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奇跡の返球、サヨナラボーク…名勝負から始まった3つの「その後」 

1996年決勝 松山商の奇跡のバックホーム、1998年宇部商 サヨナラボーク、1994年決勝 佐賀商の満塁弾。名勝負を演じた球児たちが背負ったものは、勝敗に関わらず大きかったようです。「その後」を追った3つの物語。

1996年夏の甲子園決勝 松山商-熊本工10回裏 奇跡のバックホームの場面
1996年夏の甲子園決勝 松山商-熊本工10回裏 奇跡のバックホームの場面 出典: 朝日新聞

目次

 1996年松山商 奇跡のバックホーム、1998年宇部商 サヨナラボーク、1994年佐賀商 決勝での満塁弾。名勝負を演じた球児らが背負ったものは、勝敗に関わらず大きかったようです。「その後」を追った3つの物語。

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「最低でも犠飛」 顔面すれすれに返球が

 先日のアメトーーク!「高校野球大大大好き芸人」でも紹介され、宮迫さんが目を点にした「奇跡のバックホーム」。1996年夏の甲子園決勝10回裏。熊本工1死満塁で松山商の右翼手がありえないほどの好返球でタッチアップを阻んだ場面です。本塁を突いた三塁走者は星子選手。

タッチアウトの瞬間。左右に両手を広げているのが熊本工の星子選手=1996年8月21日、阪神甲子園球場
タッチアウトの瞬間。左右に両手を広げているのが熊本工の星子選手=1996年8月21日、阪神甲子園球場 出典: 朝日新聞
【枝松佑樹】 「キン」。打球は右翼方向に上がった。星子は優勝を確信した。チーム一、二を争う俊足。「最低でも犠飛だ」。低い姿勢で三塁ベースを蹴ってタッチアップ。本塁近くではすでに、次打者がガッツポーズしている。一直線に本塁に滑り込んだ。
 その時だった。顔面すれすれを返球が横切り、捕球のために手を伸ばした捕手のミットが、自分のヘルメットに当たった。「アウト、アウト!」。球審の声に空を仰いだ。熊本工は続く11回に3点を奪われ力尽きた。
朝日新聞デジタル 奇跡のバックホーム、悩んだ18年 再会が転機

冗談いたたまれず…野球から離れた心

 それでも当時の熊本工は甲子園準優勝に沸いた。あのタッチアウトを、同級生は気を使ってか何も聞いてこなかった。だが、大人たちは冗談交じりで話しかけてきた。「走りながらピースしてなかった?」「セーフだと思ったんでしょ」。自分は最善を尽くし、アウトになったことも納得しているのに――。居たたまれず、家にかかってくるテレビや雑誌の取材の電話はすべて断った。
 卒業後は大阪の企業チームへ。そこでも有名人だった。「お前、あの時の三塁走者だろ」。言われるたび野球から気持ちが離れていくのを感じた。けがもあり、2年で退部して会社も辞めた。
朝日新聞デジタル 奇跡のバックホーム、悩んだ18年 再会が転機

語り合い 吹っ切り「たっちあっぷ」開店

 その後、星子さんは夜の世界へ。バーなどを開けては閉める生活が10年以上続いた。

自分の店を新規開店した日、客と語り合う星子崇さん=熊本市
自分の店を新規開店した日、客と語り合う星子崇さん=熊本市 出典: 朝日新聞
 転機は思わぬ形で訪れた。あの試合から17年たった昨年末、星子の当時の店に、知人がある元球児を連れてきたのだ。松山商出身の会社員矢野勝嗣(まさつぐ)(35)。あのバックホームをした張本人だった。
 話は弾み、酒も進んだところで矢野がつぶやいた。「あの話、おれたちに一生ついて回るよな」。実は矢野も苦しんでいた。元々先発メンバーではなく、あのプレーの直前に交代で右翼手に入り、「思い切り投げたら、たまたまできただけ」。大学や会社で人と会うたび、「すごいやつ」と期待されるのがつらかった。
 星子も、自分はあの場面から逃げられないことを改めてかみしめて言った。「名刺を渡さなくても覚えてもらえる。お前のおかげで商売できてるんだ」
朝日新聞デジタル 奇跡のバックホーム、悩んだ18年 再会が転機
「奇跡のバックホーム」を投じた松山商の元選手・矢野勝嗣さん
「奇跡のバックホーム」を投じた松山商の元選手・矢野勝嗣さん 出典: 朝日新聞

