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萩原流行さん死去「死ぬまで舞台に…」うつ病との闘い夫婦で語る

萩原流行さんが、交通事故で亡くなりました。62才でした。萩原さんは、20年ほど前にうつ病と診断。夫婦で病気への理解を広める活動をしていました。

事故死した萩原さんは猫好きとして知られた=2010年8月
事故死した萩原さんは猫好きとして知られた=2010年8月 出典: 朝日新聞

目次

 俳優の萩原流行(ながれ)さんが、交通事故で亡くなりました。62歳でした。萩原さんは20年ほど前にうつ病と診断されました。妻もうつ病だったことから、夫婦で病気への理解を広める活動をしていました。

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うつ病の体験、積極的に語る

 萩原流行さんは、舞台やテレビなどで俳優として活躍しました。その一方で、20年ほど前にうつ病と診断され、テレビや講演会でも自分の体験を積極的に語っていました。

蒲田行進曲(予告) 出典: YouTube:ShochikuOnDemand

 萩原さんがうつ病と診断されたのは、仕事の重圧などが重なった時期でした。2012年3月10日にあった宮崎市での講演で、当時の状況について「死にたい死にたい、ということばかり考えていた」と吐露しています。

自らのうつ病の体験を話す俳優の萩原流行さん=2012年3月、宮崎市霧島5丁目
自らのうつ病の体験を話す俳優の萩原流行さん=2012年3月、宮崎市霧島5丁目

妻も発症、夫婦で活動

 萩原さんがうつ病を発症する前、妻の摩侑美さんもうつ病を発症していました。「妻が『胸の中の悲しみ、苦しみを、包丁で裂いて取り除きたい』と話したときにはびっくりした。まさか、自分もうつ病になるとは思ってもいなかった」と語っています。

 うつ病になって気づいたこともあったそうです。「何げない言葉で人は傷つく。自分が傷ついたことで人の痛みが分かりました。うつ病になってすべてが悪いわけではない」。

 講演の最後では、「くよくよしないで明るく生きていきましょう」と語りかけていました。

 萩原さんは、夫婦でうつ病への理解を呼びかける活動を続けていました。2006年1月に放送された「ETVワイド ともに生きる 女性の〝うつ〟」に、摩侑美さんが出演した時、こう訴えました。

 「話を聞いてくれる人が1人いればいい」

 2時間の放送中、番組に寄せられたファクス、メールは千通を超えたそうです。

俳優の萩原流行さん=2003年11月
俳優の萩原流行さん=2003年11月

猫好きで有名

 萩原さんは、大の愛猫家としても知られ、ペット情報誌などにたびたび登場していました。
 2010年8月の朝日新聞の記事では、当時飼っていた3匹の猫との仲むつまじい生活を語っていました。

 猫を飼い始めたのは32歳の時。最初に飼ったのは、小鉄という茶トラの猫でした。
 医者には「寿命は短い」と言われ、病気をするたび懸命に介護。17年間、一緒に過ごすことができたそうです。

テレビドラマ「スケバン刑事Ⅲ」で共演した大西結花さんは愛犬家。オスのチワワ「ナイト」と=2007年10月30日
テレビドラマ「スケバン刑事Ⅲ」で共演した大西結花さんは愛犬家。オスのチワワ「ナイト」と=2007年10月30日 出典: 朝日新聞

 猫たちを「ペット」と言ったことはないという萩原さんにとっては、自分の子ども同然でした。「わが家には、子どもがいないので、僕を頼ってくれて、守ってあげなければいけない子がいるというのは、僕にとって生きる励みになります」。

 先だった猫の遺骨は、1個の大きな箱に入れて家に置いてあり、「遺言で、夫婦のうち先に死んだ方と一緒に散骨することになっています。最期まで同居人でいたいと思っています」と語っていました。

火の鳥役の庄野真代(左から2人目)、我王役の萩原流行(同3人目)ら、ミュージカル「火の鳥」の出演者=2000年6月、大阪市北区で
火の鳥役の庄野真代(左から2人目)、我王役の萩原流行(同3人目)ら、ミュージカル「火の鳥」の出演者=2000年6月、大阪市北区で

「死ぬまで舞台に立ちたい!」

 萩原さんのオフィシャルページには、「今後の目標」についてこう書かれていました。

 「死ぬまで舞台に立ちたい!」

 早すぎる死に、ツイッターでは「カウボーイの萩原流行さん、好きだったのになあ」「インテリな悪役の出来る人が亡くなると独特の喪失感があるな」などの投稿が相次ぎました。



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