当にありがとうございました。」
昨日は故郷沖縄で選挙活動をしました。毎年訪れている沖縄の神社へ、お礼の手を合わせに。沖縄、愛しています。雨の中わたしの声、思いを聞きにきてくれたみな氏本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/C8fc4szbiH
— 今井絵理子 (@Eriko_imai) 2016年6月27日
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