 星子さんはこの再会を機に、高校野球にまつわる店のオープンを決意。5月に熊本市内にスポーツバーを開いた。店名は「たっちあっぷ」

サヨナラボーク 5万人が目撃

  これも語り継がれている「サヨナラボーク」。1998年夏の甲子園2回戦、宇部商と豊田大谷との試合での出来事です。

【張守男】1点を追う豊田大谷が9回裏、重盗で追いつき、2―2のまま延長戦に突入。試合開始から4時間に迫ろうとしていた延長15回裏、宇部商は藤田のボークでサヨナラ負けを喫した。次の試合で、注目投手の松坂大輔率いる横浜の登場が控えていたこともあり、2回戦ながらスタンドは満員。約5万人の観客がサヨナラボークを目の当たりにした。
朝日新聞デジタル 甲子園のサヨナラボーク、今は財産 元球児、球審と再会
ボーク宣告の瞬間。後方でマウンドに立つ藤田投手。手前右が林球審=1998年8月16日、阪神甲子園球場
ボーク宣告の瞬間。後方でマウンドに立つ藤田投手。手前右が林球審=1998年8月16日、阪神甲子園球場 出典: 朝日新聞

阿久悠さんから激励の詩

 「ゲームセットが宣せられた瞬間の/初めてくずれたきみの表情が/忘れられません」
 高校野球を愛した作詞家、故・阿久悠の心も動かしたあの試合。「きみ」と語りかけた相手は、山口・宇部商の元エース藤田修平(32)。阿久悠から贈られた詩「敗戦投手への手紙」は、藤田の自宅玄関に今も飾られている。
朝日新聞デジタル 甲子園のサヨナラボーク、今は財産 元球児、球審と再会
華奢(きゃしゃ)な2年生が強力打線を相手に1人で投げ抜いた末の悲劇――。藤田に集まったのは同情だった。学校に届いた激励の手紙は約300通。だが、当時の監督玉国光男(66)は本人を浮かれさせまいと、手紙のことは黙っていた。
 藤田は翌年もエースだったが、宇部商は山口大会準々決勝で敗退。その後に初めて、300通の手紙が入った段ボール箱を渡された。夏休みに自宅の居間で寝転がりながら、すべての文面に目を通した。「2年生だからまだチャンスがある」「また甲子園で待ってます」。1年遅れで届いたそんな激励の数々が切なかった。
朝日新聞デジタル 甲子園のサヨナラボーク、今は財産 元球児、球審と再会
長男と野球を楽しむ藤田修平さん=山口県宇部市
長男と野球を楽しむ藤田修平さん=山口県宇部市 出典: 朝日新聞

「元気でやってます」 球審「感無量」

 そんな藤田さんがずっと気にかけていたのは、大舞台で厳然たる判定を下した球審のことでした。

藤田は周囲から、あのボークで責められたことはない。だが一方で、審判の林が試合直後から批判されていたことが気がかりだった。「林さんは僕の人生が百八十度変わったと思い苦しんでいるのではないか」。あの試合後、林は約40人の記者にとり囲まれた。「こんないい試合でボークを取った気持ちは?」「注意ではいけなかったんですか?」。大会本部にも苦情の電話が殺到した。
朝日新聞デジタル 甲子園のサヨナラボーク、今は財産 元球児、球審と再会
ボークを宣告した林清一さん=東京都調布市
ボークを宣告した林清一さん=東京都調布市
林は審判を昨年引退したが、甲子園では250試合以上で審判を務め、2004年のアテネ五輪では日本人唯一の野球審判員もしたベテランだ。「あの試合でも厳格なジャッジを貫いた」との自負がある。他方、藤田が1人で黙々と投げ続ける姿が痛々しくもあり、頭から離れることはなかった。
 そんな2人を阿久悠の詩が、ふたたび引き寄せた。昨年7月にあった明治大学・阿久悠記念館の来場者3万人記念企画。2人はゲストとして招かれ15年ぶりに再会した。「元気でやってますって伝えたくて……」という藤田に、林は「感無量」とだけ漏らして涙した。林に思いを伝え、肩の荷が下りたという藤田は、「あのボークで自分に責任感が生まれた。今となっては良かったことだと思える」と言い切る。
朝日新聞デジタル 甲子園のサヨナラボーク、今は財産 元球児、球審と再会

9回2死満塁弾 逃した優勝

■1994年決勝戦・佐賀商―樟南(鹿児島)
 樟南は2回裏で3点先行し、佐賀商は6回表で同点に追いつく。樟南はその裏で1点勝ち越したが、粘る佐賀商は8回表に再び追いついた。そして4―4で迎えた9回表、2死満塁から打たれた劇的な満塁本塁打は、夏の甲子園決勝では初だった。佐賀商は8―4で県勢で初めて優勝旗を手にした。
朝日新聞デジタル 決勝の満塁被弾、前向けた 大瀬良引き当てたスカウト

 当時の樟南バッテリーは福岡投手と田村捕手。いまでも連絡を取り合う仲だそうです。

試合終了後、福岡真一郎投手を抱きかかえてベンチに戻る田村恵捕手(左)=1994年8月21日、阪神甲子園球場
試合終了後、福岡真一郎投手を抱きかかえてベンチに戻る田村恵捕手(左)=1994年8月21日、阪神甲子園球場

「もっと上へ」プロを経てスカウトへ

【張守男】初球だった。「入った。終わった」。左中間スタンドに吸い込まれていく白球を追いながら崩れ落ちる福岡。そんな福岡を田村が抱きかかえた。 「あの打席はボールから入るべきだった」と田村は振り返る。「直前の挟殺プレーで自分がアウトを取っていれば……。申し訳ない気持ちだった」。ただ、当時と今では、あの瞬間へのとらえ方が前向きなものに変わっている。「あの『負け』で、もっと上を目指そうと思えた。人としても成長させてもらいました」
朝日新聞デジタル 決勝の満塁被弾、前向けた 大瀬良引き当てたスカウト
樟南3年の秋に広島からドラフト指名を受け、95年から2002年までプロの世界に。現役引退後は、球団から請われてスコアラーとして広島にとどまり、04年からは九州地区担当のスカウトに転じた。
朝日新聞デジタル 決勝の満塁被弾、前向けた 大瀬良引き当てたスカウト
真剣な表情で大学野球をみる田村恵さん=東京ドーム
真剣な表情で大学野球をみる田村恵さん=東京ドーム

熱意に天も味方 大瀬良を獲得

09年5月、当時まだ長崎日大高3年だった大瀬良を初めて見て、「あっ」と心の中で叫んだ。指にかかったいい球を投げるのを見逃さなかった。大瀬良は九州共立大に進んだが、田村はあきらめずに足しげく通う。練習のウオーミングアップだけを見て帰ることも。九共大前監督の仲里清(59)は「他のスカウトとは熱意が違った。重視していたのは野球に取り組む姿勢。調子が悪くても全然気にしていません、とよく声をかけてもらいました」。
朝日新聞デジタル 決勝の満塁被弾、前向けた 大瀬良引き当てたスカウト
ドラフト前日、広島オーナーの松田元(63)には「お前がくじを引いて外しても、みんな納得する」と言われた。1位指名が競合したヤクルトと阪神の両監督に挟まれ、一人のスカウトがくじを引くその姿はメディアの話題もさらった。大瀬良は今シーズン、すでに新人投手として大活躍している。
朝日新聞デジタル 決勝の満塁被弾、前向けた 大瀬良引き当てたスカウト

 3つの物語の全文はこちら。

 

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